第67話 【快眠ドラッグ】・頼めない寒晒し蕎麦
その殺人事件は、昼下がりに起きた。
「犯人は……この中にいる」
ミアが、廊下の真ん中で倒れていた。
エスティは深刻な顔でミアを見ていた。
その隣には、呆れた顔のロゼと日向。
「犯人はお前だぞ、エス」
「わ、私にはアリバイが……!」
「その手に持っているその紫色の錠剤が動かぬ証拠だ。それを使ってミアで人体実験すると言っていただろう」
エスティが右手に持っているのは、新たに作り出した魔道具【快眠ドラッグ】。即効性の睡眠効果がある薬草を練り込んだ魔力粘土だ。
魔力粘土には時空魔法を書き込み、睡眠効果が最大になる状態で薬草を時間停止させている。唾液に接触すると魔力粘土が飴のように溶けだし、魔力の回復と良質な睡眠を促すのだ。
エスティが【弁当箱】作りに飽きて、息抜きで作ったものだった。
「……ミアもノリノリだったんですよ」
「もう自供するのか」
ミアは最近、無限に配信され続けるWeb漫画の読み過ぎで昼夜逆転していた。そして昨日も皆で夜遅くまで飲んだ後、朝まで漫画を読んでいたのだ。【弁当箱】作りで明け方まで作業をしていたエスティは、ミアが起きているのを確認していた。
そのため、ミアは生活のリズムを戻すのに丁度いいと喜んで協力してくれた。
「【快眠ドラッグ】です。キメますか?」
「キメるキメる」
その結果、こうなった。
「エスティちゃん、これ死んでないよね?」
「もちろんです。見て下さいよ、この綺麗な顔。安らかに眠りについています」
「その言い方は死んでるやつだよ」
ミアは口を開いて涎を垂らし、目が半分開いたままで眠っている。しかも白目でアヘアヘな顔だ。エスティは日向から携帯を借り、フラッシュを焚いて現場の様子を写真に収めた。
「しかし妙ですね……ふむ」
エスティは顎に手を当て、眉間に皺を寄せた渋い表情でミアを睨みつけた。
そして、ミアの周りをうろつく。
「ロゼちゃん、何か始まったんだけど」
「やらないと気が済まないのだ」
エスティは屈み、ミアの汚れた唇に触れた。
何かの液体が付着しているようだ。
「死体の口元に付いているこの黒い汚れ。これは私が大事に取っておいた八ヶ岳の牧場プリンのカラメルでは……?」
「食べ方、汚いんだね」
そして、ミアの白いシャツにこれでもかという程に付着しているポテチのカス。エスティはそれを一つ取り、パクッと食べた。
「これは私が取っておいた地域限定のわさびポテトチップスでは……?」
「そういえば、昨日笑顔で食べていたぞ」
「報道陣が押し寄せる前に処理しましょう。賄賂で磨いたこのタブレットを!」
「犯人なのか探偵なのかどっちなのだ……」
エスティはミアが握っていたタブレットを奪い取り、パスワードを変更してロックを掛けた。そしてタブレットでもミアの間抜けな格好の写真を撮り、ロック画面に設定した。
満足してニヤリと笑っていると、リビングからムラカがやって来た。
「おいミア、昼飯……何してるんだ?」
「あ、ムラカ。シェフが寝ちゃいまして」
「寝ちゃうって……昼飯はどうする」
そういえばそうだった。
エスティは、ミアが料理の仕込み中だった事を思い出した。
「日向、お昼ご飯を忘れていました」
「あ、じゃあお蕎麦屋さんでも行かない? 近くに美味しいお店があるんだよ」
「いいですが、死体を放置する訳には……」
「エス、行ってこい。我は今日もシロミィちゃんと家デートだ。そろそろこの死体も起きるのではないか?」
ロゼはミアの腹に乗っかり、ふみふみを始めた。
だが、ピクリとも動かずに目覚めない。
「……駄目か。ムラカ、搬送を頼む」
「あ、必要なら棺桶を作りましょうか?」
「いらぬ。ミアのベッドが安置所だ」
「本当に死体みたいだな」
ムラカは渋々ミアを担ぎ、ミアのベッドへと運んで行った。
「では留守番を頼みましたよ、ロゼ」
「分かった、任せておけ……おぃいムラカ、エスティの護衛を頼む!」
「えぇ? エスティに護衛が必要か?」
「必要だ、行って来い。エスティ達には大人の保護者がいなければ駄目だろう」
「私も大人なんですけどね!!」
ムラカは手をひらひらと振り、了解の意を示した。
「ふふ、家デートねぇ……?」
日向はニヤリと笑ってロゼを見た。
「……気を遣ってくれて助かる」
「こちらこそ。じゃあ、行ってくるよ」
◆ ◆ ◆
ネクロマリアの共通言語と日本語には、類似点はまったく無い。文字も文法も、何もかもが違うのだ。
だがエスティとロゼには関係が無い。ネクロマリア語で話をしているつもりであっても、ロゼの力によって会話の対象に合わせた言語、つまり、相手が日向なら日本語として自動で変換して出力されている。そのため、日向ともムラカとも違和感なく話す事が出来ていた。
逆に、2人からすると違和感だらけだった。エスティが2か国語を瞬時に切替えて話しているように見えるのだ。
「今、ムラカさんは何って言ったの?」
「『私は貧乏だから遠慮しない、一番高級そうなこの蕎麦を鍋ごと食わせろ』と」
エスティは翻訳係となっていた。
「ムラカさんってワイルドだったんだね……。あー、でもこれは、実は茅野でもかなり珍しいお蕎麦なんだよ」
「ほう?」
その名も、献上
大寒の時期に清流に1週間から10日ほど浸し、その後、寒風にさらしながら1ヶ月程度乾燥させる。舌触りがよく、もちもちとした食感の甘い蕎麦に仕上がる。徳川家にも献上された歴史も持つ。
しかも、食べられるのは限られた時期の限られたお店のみ。幻の蕎麦なのだ。
「丁度この時期に清流にさらすの。身も凍る寒さの中、蕎麦と共に川に入るんだって」
「そりゃ希少にもなりますよ……ムラカ、ちゃんと理解はできましたか?」
「理解できない。何と言ったんだ?」
「一発芸を見せないと無理らしいです」
「嘘を吐け……じゃあ、私はこれでいい」
ムラカが次に選んだのはニシン蕎麦。売切れと書いてあるが、エスティには文字が読めなかった。
「『天狗の私は魚に飢えている。代わりにこれを3杯食わせろ』ですって」
「売切れらしいよ」
「うへぇ……ムラカ、食べるにはまず魚を釣って来る所から始めるそうですよ」
「こら、まともに注文させてくれ」
とはいえ、エスティも文字が読めない。
日向がいなければお手上げだった。
「読めないと不便そうだねぇ」
「えぇ、そろそろ翻訳書が必要ですね……。というか、私も早く日本語の読み書きをしたいんですよ。アニメの続きが漫画や小説を読まないと分からないとか、悲しすぎます」
「ミアさんの仕事はどうなの?」
「全然ですよ。あの変なのが、仕事をしているように見えました?」
日向はさっき見たミアの姿を思い浮かべた。睡眠薬を飲まされていたとはいえ、あのアヘアヘ顔と、仕事が進んでいますという言葉がどうやっても一致しない。
「……はは、私は笑うしかないかな」
「あの聖女、この蓼科に飲み食いしに来たんですよ。あの人が一番この世界を謳歌していますね。本当にもう、何とか言ってやってくださいよムラカ」
「ん、今なんと言ったんだ?」
「……」
翻訳機も作ってもらおう。
エスティはズズッと蕎麦をすすりながら、ミアへの宿題を増やした。
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