第80話 女神の一時帰還



 その事件は、昼下がりに起きた。


「犯人は……この中にいる」


 ミアが、またリビングの床で倒れていた。



 エスティは深刻な顔でミアを見ていた。

 その隣には、呆れた顔のロゼとムラカ。


 そして、ミアの両手にはかじりかけのオリヴァ芋が2つ握られていた。


「なるほど。犯人かつ被害者は、凶器を所持したまま死亡したという事ですか」

「つまり、自殺だな」

「う、動けない……トイレ持って来て……」

「はぁ、仕方がないですね。《浮遊》で死体をトイレまで運んできます」


 ミアがふよふよと浮き上がり、そのままトイレへと搬送されていった。


「ムラカ、あやつはアホなのか?」

「あぁ、そうだ。とにかくポンコツなんだよ」

「お互い苦労するな」

「ふ、お前も同情するなよ……」



「――――オロロロロロロ!!!」


 ミアの悲しい雄たけびがリビングにも届き、ロゼとムラカは渋い顔をした。シロミィは驚いて、工房へと逃げ去って行った。



 少し経って、エスティが戻ってきた。


「ジャズのコーラスみたいですね」

「あんなコーラス、あってたまるか」


 結局あの後、ミアはオリヴァ芋を含む全ての野菜を収穫した。だが、変化していたのはネクロマリアから持ち込んだオリヴァ芋だけで、他の野菜は普通の野菜のままだった。ミアは一通り腹に入れて確かめ、そして今吐き出した。


 芋自体がまったく別の芋に変化したという事は不気味だ。オリヴァ芋でもないし、紫芋だって枝には生らない。芋の設計図が変わっているのだ。



「何はともあれ、生育に異常は起きた。このオリヴァ芋が何なのかが気になる」

「えぇ、検証材料は芋ですね。他のネクロマリアから持って来た種も、同じように植えてみるべきでしょう。というか、私は植物の知識が壊滅的なので専門家の協力が欲しいですね。どうしたものか……」


 これを種芋として埋めたら、今度は一体どうなるのか。普通に紫芋が生るのか、それともまた違う野菜に変わるのか。蓼科とネクロマリア、両方での実験が必要かもしれない。



「ふぅ……あれ、何この変な芋?」


 スッキリとしたミアが、何食わぬ顔でリビングに戻ってきた。そして暖炉の前に置かれた、さっきまで自分が食べていた芋を見て疑問を抱いている。



「……記憶まで嘔吐したんですかね?」

「排便したら、一時的に気持ち良くなってアホになる。あれと同じではないか?」

「そんなアホに……なりませんよ普通。オリヴァ芋の副作用でしょうか?」


 ミア以外の2人と1匹は、とりあえずミアを傍観する事にした。



「しかし、暇だわ」

「……」

「堕落したい私……なのに薄いスープを延々と飲まされ続ける無常な日々……」

「(あやつ、気持ち悪いな)」

「(あれはきっと、勉強しなきゃいけないのに遊びの誘惑に負けてしまうという、あの感覚の事でしょう。スッキリしたせいで哲学的になっているんですよ)」

「(エス、やけに詳しいな)」


 ミアに聞こえないように小声で話す。ミアは暖炉に祈りを捧げる格好で、意味の分からない言葉を続けている。


「求めているのはスリルよ。あと恋……そう、恋!!! 恋するのを忘れてた!! 私もう28歳なのよ!?」

「(エス、お前薬を盛ったか?)」

「(盛ってませんよ! 失礼ですね!)」 

「恋するのを忘れてた、私もう28歳……」

「ムラカ、やめてやれ」

「すまない、何だか私の心に響いた」


 ミアがムラカの声に気付き、エスティ達に振り向いた。その表情に異常は見当たらない。副作用ではなく、いつもの変人的な発作だったようだ。良かったのか良くなかったのかは分からないが、紛らわしい。



「ミア。退屈ならば小旅行しますか?」

「どこに?」

「ネクロマリア。結婚したいんでしょう?」

「――待てエス、どういうつもりだ?」


 ロゼはエスティを見た。


 エスティは普段通りに見える。だが、心の奥では別の何かを考えている。ロゼは、エスティの微妙な心の揺れを感じ取っていた。


 エスティもそんなロゼに気が付いたのか、優しく微笑み返した。これ以上は詳しく聞くなという、主からの命令に近い。



「――――――行け」



 久しぶりの声が聞こえた。


「!! ヴェン、お前!?」


 ヴェンが、炬燵の上にぼんやりと現れた。ムラカは驚いて声を上げた。


「王に会え。魔族の王だ、今もいるだろう?」

「し、知りません。どこに……ヴェン?」


 ヴェンの身体がスーッと消えかかる。


「ラクリマスの痕跡を――」


 ヴェンは、再び消え去った。



◆ ◆ ◆



 翌朝。


「結婚したいけど、あっちで結婚しちゃったら漫画読めなくなるし……」

「この期に及んでゴネないで下さいよ。28歳は恋するのを忘れてたんでしょう? それにほら、日向の所の中島さんだってミアよりも」

「わああああその名を出すなああぁ!!」


 ミアは両耳を塞いだ。



 ヴェンが消えた後、エスティ達はすぐに出立の準備をした。


 魔族の王が今もいるという言葉。

 そして、ラクリマスの痕跡という言葉。

 後者なら辿れると判断したからだ。


 辿った先に魔族の王が居て、人族への侵略を止めませんかと交渉を持ちかける。そんなの夢物語かもしれないが、エスティはその夢を見ていた。ネクロマリアにおいては、平和以外に望む物は無い。


 残り時間は217日。ネクロマリアと蓼科は時間の流れが同じため、おちおちとしてはいられない。



「タブレットとモバイルバッテリー、胃薬に……ムラカ、おやつはいくらまで?」

「遠足か」


 ミアはうきうきで【弁当箱】に詰めている。持ち運ぶのに荷物が嵩張らないが、帰って来てから片付けるのは面倒そうだ。


「エスティお前、【弁当箱】はいいのか?」

「えぇ。ヴェンの言葉を優先します」

「……また良い顔つきになったな」


 ムラカはエスティの頭をポンと叩いた。


「ありがとうございます。これでも私は18歳独身です。28歳独身には負けていられませんよ」

「トゲがあるわね。体育館裏に来なさい」

「ふふ、漫画の読みすぎです」

「私、生きて帰ったら結婚するの」

「はいはい。では、いざ行かん!」


 エスティは転移門を開いた。



◆ ◆ ◆



 ネクロマリア大陸北部。

 魔族の住まう地と呼ばれたその台地は、はるか昔から荒れ果てていた。


 雨は嵐となり、岩は砂となる。

 植物は洞窟の中に僅かに育つのみ。

 魔物達は海に出て食糧を確保するか、他の魔物を食べて生き延びていた。



 そんな土地でも、長い年月を経ると、知性を持った者達が現れ始めた。


 人族から統率者と呼ばれた彼らは、同じ統率者同士で独自のネットワークを築き始めた。食糧を確保する効率の良い方法は何か、より人族に近い姿になるにはどうすればいいか。生きる術を求めて情報交換を始めたのだ。


 次第にそのネットワークは大きくなり、知性を持つ魔族と持たない魔族の間に格差が生まれる。統率者は知性を持たない同族の魔族を率いて、持たない魔族は何も疑わずに従うだけ。分かり易い上下関係だ。



 そして、統率者同士でも派閥が生まれ始めた。


 人族と共存して生きれば、自分は死ぬ事はないからそれでいいという穏健派。

 同族が滅ぶのは許されない、人族の土地を奪うべきだという強硬派。


 どちらも間違いでは無かった。



 では、魔族は一体どうするべきなのか。

 全員が各々の判断でもよいのか。


 それらを判断するために多数決で選ばれたのが、王となった。


 王は何度も入れ替わった。その存在は権力の象徴でもあり、自分の種族の生きる道そのものだからだ。入れ替わる度に方針が変わり、種族間の格差が広がっていった。



 しかし、このままでは滅ぶ道しか残らない。少ない資源の取り合いだ。


『では、全種族が少しだけ無理をして、細々と生き長らえるというのはどうか?』


 そう説いた統率者がいた。



 その王の名は、グランデ・ヴァ。



 グランデはダークエルフの長だ。非力だが知能は高く、常に中立の立場に立って話を取りまとめる事に長けていた温厚な賢者だった。そして王という呼称を嫌い、あくまで裏方の立場を貫き通した。


 毒にも薬にもならないが、どんな面倒事でもグランデが全て処理してくれる。他の魔族にとって実に都合の良かったグランデ王の任期は、100年近くにも及んだ。



「……これが置き土産か」


 そんな賢王グランデが何者かに暗殺され、早くも数年が経とうとしていた。長い年月を王として過ごしたグランデの死は、築き上げてきた種族間のバランスの崩壊と同義であった。


「舐めやがって」

「――舐められてるのは貴方ですよ」

「…………てめぇも行くのか」

「我が種族は、強硬派の力を借りねば生きていけません。それもご存知なかったのですか? さようなら賢者の愚息、仮初の王ルカン・ヴァ。貴方には、求心力も危機感もありませんでした」


 グランデの忠臣が、また一人去って行く。


 魔族は、少しずつ瓦解し始めていた。

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