第134話 オリヴィエントの静かな戴冠式



「ありがたく、承ります」


 その戴冠式は歴史的にも珍しく、身内だけで密かに行われた。



 現在、オリヴィエントを含むネクロマリア大陸の人族の地は復興活動に追われていた。魔族との戦いが終わったとはいえ、その傷跡は各地に深く刻まれている。人も街も、何もかもが壊されたままなのだ。


 ガラングはその責任を取って王座を譲り、次王としてマチコデ・リ・ミラール・オリヴィエントが就く事となった。


 だがその知らせは静かに行われた。このイベントを正式に執り行うには間が悪いため、復興が完了してからにしようと判断したのだ。



 しかし、それがいつになるのかは分からない。人々の傷が癒える頃には、きっと忘れ去られているだろう。



「――以上だ。これにて閉式とする」

「父上。長きに渡るその手腕、大変見事でした」


 小さな部屋の中には、ガラングとその妻、そしてマチコデとその妻ドロシーしかいない。



「よせ、儂はもう何者でも無い。後は任せたぞマチコデ。まず最初に言っておくが、国王なんて碌な仕事ではない」

「ふふ、身をもって体感して参ります」

「言いおるわ」


 ガラングはふっと笑った。


 ようやく、肩の荷が降りた。

 その一言に尽きる。



「父上は、これからどうなされるので?」

「どうする、か……おい、どうする?」


 ガラングは、質問をそのまま妻に投げかけた。

 妻は目を閉じて微笑み、口を開く。



「ふふ、好きになさって下さいな」

「もう儂は好きに生きた。これからはお前が好きに生きて、それに儂が付き合う番だ」


 義理堅く、強情。

 そして妻を愛して、我が儘を通す。



「……では、私は蓼科という所に興味がございます。老後の天国なのでしょう?」


 ガラングは妻の言葉に、目を丸くした。

 そして、声を上げて笑った。



「――はっはっは!! いいな、それはいい」


 まさか、異世界に興味があるとは。

 自分も妻も、結局は似たもの同士なのだ。



「エスティに口添えをしますか?」

「よせ、儂は嫌われながらやるのが好きだ」

「ふふ、差し出がましい真似をしました」


 ガラングはニィっと笑いながらそう言った。


 この人には勝てない。

 マチコデはそれが嬉しかった。



「逆に問うが、マチコデよ。お前はこれからどのように動くつもりだ?」

「これから、ですか」


 マチコデは天井を見上げた。


 取り急ぎでは人々の生活保障、主には瓦礫の駆除と居住地の準備。食糧問題もあれば就業問題だってある。女神の魔道具についても制限をかけなければ奪い合いになるだろうし、そもそも魔法の使用に関する取り決めも各国と詰めなければならない。


 問題は山積みだ。

 だが、たとえ何から取り掛かろうとも、マチコデの答えは決まっていた。



「俺は今まで通り、困っている人々を助けます。その生き方しか知りません」


 それは、マチコデらしい回答だった。



「……それでよい、そのまま歳を重ねろ。だが、どちらかを選択しなければならない場面がいつか必ず訪れる。その時はドロシー、お前が支えてやるのだ」

「はい、お父様」

「ふ、お前も苦労するぞ」

「もう諦めておりますよ、ねぇお母さま?」


 ドロシーはガラングの妻を見た。

 2人は目を合わせ、悪そうに笑っていた。


 夫には知らされていない世界のようだ。

 ガラングはマチコデに忠告する。



「……覚えておけマチコデ。お前は国王である前に一人の夫だ。国民の前では気丈に振舞おうとも、家庭では妻に尻を敷かれて生きていくようになる。人生とはそんなものだ」

「ふふ、身をもって体感して参ります」

「いや、体感はしなくてもよい」

「あなた、先程から何ですか?」

「じ、冗談だ」


 それを聞いていたドロシーはふふっと笑い、一通の手紙を取り出した。

 マチコデに届いた、エスティからの感謝状だ。



「『マチコデ様の秘宝のおかげで、こうして平穏を保てる見通しが立ちました。今思えば、当時は酷かったですね。マチコデ様の性の乱れはラクスのあらゆる女性達を虜に――』」

「ど、ドロシー!! 悪かった、悪かったからやめるのだ!!」


 マチコデは慌ててドロシーから手紙を奪い取った。感謝状なのに酷い情報が暴露されている上に、所々にトゲがある。ニヤニヤしながら書いていたに違いない。



「貴女も苦労するわね、ドロシー?」

「お母様、色々と教えて下さいまし」

「ふっ、頑張れよマチコデ。では、儂らは去るとしよう。たまには顔を出す、また会おう」


 ガラングはそう言い残して、妻と共に部屋を出て行った。



 部屋が急に静かになった。

 マチコデは窓から外を見下ろした。


 オリヴィエントの被害は軽傷だ。以前と変わらない人々が、以前と変わらない生活を続けているように見える。


 彼らは気付いていないかもしれない。ガラングが守ったものが、視界一面に広がっている。この平和は、ガラング・リ・オリヴィエントの功績そのものなのだ。マチコデは自分の背負うものの大きさを改めて感じていた。



「……最後まで、ガラング様であったな」

「あの方が嫌われる理由が分かりません」

「そうだな。統治者というのは、人前では気丈な振る舞いをしなければならない。この世界で最も守るものが多い立場なのだ」


 2人は閉められた扉の向こう側を見ながら、話をする。

 マチコデは、ぎゅっと拳を握り締めた。



「ドロシー。俺はあの方にはなれないが、この称号に相応しい者になりたいと思う」

「ふふ。浮気だけは許しませんよ?」

「女神に誓おう。多分大丈夫だ」

「『マチコデ様の性の乱れは――』」

「あ、暗唱はよせ!!」




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 オリヴィエント市街の大衆酒場。

 賑やかなその一角で、一際嬉しそうに酒を飲み交わす2人の老人がいた。



「――という事があったんじゃ、ははっ!」

「あの若造も、生真面目であるな!」

「ありゃ、一生ドロシーの尻の下じゃ!!」

「わははっ!!」


 ガラングとカンドロールは、ベロベロに酔っ払っていた。


 カンドロールもリヨンと同様に、いつの間にか操られていた。


 統率者を隠して暮らしていたのは確かだが、長年住んでいたオリヴィエントを愛していたのも間違いない。ガラングに対してその事を謝罪したが、むしろガラングはカンドロールが生きて戻って来た事だけで大いに喜んだ。



「しかし、もう働きたくないのう」

「儂もだ。いやぁ疲れた。我ながらよく働いた人生だった。こんなに美味い酒は初めて飲んだわ!!」


 2人は変装して町に飲みに来るのが好きだった。この酒場で愚痴を言い合うが常で、その事は酒場の店主も常連客も皆が知っていた。ガラング達は常連客と飲んだり、立場を忘れて馬鹿を言って酔い潰れたりもした。


 そんな2人を常連達は好意的に感じていた。ガラングは嫌われてなどおらず、どこにでもいるような気さくな人物なのだ。長い間ガラングの支持率が下がらなかったのは、そんな人柄が水面下で知られていたおかげだった。



「カンド、お前はあっちに戻るのか?」

「何だ、戻ったら寂しいのか?」

「寂しい、儂死んじゃう!!」

「はっはっは! 気持ち悪いな!!」


 笑うたびに乾杯して酒を飲み干す。

 もう何杯目かは分からない。



「――ここだけの話だが、ガラよ。儂は異世界旅行をしてみたいのだ」

「おぉ気が合うなカンドよ。一緒に行くか?」

「いいのか、ガラ。奥さんは?」


 ガラングはニヤッっと笑う。



「ちょっとぐらいいいだろう。女神がペンションという宿を開くようでな。そこに暫く滞在して、来世に向けて儂らの見聞を広めるのだ」

「ほう、その見聞ってのは?」

「もちろん……アレだ! わっはっは!!」

「わっはっは、アレか!!」



「――アレ、とは何なのですか、貴方?」


 冷たいその声に、ガラングは固まった。


 背後から強烈な寒気を感じる。

 酔いが一気に覚めてきた。



「帰りが遅いと心配して来たのですが、アレとは何ですか?」

「奥様! アレというのはお酒をベフッ!!」


 酒場の客の一人が煽ろうとした所で、他の客に取り押さえられた。


 ガラングは笑顔で固まったままだ。

 カンドロールに至っては、急にアホな顔で寝たふりを始めた。お酒に弱いお年寄りのつもりだ。



「カンドロール様、この人は貰いますね」

「……むにゃむにゃ……どうぞ……」


 ガラングは必死で頭を巡らせる。今までこの酒場に妻が来た事は無かった。どこまで筒抜けだったのか。妻の表情は、先程から笑顔のまま凍り付いていた。



「ほら立って下さい貴方、帰りますよ。皆様、失礼いたしました。今夜は私がお会計を持ちましょう。その代わり、アレについての情報提供をお願いしますね?」

「イヤッフー!!」

「最高だぜ、奥様!!」

「……頑張れ……スヤァ……」



 妻は、その手腕もガラングと同じ。

 ガラングは、長い夜を覚悟した。


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