第70話 予期せぬ来訪者の、価値というもの
「――ミラール国民の収容場所は確保しました。残る問題は水だけです」
ガラングは眉間に皺を寄せ、オリヴィエント城から北の方角を眺めていた。
ネクロマリアの視界は悪く、遠くまでを見通す事は出来ない。しかし、あの街道の先にはミラール国民が移住する巨大な町が出来上がる。見えない場所に未来があるのだ。
「ふん。水と食糧さえあれば、オリヴィエント第二の都市になる」
移民の人口は桁違いだ。それに加えて、大陸各地からこのオリヴィエントへの大移動が始まっている。
人は資源ではあるが、仕事を与えなければ穀潰しでしかない。戦闘能力の無い国民を受け入れるため、ガラングは街づくりに奔走していた。
そして、ここオリヴィエントへやって来る人々は、当然好きで来た訳じゃない。逃げて来たのだ。そんな人々を手早く扇動するために、この国への信頼や忠誠心が多少なりとも欲しかった。だが、信頼とは時間をかけなければ育たない。
そこで鍵となったのは、信仰だった。
『この国に降臨した女神エスティが国民を守る。その魔道具で、世界を救う』
ガラングが吹聴したのはそれだけだ。しかし、効果は絶大だった。何にすがればいいのか迷い続けていた移民達が大人しくなり、前を向いて歩きだしたのだ。
その言葉の根拠は何も無い。女神エスティの性格を考えると、人の心を救うためとはいえ一言寄こせと言われそうだ。
「下らぬ……下らぬ戯言だ」
「ですが、上手くいっております」
「――よく覚えておけ。人というのは、心が弱っている時に差し伸べられる手に惚れるものだ。我々の世界での
ガラングは部下にそう告げ、再び執務室へと戻って行った。
◆ ◆ ◆
「――ん? よく聞き取れませんでした」
「エスティ、あんた耳掃除しなさいよ!」
「よい……ガラング様が、お前を全人族の王にしようと画策しているのだ」
全人族の王。
ちゃんと聞こえていた。
その言葉を聞いて、エスティはまず面倒臭いと思った。続いてガラングが嫌いになり、わざわざそれを伝えに来てくれたマチコデに対しても嫌悪感を覚えた程だ。
だが、すぐに冷静になった。
「すみません、冗談かと」
「俺も初めて聞いた時は耳を疑った」
この情報は、蓼科に来る寸前に聞いた。
マチコデにも知らされていなかったのだ。
ロゼが口を開いた。
「エスを操り人形にするつもりか」
「そうではないぞ使い魔。聖職者から流れて来た話によると、ガラング様は名誉職と仰っていたそうだ。恐らく、王では無く教祖のように扱うのだ。思うところはあるだろうが、理には適っている」
それを聞いて、エスティはアニメで見た教祖を思い出していた。確か好き放題やっていて、結構楽しそうだった記憶がある。
「……許しましょう。教祖になったら、まず労働禁止の一文を経典に記します」
「あ、それ私入信するわ。お金も頂戴ね!」
「おいエス、ミア。真面目にしろ」
「ふふ、冗談ですよ」
「はっはっは! よいぞ、余裕があるなら金を配布しても構わぬ!」
マチコデは再びエスティを見た。
「ガラング様なりに女神の扱いを考えているのだ。それに、俺もガラング様のやり方が間違っているとは思わない。女神の名を語る事で救われる命もあるのだ」
「エスの意向を無視してもか?」
「そうだ。俺はこの目で見た」
マチコデはミラール国民を誘導する際に、精神を病んだ人々を多く見かけた。特に死地から戻った者は心が壊れている場合が多く、その面倒を見る家族も同じように壊れかけていた。
そんな中、女神エスティという名は救世主のように捉えられていたのだ。そして、蓼科で暮らしながら物資を供給するエスティには何の害も無い。合理的だ。
「……」
エスティは黙って話を聞いていた。
ガラング・リ・オリヴィエント。
どこまでも強かで、有能な王だ。
「全員が生きようと必死だ。マルクール国民のように死のうなど、考えもしない」
「……マルクールはどういう状況ですか?」
「マルクールは――」
マチコデは言い淀んだが、続けた。
「――マルクールに王はいない。今残っているのは、最後まで誇りを失っていない国民と金儲けの武器商人だけだ。あそこは近いうちに、大きな墓地になるだろう」
魔族の侵攻は早かった。マルクール北部の山脈に長いトンネルが掘られていたらしく、そこから魔族がぞろぞろとやって来るのだ。
お国の為にと残った国民は、いざ死を前にすると身を翻して逃げ去っていた。それに付随して、冒険者や商人たちも散り散りになっていく。しかも全てを指揮する国王は、最初から影武者だったのだという。
「俺が聞いたのはこの辺りまでだ」
マルクール国民は自らの意志で残った。
だが、エスティには後ろめたさがあった。この蓼科の膨大な魔力を使った魔道具、例えば【地中貫通爆弾の陣】のようにもっと多くの魔族を退ける物が作れれば、救えた命があったかもしれない。
世界の全てを救うなど、そんなおこがましい事は考えてはいない。だが、助ける事から手を引いたのは自分だ。
気は晴れない。
「――私の価値とは、何なのでしょうか」
ふと、そんな不安が口から零れた。普段は弱音すらも冗談で隠すエスティの言葉で、場が静かになった。
「――――価値というものは、それが存在している時は得てして分かり辛いものだ。失われる事によって、初めて浮き彫りになる」
マチコデが話を続ける。
「【弁当箱】やそれに入る食糧は、お前がいなければ生まれなかった価値そのものだ。もしお前がいなければ、ミラール国民はもっと死んでいた」
「ですが、私がもっと頑張れば、誰かを助ける事が出来たのかもしれません」
エスティのその台詞にマチコデは目を丸くした。こんなに強い人物だったのかと、驚いたのだ。
「……はっはっは! 馬鹿をいえ、俺だってもっと頑張れば救えた。だが、自分を追い詰めてまで手を差し伸べるべきではない。何よりも、ミラール国民がいつまでも俺達に頼っているようでは未来は暗い」
マチコデは大きく笑い、炬燵から出て立ち上がった。そしてリビングを見渡し、ミアとムラカの顔を見た。
「お前達がこのタテシナに居る事にも意味がある。もしここに来なければ、何を得ていなかった? それこそが、価値なのだ」
マチコデの問いかけにエスティはハッとした。日向やこの家、それにミア達や自分の開発した魔道具。ここで得たものは、何物にも代えがたい。
「エスティ。お前が考えている以上に、お前自身の価値は大きい。よいか、お前が動くのは最後だとガラング様は考えている。俺も同意見だ。故に、安易に帰還するな。バックスの奴も持ち上げられ始めていてな、あいつも動きにくい立場なのだ」
自分の価値……。
エスティは少し、気が楽になった。
この王子様、凄く良い人だ。
マチコデがパッパッと服を整える。
帰還する時間のようだ。
「――ご配慮ありがとうございます、承知しました。でも、出来る事は勝手にやらせて頂きます。それと2点ほど気になる事があるのですが、よろしいですか?」
「何だ?」
「魔族の王について何かご存じですか?」
ヴェンから聞いた、王に会えという言葉だ。マチコデは渋い顔をして、エスティを見下ろした。
「いるはずだ。だが、姿かたちは知らん。カンドロールかもしれぬし、魔族の領地に潜んでいるのかもしれぬ。ただ言えるのは、マルクールの北のトンネルは高度な知能を持っていないと不可能だという事だ」
今回のマルクール襲撃の裏で糸を引いている魔族。正体は分からないが、上位の指揮系統は存在する。それも、カンドロールのように高度な知能を保有する統率者。
「ガラング様と相談中なんだがな、ミラール国民の移動が完了した後、俺はミラールの防衛から離れて魔族の調査に携わる。情報が入ってきたら逐一伝えよう」
「ありがとうございます」
「それで、もう一つの質問は『種』か?」
「……はい」
マチコデは知っていたかのように問いかけた。そして持参した革袋を取り出し、エスティに手渡した。
中には、小石や砂のような粉末が入っている。
「『種』とは何か。それ調べるための実験に使われた、植物の種だそうだ」
「植物?」
「そうだ」
『種が足りない』。文献でそんな文字列を見たかつての王族は、種についての研究を進めていた。
だが、実際に何かは良く分からなかった。その辺にある植物の種に小さな魔法陣を書いたり、粉々にして魔力がどうなるかを研究したりしただけだった。称号としての『種』では無かったのだ。
「それが役に立つかは分からぬが、調べてみるといい。何なら、魔力の豊富なこの地で野菜を育てるのはどうだ?」
マチコデはニヤリと笑い、広場を見た。
エスティもそれにつられて微笑んだ。
「ふふ。悪くないですね」
エスティは立ち上がり、ポケットから【弁当箱】を取り出した。
それをマチコデに差し出す。
「マチコデ様、こちらを。『ラクス救助隊』で預かっていた思い出の品々です。私が持ち帰ってしまいましたので、お返しします。それと……あの時、秘宝を使ってしまい申し訳ありませんでした」
エスティは深く頭を下げた。それを見たマチコデは一瞬だけ驚き、そして同じように頭を下げた。
「……俺の方こそすまなかったな。あの時はどうかしていた。秘宝についても結果論だ、今となっては助かっている」
マチコデはエスティから【弁当箱】を受け取り、そのまま固い握手をした。
「帰るとしよう。邪魔したな」
「いえ、非常に参考に……」
「ま、マ゛チ゛コ゛デ゛さ゛ま゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「うおおおぉっ!!」
ミアがマチコデに抱き着いた。
そのまま勢いでリビングの壁に吹き飛んだ。
衝撃で庵が揺れた。攻撃技のようだ。
「さ゛み゛し゛い゛い゛ぃ゛!!」
「うわ汚っ! ぐちょぐちょじゃないですか」
高そうなマチコデの服が、ミアの漫画のような顔体液によって汚れていく。
「さ、寂しいならお前も伴侶を見つけると良いぞ。我が妻ドロシーのようにな」
「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛!!」
マチコデの慰めの言葉が、ミアの傷口に塩を塗りこんでいった。
とても悲しい光景だ。
「気の毒ですね。ささ、お送りしましょう。兄弟子によろしくお伝えください」
◆ ◆ ◆
ネクロマリアに帰還したマチコデは、エスティから貰った手土産の【弁当箱】の中身を取り出した。
人骨。
腐った内臓。
呪われてるっぽい刃物。
盗賊から拝借した、血濡れのコート。
かつてエスティに回収して貰っていた、思い出のゴミだ。
「ふ、流石だ。良い女ではないか……」
「くっっっさ! 殿下、何ですかこれ!?」
「お前によろしく、だそうだ」
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