第130話 赤爪獣・【腐乱臭スプラッシュボム・ザ・ミア】



 赤爪獣チョドウは滅茶苦茶だった。



 マチコデが赤爪獣を刺そうとするも、その強靭な胴体に弾き返される。ワーム族らしからぬ皮膚の硬さで、剣が全く通らない。マチコデはそのままくるりと回って地面に手を付け、受け身を取った。


 その着地地点に真上から爪が振り下ろされる。マチコデは飛び避けた。赤爪獣はこの巨体で体重が軽いのか、動きも機敏で飛び回っている。



「くっ……!」

「どいてろ!!」


 ルカンの大きな声と共に、魔法で作り出した毒の槍がルカンから放たれた。十数本の槍は赤爪獣に向かうも、その胴体が魔法の槍を打ち払う。



「っつ……何にも効かねぇぞこいつ!!」

「どうなってんのよ!?」


 攻撃は顔の周りの爪、全身を打ち付ける体当たり。全身が盾であり武器だ。移動中に触れるだけでもこちらに被害が及ぶ。


 更には胴体に空いた穴から、粘着質な油と炎を飛ばしてくる。まるで炎弾だ。そのうちの一つが、ミアの死角からミアに向かって飛んで行く。



「――危ない!!」


 炎が当たる直前で、クーリが身を捨ててミアを庇った。

 クーリの背中がじわりと焦げ付く。



「ミア……様……ご無事で……」


 ミアは少し戸惑い、回復魔法を使用した。

 クーリの傷が少しずつ回復していく。



「た、助けてくれてありがとうクーリ。ごめんね、一瞬だけ迷っちゃった。回復魔法をかけようか、焼肉のタレをかけようか」

「助けなきゃよかったです」

「冗談よ、モ~!」


 ミアは白目を剥いたままクーリに聖属性魔法を掛け、防御を高める。


 この人は意味が分からない。

 クーリはよく理解した。



「イチャイチャするなミア!!」

「これがイチャイチャとか、あんたも中々ぶっ飛んでるわね。今結構エグいボケをしたわ……よ!!」


 赤爪獣の長い胴体が地面にズドンと打ち付けられ、地面に衝撃が走った。


 ミアは受け身を取ったが、ムラカは足場の悪い場所にいたせいで体勢を崩した。ムラカはそのまま滑り落ちるように、赤爪獣の目の前に転げる。



 赤爪獣はすぐに矛先をムラカに変えた。

 その爪が全てムラカに向き、振り下ろされる。


 ルカンの目の色が変わった。



「ムラカアアアアァァア!!!」

「つっ……!」


 ルカンの魔法は間に合わない。

 たが――。



「――――グオオオオオォォ!?」

「っ……!!?」


 赤爪獣は大きく仰け反った。そしてムラカから逃れるかのように、爪を大きく空振りした。


 その僅かなタイミングの差が、辛うじてムラカが逃げる時間を生んだ。ムラカは起き上がり、転がるように爪の包囲網から逃げ延びる。



「つっ……危なかった……」

「あんた今何したの!?」


 意味が分からない。赤爪獣は明らかにムラカを嫌がっていた。まともに攻撃が通らない敵が、一撃で刺せる相手から逃げたのだ。


 ルカンはその様子を見て、気が付いた。

 元の赤爪獣には、とある特徴がある。



「そうか……分かったぞ!!」


 激しい戦闘はまだ続いていた。赤爪獣は巨大で地面をバンバンと打ちながら、視界を飛び回るマチコデとクーリをどうにか倒そうと暴れていた。



「聞け! 赤爪獣は鼻がいい! ムラカのくっせぇ荷物を嫌ってんだ!!」

「な、何だと!?」

「いやちょっと待って」


 ムラカは制止するミアを無視して、急いでザックから一つの魔道具を取り出した。エスティが作り上げた、とびきりの香りが漂う爆弾だ。


 赤爪獣がマチコデ達から標的をムラカに変えた瞬間、ムラカはそれを赤爪獣に向ける。



「――私がお前をオエェッ……くさ……」

「グオオオオオォォ!!?」

「ちょっと待って……」



 赤爪獣は爆弾から離れるなかのように、狙いをマチコデとクーリに変えた。


 2人は互いに散りながら、武器と魔法で必死に爪を捌いている。視線を引き付けるだけでいっぱいいっぱいだ。



「ムラカ! 赤爪獣の鼻は口の中だ!!」


 ルカンが叫ぶ。



「口はどこだ、ルカン!?」

「っつ……顔だ、正面の顔のど真ん中!!」


 ムラカが赤爪獣を見た。


 動き回っている上に黒闇で分かり辛いが、爪に取り囲まれた顔の中央にほんの僅かな隙間がある。その口は柔らかく動いていた。そして、周りは皮膚と同じような硬い外皮と小爪がある。



「グオオォォ!!!」

「ぐふっっ!!」


 クーリが爪で弾き出された。


 赤爪獣の前にいるのはマチコデ一人となった。赤爪獣はとぐろを巻くようにマチコデを囲い、真上から見下ろす。



「マチコデ様!!」


 そして、赤爪獣の爪が急降下した。



「ぐっ……! 使うぞ!!」


 爪が届く直前、マチコデは【時空セーバー】を真上に向けて発動した。


 楕円形の転移門が即座にヴォンと現れ、赤爪獣の顔に直撃する。その刃は、赤爪獣の胴体と同じぐらいに巨大だった。そして、1秒もたたないうちに刃が消え去る。



「グオオオオォオオ!!!!」


 転移門は物質を外に押し出して開かれる性質がある。刀身の生まれる場所にあった赤爪獣の顔から胴体には、大きな傷が走っていた。



「よし――!」


 だが、それでも赤爪獣は攻撃を止めない。傷など無かったかのように、更に苛烈に飛び回る。何とか逃げ延びたマチコデに向かって、赤爪獣は再び爪が向いた。


 とにかく、逃げるしかない。



「マチコデ様、こちらへ!!」


 ムラカがマチコデの方へと走る。その声と手に持つ爆弾にマチコデも気付き、ムラカの方へと赤爪獣を誘導する。



 ムラカは爆弾を握り、足を止めて構えた。

 狙いは正面、マチコデの背後の顔。


 ――射程に入った!



「――――じゃあな、赤爪獣!!」



 赤爪獣に顔に向かって、真っ直ぐに爆弾が投擲された。




◆ ◆ ◆




「――『この間、ミアがにんにくマシマシのラーメンを食べてたじゃないですか。あの日のミアの寝室が、とんでもなく臭かったんですよ。それでその湿気を集めて一滴一滴抽出し、量産したのがこの爆弾です。その名も【腐乱臭スプラッシュボム・ザ・ミア】』なるほど、これは酷いな」

「こんな悲しい結末って無いわよ……」


 爆弾の効果は抜群だった。


 赤爪獣の口の中には入らなかったが、顔にぶつかった瞬間に砕け散り、顔全体に悪臭が飛び散った。赤爪獣は苦しそうにのたうち回り、ピクピクと痙攣して動かなくなった。



 ミアはそれを遠い眼で見ていた。

 求めていた結末となんか違う。



「助かったぞ、ミア!」

「どんだけ臭いんだよ、お前の体臭は最強だな!」

「最強……?」


 赤爪獣にトドメを刺してきたマチコデとルカンが、ミアを称賛する。



「……ほら、イケメン2人に囲まれたぞ。これがお前の望んでいた光景だ」

「私はミアではないわ。歩くにんにくよ」


 そのうち毒の息を吐けそうだ。

 そうなったら、まずはエスティに吐きたい。



「……でも、この匂いを嗅ぐとにんにくラーメンが食べたくなってくるわ。あれを初めて食べた時は二度と食べるかと思ったのに、また食べたくなるのが不思議よね」

「お前のその折れない心は凄いな」

「最終的に、性欲と食欲が勝つの」

「2人共、少し休憩したら行くぞ。終わりは近い。……おぉいクーリ、道はあるか!?」


 マチコデの声に、遠くにいたクーリが手を挙げて反応した。


 クーリが指を差す方角はクレーターの先、なだらかな斜面の続くネクロ山脈への山道だ。赤爪獣は時間稼ぎのためだったのか、周囲には敵もいないようだ。


 マチコデは剣を拭き取り、腰に納めた。



「いけそうだな、しかし……」


 マチコデは耳を澄ませた。

 山脈は近いというのに、妙に静かな夜だ。



「かなり距離が開いているな。強硬派の本陣はこの先で合っているのか?」

「……さぁな。ご丁寧に、掘りたての崖や超巨大な赤爪獣でお出迎えされている感じからすると、俺達の動きはお見通しなんだろう……チッ、すまんね勇者様」

「構わん、やれる事をやろう」


 ルカンは悔しそうに言い捨てた。



「どっこいしょ……疲れたわね」

「お婆ちゃんかお前は」

「気分的にはそうね。帰って寝る感じよ」


 ミアは寝転び、空を見上げた。


 時間的には、そろそろガチャのボーナスタイムが始まっている頃だ。自分もすっかり趣味優先の、しかも蓼科優先の人間になった。


 帰ったら何をしようかと考えていると、顔にぽたりと雨粒が落ちてきた。小雨のようだ。



「……やば、傘持ってきてないわ」

「私は登山用の雨具を持ってきた。これは凄いんだぞ、水がまったく浸透しないのに通気性が抜群に良い」

「あんたも大概ね。私と同類よ」


 ムラカは嬉しそうに雨具を装着した。



 隣で休んでいたマチコデは、じっと空を眺めていた。ネクロマリアでの雨は非常に珍しい。前に見たのはいつだったのか、記憶が浮かばない程だ。


 小雨から雨に変わり、徐々に雨脚が強くなる。



「いかんな、雨宿りも兼ねて移動するか。ルカン、先に……おい、ルカン。どうしたのだ?」


 ルカンはただ茫然と空を眺めていた。



 これは、何だ。

 あの雲から水が落ちてくる。



「……親父、これが雨なのか……?」


 ルカンが、少しずつ濡れていった。


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