第81話 女神の一時帰還② 群島と普通ではない魔女



 オリヴィエント城、バックスの個室。


「――ここは……私は一体……!?」



 ミアは記憶を失った。

 ……人の物まねをしている。



「最近、そういうの好きですね」

「そうよ。皆の期待に答えられるよう、夜中に鏡の前で練習をしてるの」

「努力の方向性がミアらしいです」

「ぐおお……い、いきなりだね妹弟子」


 壁に体を貼り付けていたバックスがこちらに振り返った。転移門から荷物が運ばれてくる際、普段はこうして受け止めていたらしい。



「連絡も無しにすみません、兄弟子。ちょっと調べたい事が出てきまして」

「はぁ……新しい魔術教本かい?」

「いえ。兄弟子はラクリマスという魔法使いについて、何かご存知ですか?」

「……英雄達の集会ラクリマスって……あぁ人の方か。えぇとそうだね、少し時間はあるかい? ちょっと座って待ってて、おぉいアメリア!」



 バックスが呼ぶと、部屋の隅で在庫管理をしていたアメリアがやってきた。そして弁当箱からお茶を取り出し、エスティ達に振る舞う。


 バックスは書類棚の方へと向かい、古い資料を漁り始めた。


「すまないねぇエスティ、あたしは仕事に戻らせてもらうよ」

「構いませんよアメリア」


 アメリアが座っていた机の上には、書類が山積みになっている。その隣には【弁当箱】の詰まった木箱。忙しそうだ。


「……夫婦でお仕事っていいわよねぇ」

「バックスの奴は尻に敷かれているが」

「ロゼ、あんたも絶対にそうなるわよ。私は未来が視えるの」



 しばらくすると、バックスが戻って来た。古そうな書物を持っている。


「これは史実というか、歴史書だね」

「歴史書にしては、随分と薄いですね」

「この部屋にあるのは研究資料ばかりだからね、その類の資料は無いんだよ。それで妹弟子、何でまた急にラクリマスなんて昔の人を?」

「んー、実はですね――」


 エスティはヴェンから聞いた話をバックスに伝えた。


「――という訳で、動いてみようかと」

「なるほどねぇ……。ムラカ様、その使い魔は現在どちらに?」

「分からん。神出鬼没でな」

「そういう事ですか」



 エスティは表紙を見た。文字は掠れて読み取れない。フラ……何とかという国の歴史書のようだ。ぱらりとページを捲ると、古地図があった。ネクロマリア大陸のようだが、フラ何とかという国がどこにあるのかは分からない。


 もう一枚捲ると、今度は年表らしきものがあった。文字も小さく崩れていて、ほとんどの文字を読むことが出来ない。


「これは……時間がかかりそうです。兄弟子、この資料のどこにラクリマスが?」

「これだね。『ラクリマスが関わった国』として注釈が記されてるよ。表紙にあるフラで始まる国家の名前でいうと、この時代ではたった一つ」



 群島国家フラクトルロス。

 ネクロマリア大陸の西にある、群島だ。


「フラクトルロス……」

「今でこそ海洋都市トルロスと呼ばれているけど、昔はフラクトルロスだったんだ。トルロスの漁船や漁業技術、それに内政を整備して繁栄させたのがラクリマスと言われているね」



 ここオリヴィエントはネクロマリア大陸の南部、ほぼ中央に位置する国家だ。対して、トルロスはこのまま真っ直ぐ西へと向かった先にある港市こうし国家の港を出て、更に西にある。港市国家に行くにも2つの山脈を越えなくてはならない。


「……ロゼ、どう思います?」

「時間があるのであれば、向かってもいいだろう。だが、【弁当箱】や物資の調達が滞るのはまずいか。バックス、魔族の侵攻具合はどうなっている?」

「今は落ち着いているよ。物資も足りているし、行くなら今がいいと思うね」


 ロゼ達とは対照的に、エスティは時間との勝負だと思っていた。

 だが、言えない。



「ねぇロゼ、港までは何日かかるの?」

「エスの歩行速度で、ざっと60日」

「うわ、それ無理だわ」

「時間がかかりすぎます」


 とはいえ、手掛かりを掴むための手立てはない。ラクリマスの痕跡を辿っていくと結局トルロスに行き着く可能性は高い。いずれ行くのであれば、時間がある今こそ行くべきだ。



 しかし、60日の時間の損失は大きい。

 何か、時短になる方法はないものか。


「シニアカーはどうでしょう? 充電する時は蓼科に門を開いて帰るんです」

「あれって、歩く速度とそんなに変わんないじゃない」


 ミアの言う通り、シニアカーの速度は遅い。


 体力の節約にはなるが、時短なら馬の方がいい。港までは大きな街道と整備された山道があるため、早馬を手配するのが正攻法になる。だが、エスティもミアも馬に跨った経験は無かった。



「っていうかちょっと待って、あんたどこからでも蓼科に帰れるの?」

「えぇ。意識が正常ならどこからでも帰れますし、どこからでも戻って来れます。兄弟子の背中を経由しているのは、何か大きな間違いが起きないかが怖いからですよ。例えば、酔っ払った時に【猛毒ゲート】の先に飛ぶとか」

「こわっ!!」

「じゃあ、私がエスティを背負って走るか? 多分、馬ぐらいの速度は出せる」

「背負われてる私の負担が大きいですね」

「待てエス、そこは背負っているムラカの負担だろう」


 だが、馬を操縦しなくても済む。

 これは最終手段だ。



「ひとまず、一旦蓼科に戻ってから考えますよ。兄弟子、トルロスまでの地図と、トルロスの写真や歩き方の本はありますか?」

「……写真……歩き方。なんだいそれは?」

「あぁ……文明の違いを感じます」

「そういえば写真もないのね。折角遠足に来たんだし、買い物ついでにオリヴィエントを観光して帰るわよ」

「そうしましょう。素材も欲しいですし」


 エスティは資料を閉じ、立ち上がった。



「あ。そういえば、兄弟子に頼みたい事が」

「何だい?」


 エスティは空間から大きな木箱を取り出した。中には、先日収穫されたばかりの蓼科の野菜がたくさん入っている。


「向こうの野菜と、変異したオリヴァ芋です。《魔女の庵》の影響が及んでいます。大地に根付くかどうか、ちょっと実験してみてください」



◆ ◆ ◆



 深夜。


 リビングの暖炉に火を灯したまま、エスティは買い物の成果を眺めていた。部屋は集中するためにわざと電気を点けておらず、炎のゆらゆらとした明かりと、薪が爆ぜる音だけが響いている。



 オリヴィエントの城下町の書店で購入した書籍は3つ。ネクロマリア大陸の大地図、海洋都市トルロスの情報誌、そして、ラクリマスの情報が記された記録紙。


 記録紙には、かつてラクリマスが行った偉業が載っていた。漁船や海流についての指導、街づくり、内政改革や建築技術など多岐に渡るが、大物魔獣を討伐したなどの目立った功績は見当たらない。ラクリマスの情報は少なく、なぜその名が世界的な会議に使用されていのか分からないほどに、記録が残っていなかった。



 しかし、記録紙の最後のコメントに、気になる一文が記されていた。


 『ラクリマスの実績は、後世になってから認められたものが多い。彼女は、未来を視る目を持っていたのだろう』


 そんな目を実際に持っていたかどうかは分からない。恐らく、製作者の比喩だろう。そして彼女という言葉は、ラクリマスが女性だという事を示していた。



「ふぅ……」


 エスティは溜息を吐いた。


(辿ったところで、何の情報が得られるのか)


 ラクリマスが時空魔法の使い手であるならば、その痕跡から何かしらの知識を授けてくれるのかもしれない。もしくは、実は魔王そのものだったりとか。


 ヴェンは眠ったままだ。

 真意は分からない。



 エスティは隣を見た。


 ミアが炬燵の中で、よだれを垂らしながら眠っている。酔っ払ってそのまま眠ってしまったのだ。


(やばい顔です。気が抜けますね……)


 エスティはミアを起こさないように、ネクロマリアの地図を眺めた。


 街道も記されたこの地図は、いかに時間が必要かを教えてくれた。山脈の街道は蛇行しており、所々にバツ印も付けられている。行程通りにいきそうにない事が目に見えている。



 今度は海洋都市トルロスの資料を開いた。


 通称『群島』と呼ばれるトルロスは、大小様々な島から成る群島国家だ。その中で最も大きな島がトルロス島だ。


 房のままのバナナのような形をしたトルロス島は、かつては火山の島でもあった。房の根元にあたる部分にトルロス山という標高の低い死火山があり、今はそこが海洋都市トルロスの中心となっている。


 しかし最も大きな島とはいえ、国土はオリヴィエントの10分の1にも満たない。ネクロマリア大陸の人族が全員移住する事は不可能だ。過去の滅びの際には、どの国がどれだけの人を移住させるか、各国の首脳が命の選別を行ったという。


 ネクロマリアに魔力が戻り、魔族が人族の地から去り始めた時、再びこのトルロスからネクロマリア大陸へと移住したそうだ。



(海と共存する、古代の避難都市……)


 現在、開発が進んでいるのはトルロス周辺だけで、トルロス島全てが居住できる場所にはなっていない。荒れた岩場はもとより、史跡などが出土する場所もあり、壊していいかが分からずに滞っているのだ。


(こんな状況じゃなければ、とても夢のある島ですね)


 トルロスの情報誌には、島の情景が事細かに記されていた。過去2度の滅びで救いの手を伸ばした時に建てられた建造物や、島のおすすめスポット、それに名物料理や美味しい酒場などもある。



 エスティは目を閉じた。



 潮の匂い。海鳥の鳴き声。

 聞き覚えのある町の名所や名物の匂い。


 美しい島の景色を脳裏に浮かべる。



(…………もしかして)


 エスティは想像を膨らませていく。



 トルロスの地形、トルロス山から見える景色、波の音、遺跡、家々。まるでその場所に行った事があるかのように、頭の中で綿密に景色を作り上げていく。それらの一つ一つを紡ぎながら、1枚の写真をイメージする。



 そして、周囲の魔力をかき集めた。

 組み上げている術式は、転移門だ。



「え、エスティちょっとあんた――!?」


 ミアは異常を感じて目を覚ました。そして、目の前にあったを見て、言葉を失った。



 海洋都市トルロス。


 転移門が、開いた。

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