第78話 戸惑う魔女とハンターの帰還



 数日後。



 いつものように【弁当箱】を作り続け、そこに食糧を詰めていく。【貯水用弁当箱】もリスクを承知の上で数を作り、小川の冷たい水を詰め込んだ。


 現在、ネクロマリアで足りないのは水と食料だ。エスティはその注文に答えていく。



(……終わりはあるんでしょうか)


 このままだと、人族はネクロマリアから追い出される。それが終わりなのか。果たして、群島でどれだけの人が暮らしていけるのか。


 安置にいる身として、エスティは悶々としていた。集中力も途切れたため、息抜きにリビングへと向かう。



「……おや?」


 静かだった昼間のリビングに、心地よいジャズが流れている。


「悪くないだろう?」

「えぇ、悪くないですね」


 エスティはロゼにタブレットと無線スピーカーを買い与えた。


 すると、ロゼは定額制の音楽サービスに加入し、ジャズやボサノヴァなどを漁り始めた。日本語と英語の勉強になると、歌詞をメモしながら聞いている。



 エスティは炬燵に入ってロゼの様子を眺めながら、穏やかな気分になっていた。ミアが発起人だったあのカラオケが、シロミィちゃんから立ち直る切っ掛けとなっている。


 本気で慰める気だったのか、単純に面白がっていただけなのか。よく分からない聖女だ。



 閉じていた瞼を開き、窓の外を眺めた。


「暖炉にジャズに雪景色。粋ですねぇ」

「休むのもいいが、ちゃんと読んでおけ。ほら、オリヴィエントの新聞だ」


 ロゼが新聞を咥えて持って来た。昨日、バックスから送られてきた新聞だ。バックス自身がラクスから離れてオリヴィエントに居着いてしまったため、現在はオリヴィエントの新聞に変わっていた。



「ラクスよりも偏向報道が多い」

「どの新聞も同じですよ。どれどれ……」


 『マルクール公国、崩壊』。


 一面に大きく書かれたその記事は、悲壮感というよりも、崩壊して当然だというような有識者のコメントが書かれていた。そして、撤退の指揮を執ったのはマチコデ。人助けの勇者も、被害者として扱われている。


「また一つ、国が無くなったな」

「……えぇ。ミラールの方が耐えましたか」

「お前の爆弾で地形が変わっただろう。あれの影響があったようだ。あんな自爆手段を持っている国に攻め入るよりも、先にマルクールを潰す。統率者がそう判断したのだと、前の記事に書いてあった。一体その情報源はどこなのやら」

「――それが本当ならば、私はいくらでも爆弾を作りますよ」



 エスティは俯きがちにそう言った。


 ロゼが振り向くと、エスティが悲しげな目で一点を見つめていた。



 エスティは、誰かを救っている気になれていなかった。力があるにも関わらず、魔族と戦っていない。そのもどかしさだけが積み上がっていた。


「……荒野を爆破し続ける気か?」

「国が滅びずに済むのならば、それも一つの手ではありませんか?」

「どれだけ魔族を倒しても魔族は減らぬ。むしろ、理由も分からぬまま増え続けている」

「そこを爆破し続けるのです」

「それは、いつか終わるのか?」

「……」


 エスティの反論が止まった。



 魔族が増える原因は分からない。

 終わりは見えない。


 時間稼ぎにはなるが、根本的な解決には至らないのだ。


「……分かりません。結局は一時しのぎでしょう。でも、何もしないよりかは死者は減ります」

「そうかもしれぬ」


 ロゼはエスティの手元の新聞を見下ろした。


 オリヴィエントの新聞には、毎号に死者数が掲載されていた。正確な数字では無いだろう。だがそれは、エスティのように読者の不安を煽っていた。



「このままいけば、4度目の滅びか」

「えぇ。早く対処しないと」

「……エス」


 ロゼはエスティに振り向き、口を開いた。


「その力には、王子様やガラングが言った通り、然るべきタイミングがあると我も思う。今エスが畑で種を作ろうとしているように、ここの魔力をネクロマリアに充当出来ないかを考えるべきだ」

「でも、そうしている間にも人は死んでいるんですよ!?」


 エスティは立ち上がった。


「そうだ。だが、お前の研究の成果が本当の救いとなる事を、皆が願って待っている。それ以外に切り札と呼べるものが無いのだ」

「……」



 エスティは再び炬燵に潜り込む。静かなジャズと暖炉の薪が爆ぜる音が、エスティとロゼの空気を落ち着かせていた。


「私は救世主ではありません。今も――」



 その先の言葉が、出てこない。


 このまま言葉を紡いでしまうと、逃げ道を作ってしまう気がした。



 エスティの目に力が入った。


「……全世界を救うだなんて崇高な事は考えていません。でも、力があるのに求められているのは【弁当箱】ばかりです。良かれと思って作った魔道具よりもです。救えたはずの命はどうなるのかと、歯痒いんですよ」

「ミアを見てみろ。あれは非常に悪い例だが、決して自分を曲げない」


 ミア・ノリスは聖女で、回復魔法が使える貴重な魔法使いだ。役目を淡々とこなしてきたミアは、現在この蓼科でゆったりとした日々を過ごしている。


「ミアがあちらに戻り、負傷者に治療をして回るのも良い。だが蓼科に残って文化を学びつくし、それをネクロマリアで流行らせたら喜ぶ顔が増える。それも良い。ミアは自分の意思で後者を選んだのだ。悪い例だがな」

「……ふふ、確かに悪い例ですね」



 エスティはロゼの言葉を考える。


 自分で選ぶという事。

 マチコデも言っていた。


 『――【弁当箱】やそれに入る食糧は、お前がいなければ生まれなかった価値そのものだ。もしお前がいなければ、ミラール国民はもっと死んでいた』


 これも一つの選択だった。自分はそちらを選び、爆弾の魔道具製造を減らした。



「……この世界には、『二兎を追う者は一兎をも得ず』ということわざがあります。二つの物を狙いを定めると一つも得る事が出来ない、という意味です。耳が痛いですよ」

「格言だな。ほら、バックスからの手紙だ」


 ロゼはバックスからの手紙をエスティに渡した。今回は短い内容だ。


「『書庫の仕事は最高。アメリアが商人で、僕が研究者』ふふ、何ですかこれ」

「先程のことわざを書いて送ってやれ。仕事ばかりに時間を使ってアメリアに逃げられないよう、しっかりと捕まえておけとな」

「えぇ、書いておきましょう。ムラカも――」



 ムラカも…………あれ?


「何かを忘れているような」

「ん……そういえば、ムラカが戻るのは今朝では無かったか?」

「……あ」



◆ ◆ ◆



「すみません、集中していてすっっっかり忘れていました!」

「そんなことだろうと思ったよ」


 4時間の遅刻だ。

 ムラカはやれやれと炬燵に入った。



「まぁいい。ほら、これだ」


 ムラカは骨の砂水オスオーの入った布袋を【弁当箱】から取り出し、炬燵の上に置いた。


「依頼の品だ。本当に宝探しだった」

「おおおおぉぉ!」


 エスティは袋の中を覗いた。

 キラキラと輝く白い砂が入っている。



「どこにあったんですか?」

「マルクールの北だ。東のネクロ山脈の麓の渓谷の片隅にあった」

「おいムラカ、マルクールへ行ったのか!?」

「あぁ。私が転移した後な――」


 バックスとの合流から、宝探しまで。

 ムラカは、一部始終を説明した。



「――という訳だ。ちょっと焦ったが、トロールを一網打尽出来てかなり助かったよ」

「いや、ちょっと待ってください……もしかして、ミアは私の爆弾を全部入れたんですか!?」

「待てエス、我も初耳なんだが」


 エスティは急いで物置を開いた。


「な、な、無い! 一個も無い!!」


 エスティは唖然として膝を突いた。


「そういえば、ミアはどこだ?」

「あやつは自室だ。我をからかいすぎたと言って、反省しているらしい」

「何だそれは……。何があったかは知らないが、あいつは昔から勝手に調子に乗った後に、勝手に落ち込むところがあるからなぁ」

「ふ、我は怒ってないと伝えてやってくれ。男を見せたらヨリも戻ったとな」



 そう言って、ロゼはポカーンとしたエスティの膝に飛び乗った。ムラカは手を振り、ミアの部屋へと向かう。


 部屋の扉を叩き、返事が来る前に開いた。


「……よう。お前、また太ったか?」

「違うわ、これは着ぶくれよ」


 ミアは寝間着で仕事をしていた。ネクロマリアと日本語の翻訳辞書を作るために、パソコンをカタカタと打っている。



「お帰り、ムラカ」

「ただいま。飲みに行くか?」

「……いいわよ、やる事があるから」

「そうか」


 こういう分かりやすい所は、昔から何も変わらない。



「そういえば、ロゼのヨリが戻ったそうだが」



 ムラカの言葉でミアの手が止まった。

 ミアは目を丸くしてムラカを見た。


「――よし、今日は宅飲みね! ムラカ、あいつを全力で祝ってやるわよ!!」

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