第68話 予期せぬ来訪者



 まだ薄暗い、冬の早朝。


 ムラカが玄関から出て行った音で、エスティは目が覚めた。

 今日も山を登りに行ったようだ。



(……落ち着かない)


 庵の崩壊という知らせは、エスティの日常を変えてしまった。


 エスティは今までそんなに気にしていなかった庵の魔石を、数時間おきに見るようになっていた。日数が伸びていないか、何か変化は無いか。それが精神衛生上はよくない行為だと分かっていても、襲い来る不安感から歯止めが効かない。



 残り238日。

 あれから、1日ずつ減っている。


 死ぬわけじゃないはず。そうだと分かっていても怖かった。寝つきが悪いのは、この寒さのせいだけではない。運命に抗うとは決めたが、解決の糸口は簡単には見つからなかった。



 時空魔法で時間が止まればいい。

 そんな研究にまで、手を出し始めていた。


(だめですね)


 快眠ドラッグはまだ沢山あるが、アヘアヘだったミアの顔を思い出すと、キメようという気にはなれなかった。温かい飲み物でも飲もうかと考え、エスティはリビングへと向かった。



 そこで、奇妙なものを見た。


 ミアがひょうきんな格好で踊っている。


「……朝っぱらから何やってんですか」

どひょうふくいどじょうすくいというの」

「……」

「こちらの世界の伝統芸能だそうだ」

「お早うございますロゼ。早いですね」


 ミアは鼻の穴と下唇で割りばしをはさみ、ザルのようなものを持って蟹股でステップを踏んでいる。仄暗いリビングに暖炉の炎だけがゆらゆらと灯っており、まるで怪しい民族の儀式みたいだ。


「ムラカに叩き起こされたらしい」

「あぁ、昼夜逆転を治すんでしたっけ。それにしても怖いですね、自分の寝ている部屋の隣でこんな事をやっていたとは、かなりホラーですよ。ロゼ、ミアは一体何に呪いをかけているんですか?」

「自分の脂肪だ。痩せたいらしい」

「そうですか、見なかった事にします」


 エスティはお茶を一口飲み、欠伸をして再びベッドに潜り込んだ。



◆ ◆ ◆



 そして数時間後。



「うわ、まだ踊ってたんですか」

「おはようエスティ。ずっと踊っていると、どうやら不思議な感覚に陥るそうだ。意識が徐々に遠のいていくらしい」

「嫌な死に方ですね……」


 ムラカは炬燵に入り、ロゼと共に【弁当箱】の整理をしていた。バックスに送り返す用に揃えた、食糧をかき集めて詰め込んだものだ。



 そんな仕事中の二人の前で、ミアがひたすら踊っている。


「見ている我らが不思議な気分になる」

「何を見せられているんでしょうね」

どひょうふくいどじょうすくいよ」


 ちゃんと話が聞こえているだけ、まだ意識はあるようだ。


「おいエス、そろそろ時間ではないか?」

「お、そうですね。丁度起きてよかったです」


 これから、ネクロマリアの荷物が届く。

 エスティ達は全員で、転移門の部屋へと移動する。



 時空魔法が思い込みによる作用が大きいと分かった今、この転移門自体も移動する事ができる。無理をしてバックスの背中から物を転送する必要は無くなっているのだ。


 だが、このバックスとの繋がりは持っておきたかった。なぜエスティがネクロマリアで姿を現した時、バックスだけが影響を受けないのかは、これが原因だと考えていた。


 それに、ガラングがバックスを保護してくれる理由になる。同時に狙われる理由にもなるが、どちらが正解かは分からない。



「ロゼ、サプライズって何でしょうね?」

「そういえば、そんな事を言っていたな」

たえおおらといいわえたべものだといいわね

「……そうですね」


 誰かが踊りを止めた方がいいが、誰も止めない。あまり関わりたくない雰囲気になっていた。


 エスティが転移門を開くと、いつも通りドサドサと木箱が送り届けられる。重い音が鳴ると言う事は、今回も中身は魔石だらけだろう。どこから仕入れているのか、魔石の供給数が減る事は無い。


 そして、エスティは木箱があらかた送られたと判断し、門を閉じようとした。



 その時だった。



「――――ぬお」



 その声の主に、全員の目が釘付けになる。


 たとえ異世界でもその眉目秀麗な容姿は変わらない。キラキラと輝く端正な顔立ちに、スッとした立ち姿。



 革袋を抱えた、マチコデが現れた。



◆ ◆ ◆



 ムラカは、反射的に跪いた。


「元気そうだな、ムラカよ」

「お久しぶりです、マチコデ様」



 だが、他の2人は慌てていた。


「あわわ……あわわ……」


 エスティは両手をわきわきとして、口を開けたまま目を泳がせ、どうしようどうしようと混乱している。



 しかし、もっと焦っているのはミアだ。どじょうすくいの格好でザルを持っている。鼻と下唇で割りばしを挟んだままだ。今はその踊りをピタっと止め、急に顔だけ聖女を取り繕う。


「おいミア、どうしたのだその格好!?」

「ミ、ミアは呪われておりまして……」


 エスティがフォローに回る。

 良かれと思って出た言葉だった。



 だが、常にオーバーリアクションなマチコデは逆に慌ててしまった。


「の、呪いだと!!?」

「ひええぇっっ!!」


 マチコデが突然大きな声を上げ、エスティの両肩を揺らした。マチコデは基本的に対人距離が近い。いきなりのその行動にエスティは怯えた。


 そして、咄嗟に開いた空間から【快眠ドラッグ】を取り出し、マチコデの口の中へと放り込んだ。



 その瞬間――。

 マチコデは、バタンと倒れた。



「――――ふぅ、やられるかと思いました」

「おいエス!!!」

「エスティお前、何をしてるんだ!?」

「顔が近くてびっくりしちゃいまして」

「エスティの馬鹿! でも今回は許す!!」


 ミアは急いで服を着替え始めた。

 証拠は全て【弁当箱】に隠す。



 ムラカはマチコデを仰向けにひっくり返した。先日のミアのように、アヘアヘな顔でぐでんとして眠っている。


「エスティ、ミアは何時間で目覚めた?」

「4時間です。多分同じでしょう。ミア、タブレットで写真撮っときます?」

「あ、いいわねそれ」

「やめろ!! まったく……ひとまず暖かい場所に運ぶぞ。客間でいいのか?」


 そう言って、ムラカは急いでマチコデを背負った。


「私のベッドでいいわよ」

「おいエスティ、このアホにも【快眠ドラッグ】をキメさせろ」

「構うなムラカ。炬燵だ、客間は冷える」


 ロゼの決定で、ムラカは部屋を出た。



 そして、炬燵の中に人助けの勇者が押し込まれる。低温やけどにならないように、気を遣って隅っこの丁度いい暖かさの位置に寝かせて、枕も用意した。


 同時に、エスティ達も炬燵に潜り込む。



「ふぅ……」


 炬燵が暖かい。

 場が急に静かになった所で、エスティが口を開いた。



「とりあえず皆さん――今日、私達は何も見ていません。それでいいですね?」

「よくない!」

「だって、こんな悲しいサプライズは無いですよ。このまま兄弟子に送り返して、逆にサプライズしてやりましょう」

「寝ているからといって、酷い言い草だ」


 ムラカはずっと慌てているが、ロゼは冷静だ。そして、マチコデはただ気持ちよさそうに炬燵で眠っている……かのように見えた。



「それにしても、イケメンはアヘアヘな表情をしていてもイケメンだなんて。何とも罪な生き物よね……」

「ミア、早く回復魔法をかけてくれ」

「ちょっと駄目ですよミア! 貴女の呪いが復活したって言い触らしますよ!」

「悪いわねムラカ。私は今回、エスティに大きな貸しがあるのよ」

「くっ、自業自得だろう……!」



 そして、ミアは温かいお茶を配り出した。

 ロゼにも猫用のミルクを与える。


 それを飲み、一息つく。炬燵にいるせいか、全員が妙に落ち着いてしまう。



「……エス、やはりこの王子様を早く起こすべきだ。用事があってこちらに来たんだろう。それに何より、王子様には時間の余裕も無いはずだ」

「そりゃそうですけど……サプライズって、貰って困る確率の方が高い気がしますね。事前に教えてくれた方が需給が一致して良いと思うんですよ」

「あ、それ分かる」

「とにかく! 起こすぞエス。いいな?」

「ちょちょ、ちょっと待って下さい」



 エスティは部屋を見渡した。

 相変わらず散らかっている。


 ムラカが一応掃除をしてくれているが、エスティとミアの散らかしっぷりに追いつかない。先月末に大掃除をしたばかりのはずなのに、大掃除以前の状態に戻っている。


「とりあえず、先に庵を片付けましょう。マチコデ様を迎えてもおかしくないように、準備を整えるのです」

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