装心機人イグニアス
五速 梁
第1話 なもなきもの、めざめよ
意識が戻って最初に感じたのは、背中の下が何だか硬いということだった。
仰向けの状態で目覚めた僕は、上体を起こそうと身じろぎをした。すると腕がごつごつしたものに当たり、動きがままならないということに気づいた。
怪我をしないよう慎重に腕を動かすと、金属がぶつかり合うような音がして両腕が自由になった。僕は上体を起こすと、周囲に目を向けた。僕が倒れていたのはスクラップの山の中らしかった。膝から下は古タイヤの山に埋まっていて、そっと抜かないと雪崩落ちてきそうだった。
僕はゆっくりした動作で立ちあがると、周囲が崩れてこないよう気をつけながらスクラップの山を出た。
「ここは……?」
やっと地面に足をつけた僕は、初めてそこが人気のない資材置き場であることを知った。
見える範囲にあるものと言えば、シャッターの錆びついた倉庫と、アームを畳んだままのショベルカーがあるだけだった。僕の着ている物はシャツもズボンもあちこちかぎ裂きだらけで、単に道に迷って入り込んだのでない事は明らかだった。
とりあえず外に出よう、そう思って歩き出した僕は足元に転がっていた車のミラーを見てぎょっとした。そこに映っていた僕のシャツには、どう見ても返り血にしか見えない赤い染みがあったのだ。
「なんだこれ……」
どこかで怪我でもしたのだろうか。手がかりを求めて見回した僕の目線は、ショベルカーのアームのところでぴたりと止まった。アームの先にあるバケットの端から、人間の手足のような物が覗いている気がしたのだ。
「まさか……」
僕は死体という言葉を呑みこむと、早足で資材置き場を後にした。だが、こんな服装では注目されてしまうに違いない。職質を受けたりしないよう、どこかで着替えなければ。
僕が自分の家までの最短距離を頭に描こうとした、その時だった。
――家?部屋?……待ってくれ、それ以前に僕は……誰だ?
僕は愕然とした。家の場所はおろか、自分の名前すら出てこなかった。どうやら僕は一時的にひどい記憶障害になっているらしい。
何でもいい、自分の身もとに繋がるものはないか――ポケットをまさぐると、指先がファスナーのついた物体を探り当てた。物体は財布のようなポーチで、中をあらためると数枚の札と小銭、それに折り畳まれた紙片が姿を現した。
ほかに持っていた物と言えば小さな懐中時計とティッシュ、それに間違えて購入したらしい地下鉄の切符だけだった。驚いたことに僕は携帯電話も持っておらず、ポイントカードのような身分照会に繋がるものも何一つ、所持していなかった。
――なんてこった。名前すらわからないなんて。
僕が何とか状況を理解しようと、真っ白になった頭で考えを巡らせ始めたその時だった。
「ひっ……人殺しっ」
突然近くで声が聞こえ、振り向くと年配の男性が怯えたような目を僕の方に向けていた。
「ちがいます、僕は……」
僕に弁明する間を与えず、男性はその場で身を翻すとあっという間に往来の向こうに姿を消した。
――どうしよう。取りあえず身を隠す場所を探さないと。
どこまでごまかせるかはわからないが、身なりだけでも怪しまれないようにしなければ。
僕は人気のない路地でシャツを裏返しにすると、建物の影に身を隠しつつ移動を始めた。
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