第69話 予期せぬ来訪者に接待をおみまいする



 見慣れない天井。

 嗅ぎ慣れない木の香り。



 ――マチコデは、ゆっくりと瞼を開いた。


「ここは……俺は確かバックスに……」

「気が付きましたか」


 人助けの勇者マチコデは、客間のベッドの上で寝かされていた。


 それも、ただのベッドでは無い。客間5部屋のうちの1部屋を急遽改築したもので、大部分がベッドになっている部屋だ。快適さを通り越して、逆に部屋から出にくくなってしまった。



 マチコデは、部屋の入口からこちらを眺めていたエスティに声を掛ける。


「――俺に、何があったのだ?」

「転移酔いです。マチコデ様は蓼科に来られた瞬間、酔って眠りにつきました」


 マチコデは自身の両手を見た。

 確かに、指先の感覚に違和感がある。


 再びエスティに向き直る。


「そうか……すまない。こちらに来てからどれぐらいの時間が経った?」

「1時間です。信じられない回復力ですよ。流石はマチコデ様、お見事です」

「……よせ」


 マチコデはかつて、エスティの圧倒的な美貌に惹かれていた。その本人に笑顔で褒められて、悪い気はしなかった。



 逆に、エスティは緊張していた。

 笑顔のまま冷や汗をかいている。


 転移酔いなんて、ついさっき思いついた真っ赤な嘘だ。マチコデが怖いので、もっと持ち上げて気分を良くさせておきたい。


「も、もう立てるのですか!? 凄い!」

「よせよせ……まぁ、これでも勇者だ」

「呼吸が出来るだなんて凄い!!」

「ん?」

「あ、失礼しました。ミア達を呼んで参ります」



 そこに、丁度ミアが様子を見に来た。

 エスティを押し退け、ドアの入口で跪く。


「ま、マチコデ様!? ご無事で!」

「ミア、久しいな。お前は確か、ブサイクな呪いをかけられていなかったか?」

「ぐっ……!」


 エスティがスッと前に出た。


「マチコデ様。ミアは現在も呪いが解けておりません。毎日ブサイクになります」

「そうか、気の毒にな……」


 マチコデは悲しい目でミアを見つめた。

 そして、今度は窓の外を眺めた。



 南窓から見える景色は、ネクロマリアでは見る事の出来ない景色だった。奥の方まで深い白樺の森が続いており、徐々に自分が異世界にやって来たという実感が湧いてくる。


 それに、この膨大な魔力。

 ここは一体何なのか。


「……話をする前に、案内を頼めるか」

「承知しました。ではまず、私の拠点をご案内いたしましょう――」



◆ ◆ ◆



 マチコデを起こす、およそ1時間前。



「――いいですか。目的だけを聞いたら、予定通り速やかにお帰り願いますよ」

「何でだ。一泊してもらえばいい」

「駄目ですよ! ムラカは特に駄目! デレデレのデレだったじゃないですか!」


 ムラカ本人はマチコデを必死で救おうとしているだけのつもりだろうが、エスティにはその本心が筒抜けだった。あのムラカにも、ぐへへ獲物が来たという下心が見えていた。


「……ちょっとだ。さっきはちょっとだけ、魔が差しそうになったんだ」

「まったく、ミアの方がマシですよ。肝が据わった冷静な顔で、状況をよく見ていました。鼻に割りばしが刺さってましたけどね」

「ふふ、そうでしょう。まぁ正直、あの場で死のうかと思ったわよ」

「記憶が消えている事を祈りましょう」



 そしてエスティは立ち上がり、炬燵に両手をついた。


「まずは掃除をします。そしてマチコデ様が目覚めた時に、各自が素晴らしい接待をおみまいするのです。私はアニメで営業の勉強をしました。相手をヨイショしてお土産を持たせ、要件だけをサラッと聞いて帰ってもらえるように動きます」

「私は漫画で料理を学んだわ。何故かドラゴンが現れる満漢全席を提供するの」

「私は狩りだな。新鮮なジビエを用意する」

「我は愛嬌を振り撒く」



 全員が表明した所で、エスティは両手をパンと叩いた。


「よし。繰り返しますが、我々の目標はマチコデ様をご機嫌にして要件を引出し、早急に帰還してもらう事です。やり遂げましょう」



◆ ◆ ◆



「――あれはテレビと言います。先程ご説明した通り、信号化した光をケーブルで飛ばし、それを光の端子に伝え、映像として出力したものです」

「……難しいな。ではこれは何だ?」


 マチコデは、ミアのタブレットを手に取った。そして画面に指先が触れた瞬間、アヘアヘの顔のマチコデが一瞬だけ待ち受け画面に現れた。


「あっ!!?」


 ミアが慌ててタブレットを奪い取る。


「いけませんマチコデ様! これを見ると呪われてしまいます!!」

「の、呪い?」

「……マチコデ様。ミアの持つ板はこの世界の汎用的な呪いの道具です。所有者を酷く堕落させ、時間を奪ってぐうたらなポンコツに変貌させます。しかも、捨てたくても捨てれません」

「呪いの道具が汎用的なのか……なんとも恐ろしい」


 ミアはマチコデにバレないようにエスティを睨んだ。そして口パクで会話する。


(ちょっと、訂正しなさいよ)

(どじょうすくい)

(ぐっ……)



「ほう、ここがお前の工房か」


 マチコデは部屋を見渡しながら、エスティの工房へと入って行った。普段は散らかっているが、今は綺麗に片付けられ、それなりの研究室に見える。


「にゃ~ん……?」

「ん? お前は確か、エスティの使い魔だったか。久しいな」

「にゃお~ん!」

「……どうやら、マチコデ様に愛嬌を振り撒こうとしているようですね。ロゼはネクロマリア語を話せるのですが、猫を被るという自虐ネタをするんです」

「そうかそうか、よしよし」


 マチコデは気にせず、ロゼの背中を撫でながら愛でた。ロゼはマチコデに見えないようにエスティを睨み、口パクで会話する。


(やめろ)

(すみません、面白くて)



「ん、あれは……」


 工房の窓から、広場の人影が見える。

 マチコデに続いて、エスティも外を見た。


 そこには、恐ろしいものがあった。


「うわっ!!」


 エスティはインパクトのあるその光景に、思わず声を上げた。


 ムラカが大きな鹿を一匹、片手で担いで立っている。狩りが成功した嬉しさで満面の笑みだが、血抜きの途中で帰って来たせいか体中が血塗れだ。


「はっはっは、相変わらずだなムラカよ!」


 マチコデは玄関から出て、ムラカに近付く。

 エスティも急いで後を付ける。



「ふふ。マチコデ様、今晩は御馳走ですよ」

「ちょっとムラカ!! マチコデ様は忙しいのです。夜までこちらに滞在して頂く訳にはいきません!」

「ぐっ……!」

「よい。俺のために取ってくれたのだ。手土産にさせて貰おう」


 マチコデがそう言うと、ムラカはパァっと笑った。相手は既婚者だというのに、良い所を見せようと必死だ。ずっと獲物を狩る目をしている。


「ではミア、この雄鹿を燻製にしてくれ」

「無理ね。燻製って超時間が掛かるのよ。まず下処理をして丸一日寝かせ、その上で水分を抜かないと出来ないの」

「そこを何とか頼む。お前は料理しか取り柄が無いじゃないか」

「余計なお世話よ! さっさとその汚れた服を洗濯してきて! あっちいって、しっしっ!」


 ミアが血塗れのムラカを遠ざける。


 ここまで必死な感じのムラカも珍しい。エスティは可哀想なものを見る目でムラカを眺めていた。



 ムラカはボテッと鹿を置き、残念そうな顔をしてガレージにある外の洗い場へと歩き始めた。美しい広場が、血のついたムラカの足跡で赤黒く染められていく。


 そして、汚れた服を脱ぎ始めた。

 脱ぎながら流し目でマチコデを見ている。


「あ、やっぱりあの人駄目ですね。今度は脱いでアピールしようとしています。マチコデ様、さっさと家の中に戻りましょう」

「わ、分かった」

「こちらですわマチコデ様。ムラカは露出狂の変態ですわね、ホホホ!」

「ぐっ……!」



◆ ◆ ◆



 その後もしばらく、エスティとミアはマチコデを案内して回った。


 狭い家なのですぐに終わるかと思いきや、マチコデは色々な物に興味を持った。見たことの無い技術や仕組み。常識が崩れていく驚きと、感動を得ていたのだ。


 全ての説明が終わったのは、空が茜色に変わる頃だった。マチコデを起こしてから、既に数時間が経過している。



 エスティ達はリビングに戻り、炬燵に潜り込んだ。


「この炬燵は特に良いな、気に入った」

「はい。この世界の冬の文化だそうです」

「文化か……まったく、ネクロマリアと技術が違い過ぎて頭が追い付かぬ」


 詳しい説明を聞かされても、マチコデは何一つ理解が出来なかった。


「私もミアもムラカも、未だに分かっておりませんよ。ここが本当に神域だと言われても、何ら違和感を感じません」

「……であるな。何よりも不気味なのはこの膨大な魔力だ。これこそ、魔族がお前を捕らえようとする理由だろう」


 マチコデは炬燵に入ったまま、周囲の魔力を集め出した。マチコデの魔力の器は小さいが、魔力操作には長けていた。



 そして、ムラカも炬燵に入って来た。広場の掃除を終えて、血の匂いの付いた服を洗濯し、シャワーを浴びた後だ。ミアがちょっとずつ大事に使っていた女子高生の匂いになれる高級ボディソープの匂いと、温泉の硫黄の匂いが混ざって臭い。


「……貴女はそんなにポンコツでしたっけ」

「何の事だ?」


 ムラカは人差し指を唇にあて、わざとらしく首を傾げて惚けた。可愛さを出したつもりだろうが、失敗してる事に本人は気付いていない。



「さぁさぁマチコデ様。せめて夕飯ぐらいは食べて行って下さいませ。私の想いを込めた手作り料理です」


 ミアがそう言って、料理を運んできた。

 パンとアスパラベーコンだ。


 ネクロマリア語で『マチコデ』の形にアスパラベーコンが並べられ、その周りには花の形に飾り切りされた野菜が並べられていた。



 エスティは何も言わずに、炬燵机に置かれたそれを自身の空間へと放り込んだ。


「あ! ちょっとエスティ!!」


 そろそろ痛々しくて見ていられない。


「マチコデ様に、これ以上のお時間を取らせる訳にはいきません。というか、色々な意味で私へのダメージが大きいです。はい呪い」


 エスティが空間からザルを取り出した。

 ミアは遠い目でそれを受け取った。



 マチコデはその様子を見ながら、少しだけ微笑んだ。


「三人共、悪いな。そろそろ戻らねばならん」


「――では、何をしに来たのだ?」


 ロゼがそう言って工房から現れ、ひょいっとエスティの上に座った。


「遊ぶ時間のある立場ではなかろう」

「ロゼ」

「よい、構わん……ふぅ」


 マチコデは深い溜め息を吐いた。

 そして、言い辛そうな顔で口を開く。


「遊びでは無いぞ。まぁ、俺自身の目でタテシナとは何なのかを把握したいという意図はあったが……ネクロマリアで厄介な問題が発生しそうなのだ。俺の口から、その内容を直接伝えておこうと思ってな」

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