第62話 北八ヶ岳の雪上散歩と王



「インドア派の2人を雪山に連れて行くというのは、裸で縛られながら目隠しして戦うのと同じです。ついでに溶けた蝋燭も垂らされます。そんなの、百戦錬磨のムラカでも戦いにならないでしょう?」


 エスティがムラカにそう訴えたら、『面白い、やってやる』と言って広場で服を脱ぎ出したので、慌てて日向に連絡を入れた。



 すると、日向は素晴らしいアイデアを出してくれた。


「来週あたりから、北八ヶ岳で雪上散歩が出来るよ。全部レンタルで」



 そんな訳でエスティ達はロープウェイに乗り込み、冬の北八ヶ岳にやって来た。



「――いいですかムラカ。登山のようにアホみたいにジャンプしたり走ったりすると、貴女が人間じゃない事がばれます。絶対にやってはいけませんよ!」

「私は人間だぞ」

「とにかく!! 分かりましたね!?」

「分かった分かった」


 両手をひらひらして、ムラカは先を行く。


「……ねぇ。漫画読んでて思ったんだけどさ、私達って蓼科ではかなりヤバい存在よね。魔法で病気とか怪我を治せるのって、お医者さん以上にお金を稼げるわよ。そしたら男……」

「そうですよ、相当ヤバい……ん? 何か良くない事を考えていませんか?」

「いやぁ、景色が綺麗ねぇ」

「棒読みになってますよ」



 ムラカに続いて、エスティとミアも白銀の世界へと足を踏み入れた。


「おおぉ、これは綺麗ですね」


 『坪庭つぼにわ』と呼ばれるこの場所は、蓼科の代表的な観光地の一つだ。木々に積もった雪が美しく繊細な景色を魅せている。木の枝まで白く染め上げられて、全てがまるで真っ白な彫刻のようだ。


 見上げれば青空、見下ろせば蓼科高原。

 雪とのコントラストが美しい。

 絶景だ。



 そして景色の中は、地面からにょっきりと雪が盛り上がっている場所も見える。


「『樹氷』と呼ばれる現象ですって」


 過冷却した霧粒や雲粒が樹木に吹きつけられて凍ったものだ。この季節のこの場所が常に寒いという事を、その樹氷が物語っていた。


「さむ……早く帰ろうよエスティ……」

「ミア、お前はもう少し風情を学べ」


 ミアの言う通り、かなり気温は低い。氷点下何度かも分からない。吐く息は白く、睫毛にはいつの間にか氷が付着している。顔がぱりぱりと張って冷たい。



「しかし、ここも魔力が凄いですね」


 雪からもじわじわと魔力を感じる。


「そうだな。一体、何が要因なんだ?」

「それが謎なんですよ。ロゼも分からないと言っていました。茅野市の建物からは魔力が薄い事を考えると、やはり自然そのものでしょうかね」


 ロゼは自然が色濃く残る場所、人の手が入っていない場所は魔力が濃いのではと憶測していた。それならばとバックスに庭先の土を送ってみたが、ネクロマリアでは魔力が霧散した。魔力の質そのものが違うようだった。


「エスティ、進んでるわよ」

「あ、すみません。今行きます」


 エスティ達が参加したのはツアーだ。

 ぞろぞろと列を作り雪の中を進み始める。



 スノーシューを履いてはいるが、雪の上は歩き辛い。いくらフカフカで良質な雪とはいえ、エスティは雪そのものに慣れていない。景色は綺麗だが、次第に周りを見ている余裕はなくなり始めた。


 そのまま、何キロか歩いた。


「ぜぇ……ぜぇ……」

「エスティは体力ないわねぇ」

「み、ミア。回復魔法をかけてください」

「駄目だぞミア。これも修行だ」

「そんなぁ……」



「――この辺りで昼食となりまーす」


 ガイドがそう言うと、エスティは雪の地面に腰を下ろした。体力は空っぽ、もうクタクタだ。


 昼食は仮設のシェルターの中で配られるようだ。バーナーを使っている影響か、シェルターの中は驚くほど温かい。エスティ達3人はシェルターの中に入った。


 エスティ達のような異国風の3人は珍しいらしく、特にエスティは注目を浴びた。フードを脱いだその美貌に、観光客たちは息を呑む。



 そんな周囲を気にせず、エスティは配られた食事を手に取った。


 暖かいスープが配られ、一息つく。

 喉を通ると、体の内側から温まる。


「はぁ……生き返りますねぇ……」

「絶景って、見慣れると何とも思わないわね。最初だけ綺麗だなぁって思うけど、後は全部同じですねって感じ」

「お前は……まぁ言わんとしてる事は分かるが、もう少し聖女らしくなれ」


 エスティは2人を見た。ミアとムラカに疲れた様子は見えない。ムラカはともかく、エスティと同じ生活をしているはずのミアの体力はどこから来るのか。



「歩きながら考えていたんだが……ヴェンがロゼに話していた言葉だ」

「『魔族に備えろ、王に会え』端的よね」

「あぁ」


 あれから数日が経ったが、未だにヴェンは姿を現さない。


「魔族に備えろって、ネクロマリアの事よね」

「そうだな、それは分かる。ヴェン自身も魔族なのに備えろというのも、少し違和感を感じはするが」

「ヴェンは統率者何ですよね?」

「そうだ」


 元ドラゴンの統率者。それだけでも、相当な実力者のように思える。



「そうなると『王』というのは、統率者の王の事でしょうか?」

「……統率者に王か」



 その話は、上級の騎士であるムラカもぼんやりとしか聞かされていなかった。


 ネクロ山脈の北側は、人族の土地よりも更に荒廃した場所だ。天気は荒れ、植物がまともに育つ場所はほとんどないという。魔族が何を糧に生きているのかすら分からない。


 そんな場所を統治する王。


 マチコデは『確実にいる』と言っていた。だがマチコデもそう聞かされていただけで、実際は誰も分からないのだ。



「リヨンの奴を見る限り、いるだろうな」

「そうね。どう見ても人族だったもの。多分、山脈の北にも人族の村があるのよね。彼ら自体が魔族なのか、それとも魔族と共存していたりして」

「それで魔力が尽きて、生き残るために人族の領土を襲いに来たという事ですか」

「……想像できるな、それは」



 エスティは考える。


 もしかすると、ガラングは最初から知っていたのかもしれない。魔族がいずれ襲いに来る事も、来たら勝ち目が無いという事も。


 王の存在についても同じだろう。

 魔族を統べる王。


 きっと居るのだ、そういう存在が。

 そして、行動を起こした。



「魔力を巡っての、生存競争……」


 リヨンは、人族となんら変わりはないように見えた。だが、生態が違うのだろう。ヴェンと同様に、魔力が無いと死んでしまう体。


 そう考えると、自分が狙われている理由がよく分かる。自分の作る魔道具を奪えば――むしろ、蓼科に来れさえすれば、統率者達は容易に生き残る事が出来るのだ。蓼科の膨大な魔力の存在を知っているとは考えにくい。魔力の混じった食べ物は【弁当箱】と共に広まったのだ。



 となると、自分以外で魔族から狙われる人物がもう一人。


「……」


 バックスには戦闘能力が無い。マチコデやガラングに守られている限りは無事だろうが心配だ。自分が巻き込んだのだ。



「……おいエスティ大丈夫か?」

「ほら、寝てないで帰るわよ」


 考え込んでいるうちに、いつの間にか休憩時間が終わっていた。他のツアー客達は立ち上がって、すでに装備を整えている。


「エスティ、色々と考えるのは家に戻ってからだ。気合いを入れろ、これからまた同じ距離を歩くんだぞ」

「そうよエスティ。ほら」


 ミアはそう言うと、周囲に気付かれないようにエスティに回復魔法をかけた。エスティの体がじんわりと暖かくなり、パンパンに張っていたふくらはぎの痛みが消える。



 ムラカはやれやれとした表情だ。

 ミアはニヤリと笑っていた。


「お礼は食べ物でいいわよ」

「……ふふ、仕方無いですね。ロゼには悪いですが、今日の夕飯は『串揚げお嬢』にしましょうか」

「いいねぇ! 元気出てきたわ!!」


 ミアはそう言うと、ずんずん歩き出した。

 来る時のうんざりした様子が嘘のようだ。



「……帰って飲み食い出来ると考えただけで、あんなに元気になるんですね」

「ん、お前気付いてなかったのか。あいつは行きの時から、ずっと自分に回復魔法を使ってたんだぞ」

「うわ汚なっ! 止めて下さいよ!!」

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