第79話 《植物の生育速度調整》、芋パ



 高原の冬は厳しく、そして長い。


 テレビのニュースでバレンタイン特集が始まる頃でも、気温は氷点下を下回っている。それが毎年続くため、冬の別荘地から人が減っていくのも当然の事だった。


 暖炉の炎が消えた早朝のリビングも例に漏れない。机に置きっぱなしのマカダミアナッツチョコレートは、まるで冷凍保存されたかのように固くなっている。エスティはそんなチョコレートを一つ口に放り込み、庵の魔石に触れた。



 【名前】 エスティ

 【身長】 149.6

 【体重】 40.5

 【魔力】 102,147/102,147

 【庵の崩壊】 218日

 【称号】『時空の女神』『蓼科の魔女』『種』

  ・

  ・


 残り218日。


 一日一日、確実に減っている。だが、以前はあんなに焦っていたのに、今は妙に落ち着いていた。この状況に慣れてしまったのかもしれない。



 もう一つチョコレートを口に含んだ。

 固いけど、これはこれで美味しい。


「もぐもぐ……しかし、《植物の生育速度調整》ですか……」


 水も凍るこの気候で、植物は育つのか。


「――エス、また目元に隈が出来ているぞ」

「お? 早いですね、ロゼ」

「お前、もしかして寝ていないな?」

「集中していたら、時間を忘れますから」



 ロゼは何も言わず、エスティの傍に寄った。

 後ろからシロミィも付いて来る。


「ふふ。良かったですね、シロミィちゃん」

「……あぁ」

「ところでロゼ。こんなに寒いのに、植物って育つと思いますか?」

「む。普通は育たぬだろうが、この庵は普通ではないからな。やってみるか?」


 ロゼがニヤリと笑った。


 エスティは長い付き合いで、その笑顔の意味がよく分かっていた。『顔に疲れが出ている、気分転換をしたらどうだ?』そう言って、気を遣ってくれているのだ。


「折角ですし、やってみましょうか」



 エスティとロゼは畑へと向かい、空間から何種類かの種を取り出して植えた。そして再びリビングに戻り、魔石に触れる。


 《植物の生育速度調整》。


 ムラカの入手した骨の砂水オスオーという素材は、何の魔力も発していなかった。古代の素材だからか、既にその使命は果たしてしまったのかもしれない。


 そんな素材を使った高度な追加機能がこの《植物の生育速度調整》だ。庵の魔石でその機能に触れると、起動のON・OFFと、速度調整のバーの様なものが現れる。他の機能は存在していない。つまり、やってみないと分からない。


「エス、いつでもいいぞ!」

「じゃあ、いきますよー!」


 畑の前で待機しているロゼに声を掛け、エスティはバーを最大にして起動した。



「…………」



 数秒が経過した。


「……何も起きませんね、シロミィちゃん」


 エスティはリビングで寛ぐシロミィに声を掛ける。シロミィは無関心な様子で、大きなあくびをした。朝日はまだ山の下だ。


 エスティは外に出て、ロゼの元に向かう。


「時間がかかるのかもしれんな」

「んー、生育速度調整だけですし、そもそも種が育つ気温とかじゃな……お?」



 足元がゴゴゴと動いている。

 何かが波打っているような……。


「――待て、エスまずいぞ!!」


 ロゼの声と共に、地面から静かにニョキニョキっと草木が生えてきた。


 生えてきたどころか、それは雪を除けながら草むらを生み出した。更には新芽が若木になり、どんどんと伸び続けている。その範囲は畑だけでは無く《魔女の庵》全体だ。



 当然、庵の真下の地面からも。


「わわっっ!! 何なに!!?」


 ミアの部屋の天井を、白樺の成木がバキバキと突き破っていった。


「そう来ましたか……!」



◆ ◆ ◆



 エスティの庵に、春が訪れた。


 1mほどの高さにまで雑草が生い茂り、白樺の成木には青々とした若葉が風で揺れている。程よく木々が生え広がり、そこだけを見れば整備された林間公園のようになっていた。しかし、そのうちの何本かは庵の天井を突き破っている。


「いやぁ、中々の惨状ですね」

「……ねぇエスティ、今回は何をしたの?」

「《植物の生育速度調整》ですよ。成長速度最大を試した結果がこれです」

「そういう事か、エス……はぁ」


 ロゼは深い溜息を吐いた。



 この実験で分かった事は、範囲が庵全体を指定する事しか出来ないため、畑の意味が無いという事。そして、草木なら何でも成長してしまうという事。


 まともに起動するためには、庵の範囲内にある植物を全て取り除かなければならないという、使い勝手の悪い機能だった。



「でも一応成功はしてるわね。あれがそうなんでしょ?」


 畑に沢山見えるのはトマトだ。それに、他にも季節外れの枝豆なども出来上がっている。野菜は落ちかかっているものもあり、収穫時期を超えたぐらいまで成長したものもあるようだ。


「ちゃんと実も生っていますね」

「ん、待ってエスティ。枝にぶら下がってる紫色のジャガイモっぽいのは何?」

「我らが故郷の味、オリヴァ芋ですよ」

「それは分かるけど、芋って植物の根っこじゃなかったっけ?」


 オリヴァ芋はネクロマリアの荒野でも育つ芋だ。どこでも育つ貴重な食糧でもあるが、渋みと苦みがあって美味しくはない。


 そして、芋は地面の下で生まれるものだ。


「……まぁ、細かい事はいいんですよ。これが種芋になれば成功でいいんです」

「なるほど、不安の種とはこの事ね」

「検証はこれからです……よっ!」


 エスティは芋をブチッと一つもぎ取った。



 手に持ったオリヴァ芋からは魔力を感じる。普通に売られている蓼科のジャガイモとは違った、ネクロマリアの淀んだ感じの魔力だ。通常のオリヴァ芋ではあり得ない事だった。


 匂いは土の香り。

 しかし、色だけは毒々しい紫色だ。



「え、ちょっとそれ食べるの?」

「食べたくはないですよ。でも、ネクロマリアの未来がかかっていますから。じゃんけんで負けた人が、ミアに回復されながら食べましょう」

「なるほど、体力で殴るスタイルね」


 すると、ミアが前に出た。


「よぉし。私が禊をするわ」

「お、急にどうしました?」

「致命傷を回復させるほどの私の聖属性魔法で、自分大好きな私が、膨大な魔力のある蓼科で自分に回復魔法をかけ続けるのよ。死ぬわけがないじゃない!」

「自分大好きと言い切るのがブレないですねぇ。じゃあ、お任せします」


「――おい待て、私がやる」



 声の方に振り向くと、ムラカが居た。登山帰りのようだ。背負っていたザックを下ろし、エスティからオリヴァ芋を受け取る。


「今までのお前の愚行を見ていると不安しかない。詠唱が出来ない程の猛毒だったらどうする気だ?」

「無詠唱だからへーきへーき」

「それに、お前は私の事も大好きだろう?」

「……いや何か、本人にそう言われると」

「おいそこは頼む」

「ふふ、ひとまず戻りましょうか」


 エスティ達は何個か芋を収穫し、リビングへと戻った。



 そしてアルミホイルを巻き、着火した暖炉に放り込む。薪代わりに、リビングのど真ん中を突き破った白樺の枝を放り込んだ。乾燥されていないからか、煙がモクモクと出ている。


 エスティは炬燵に潜り込み、その白樺の木を見上げた。味があってオブジェとしては悪くないが、流石に邪魔だ。木の上から見下ろしていたシロミィと目が合う。



 そのまま炬燵で横になった。


「エスティ、この木どうすんのよ?」

「切るしかないでしょう。ムラカ、騎士の技か何かで切っといてくれません?」

「簡単に言うが、剣では切れないぞ」

「あ、蓼科には電気で動く斧がありますよ」

「エス、芋が焦げるぞ」


 ロゼの合図でエスティは起き上がり、慌てて芋を取り出した。そして熱々の芋をアルミトレイの上に置いて、それを炬燵の新聞の上でしばらく冷ます。



「……匂いは美味しそうですね」

「まぁ待て、そろそろ毒見だ。ミア?」

「いつでもいいわよー、漫画読んでるから」

「もはや毒見の治療が片手間ですね」



 ムラカは箸で器用に割り、紫のオリヴァ芋を口に運んだ。エスティはその様子を固唾を呑んで見守る。


「もぐもぐ……おいこれは――猛毒だ!!」

「ミア、回復!!」

「任せて!」


 ムラカがぼんやりと光る。ムラカは苦しんでいる様子もなく意識もある。しかし、食べるのを止めようとしない。


「かなりの中毒性がある!」

「ミア、治療は!?」

「してるわよ!! 何で治らないの!?」



 ムラカは芋を延々と食べ続け、最後の一つもぱくりと食べ終えた。口元をティッシュで吹き、お茶を飲む。


「はー美味しかった。すまん、全部嘘だ」

「途中からそんな気はしましたが……ミア」

「ぐへへ、もちろん知っていたわ。全部ただの演技よ! さぁみんな芋パするわよ、芋パ!」


 ミアは最初から全てを見抜くエロい目で見ていた。そのため、オリヴァ芋に毒なんて無い事も知っていたのだ。



「相変わらずですね、ミア」

「いいじゃない。オリヴァ芋は魔力を沢山含んだ紫芋へと変貌を遂げたのよ」

「そうなった原因も、そのエロ目で見えると良いんですけどね。はぁ……」

「まぁまぁ! ひとまず芋パよ!」


 これから調べるのが大変だと考えるエスティを他所に、ミアは嬉しそうに外へ出て、枝に生っている紫芋を収穫し始めた。

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