第2話 よるべなきものよ、たずねよ
僕が最初に向かったのは地下鉄の駅だった。
ポケットに入っていた切符の『光が丘西』という駅は、何か事情があって車両に乗らなかったにせよ、一度は向かおうとした目的地だと思われた。僕は所持していた小銭で改めて『光が丘西』への切符を購入すると、改札を抜けてホームに降り立った。
僕と同じようにホームに立っている乗客たちは、自分の家がどこか、自分が何者なのかを知っている人たちだ。もちろん、何の目的でどこへ行くのかも知っている。知っているからこそ落ち着いていられるのだ。
自分の名もわからず過去も未来もない僕は、心もとない宙ぶらりんな存在なのだった。
僕はやって来た車両に乗り込むと、ポーチから畳まれた紙片を取りだした。この紙片と切符だけが、僕の素性に繋がる唯一の手掛かりなのだ。
もう一つ、血のついたシャツという手がかりもあるが、当然のことながらこっちの方はあまり追求したくはなかった。
僕はスマホに見入っている周囲の乗客たちの目を盗むように、紙片を開いた。
「……なんだこれ」
ボールペンの筆跡で紙片に書かれていたのは名前らしき文字と、意味不明の記号だった。
『イグニアスL79E』
『猪瀬心太』
まいったな、と僕は鼻から息を吐き出した。これじゃあ白紙と大して変わりない。
困惑しながら、僕は何か記憶を引き出せないかと車両が駅に着くまで文字を眺め続けた。
目的の『光が丘西』駅は、僕が目を覚ました場所から十五分ほどの距離にあった。僕は地下鉄を降りると駅の近辺をあてどもなくぶらつき始めた。
――だめだ、まったく土地勘がない。
切符を購入するくらいだから行けば何か思いだすに違いない――僕の安易な目論見は歩き出してほどなく、あっさりと崩れ落ちた。
――さて、ここからどの方向に動いた物か。
僕は途方に暮れながら、持っていた懐中時計を何の気なしに取りだした。何か思いださないかと手の中で弄んでいるとふいにぱちんと音がして、裏蓋が開いた。
「これは……」
裏蓋の中は写真入れになっており、一人の女性の写真がはめ込まれていた。
――誰だろう、この女性は?
女性の柔らかな面差しには、確かに僕の記憶を刺激する何かがあるようだった。それも嫌な記憶ではなく、温かな気持ちにさせてくれるなにかが。
「良く見たら随分と汚れているな、この時計」
僕は時計を少しでもきれいにしようとポケットティッシュを取りだした。端をつまんで中身を引き出すと、一番上に挟まっていた小さな紙がはらりと落ちた。
「なんだこりゃ?」
拾いあげた紙には、『
――この番号にかければあるいは、僕の素性に関わる情報が手に入るかもしれない。
そこまで考えて僕ははっとした。この番号の人物が僕の味方であるという保証はない。
もし僕が犯罪者で、この人物から逃げている身の上だったとしたら薮蛇にならないとも限らないのだ。
だが、と僕は思った。敵だろうが味方だろうがこの番号の人物以外、僕の過去を手繰りよせる糸は存在しない。さしあたっての問題は、僕の手元に電話がないという点だった。
――仕方ない、公衆電話を探そう。
僕が近頃、めっきり数が減った公衆電話を探そうと足を踏みだしかけた、その時だった。
「――ちょっと、そこの方」
ふいに背後から呼び止められ、振り向いた僕はそこにいる人物を見て思わず身を引いた。
「二、三質問してもいいですか」
僕の前に立っていたのは、鋭いまなざしを持った若い警察官だった。
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