第59話 クリスマスイブは温かいか虚しいか


 12月24日、クリスマスイブ。


 雪は降っていないが、気温は低い。


 この季節に降った雪は、簡単には解けない。朝と夜に襲ってくる刺すような寒さは、冬の別荘地から人を立ち去らせる理由としては十分だった。寒暖差に対して少しずつ体を慣らしていかなければ、体調など簡単に崩れてしまう。



 そんな日の昼下がりに、エスティはロゼと共に笠島家へとやって来ていた。久しぶりにお呼ばれしたのだ。


「お邪魔します」

「久しぶりだね、エスティちゃん。今日は一段と寒かっただろう?」

「はい。でも慣れました」

「ははは、それは逞しいね」



 成典がそう言うと、日向が戸棚から大き目のパンを取り出して運んできた。


「メリークリスマス、エスティちゃん!」

「め、メリーク……?」

「メリークリスマス。まぁ、お祭りみたいなものだよ。お互いにプレゼントを交換したりケーキを食べたり。ヨーロッパの方では、こうした菓子パンを食べたりもするんだ」


 日向から手渡されたのは、シュトーレンと呼ばれる菓子パンだ。酵母の入った生地に果物やナッツが練りこまれており、真っ白くなるまで雪のような粉砂糖が振りかけられている。


「これは私達からのプレゼント」

「そ、そんな! 頂けません、私は何も持ってきてないですよ!」

「エスティちゃん、それにロゼ。僕は君達に本当に感謝しているんだ。夢だったキャンピングカーも買えたし、日向も将来パンを焼いてくれる事になった。本当にありがとう」

「成典殿……こちらこそ、感謝しかない」


 エスティも感激し、成典と日向を見た。


「私も感謝しかありません。お二人とも、本当にありがとうございます。クリスマスって、こんなに温かいものなのですね……!」



◆ ◆ ◆



 その日の夜、エスティの家にて。



 リビングの床には、3列にカラーテープが引かれていた。そして各カラーテープごとに、本日の夕食が並べられている。奥に進めば進むほど、その内容が少しずつ豪華になっていた。


 今日はクリスマスイブだが、それにちなんだ装飾では無い。


 そして、エスティ達は1列目のカラーテープの前に横並びで立っていた。



「まず、最初の線から先は独身者だけが通っていいわよ」

「全員ですね」


 一番手前に置かれているのは、コンビニのツナマヨおにぎりだ。


「ロゼは駄目よ、そこに居なさい」

「なっ、我はまだ独身だ!」

「結婚予定があるでしょう、駄目よ」

「ぐ……!」


 厳しい審判が、自分ルールを出してきた。



「次の線は、生娘だけが通っていいの」

「私はここまでか」


 ムラカが足を止めた場所には、カップ焼きそばとお茶が置かれていた。カップ焼きそばは何故か封が開けられており、お湯を入れる前から既にソースがかかっている。湯切りでソースごと流れろという、審判の悪質な嫌がらせだ。



「最後の線はアラサーだけが通っていいの」

「どんな基準ですかそれは」


 エスティが足を止めた場所には、フライドポテトとポテチがお皿に盛ってあった。その隣にはヒゲ眼鏡の衣装とクラッカー。申し訳程度にクリスマス感が出されていて、何だか虚しい。エスティはひとまずヒゲ眼鏡を装着した。



「あら、ここは天国? なんて美味しそうなシャンパンとシュトーレンなのかしら!!」


 最後の線を越えたミアは、ソファに座ってシャンパンをぐびっと飲み始めた。そしてグエエェと聖女のゲップを吐き出し、シュトーレンを見せびらかすかのように食べている。



 無駄な茶番に付き合わされたと、他の2人と1匹はぞろぞろとダイニングチェアに座り、皆でポテチを摘まみだした。


「なるほどな、線を越えれば越えるほど悲しみを背負うという訳か」

「心に余裕の無いランキングかと思った」

「しー! 2人とも殺されますよ!! あの聖女にも辛い事があったんです。大人な私達は、ワンランク上のこちらのシュトーレンを頂きましょう」

「全部聞こえてるわよ」


 やさぐれた聖女は、片足を上げて返事した。ソファで横になった状態から、もう既に動く気は失せているようだ。



「大体クリスマスなんてのはね、飲食業界と宿泊業界の陰謀よ。サンタクロースとやらも血塗れのマーダーグールと同じね。あの袋の中には人間の汚い感情が入ってて、それを子供たちに分け与えるのよ」


 ミアは早くも酔っているようだ。


「……エス、何か言い始めたぞ」

「放っておきましょう。性の6時間を忘れようと必死なんですよ。しかし、笠島家で味わった優しいクリスマスとの落差が凄いですね」

「な、疲れるだろう?」


 ムラカが少し嬉しそうにそう言った。ミアと飲む事の苦しみが分かる人が増えて、喜んでいるようだ。


「ムラカは恋人は作らないんですか?」

「私は恋とは感覚で落ちるものだと思っている。その時が来れば恋人を作るし、来なければ独身でいいさ」

「うわっ、ちょっと格好良いですね」

「その台詞、我も使わせてもらおう」


 一体誰に言うんだと思ったが、エスティは言葉を飲み込んだ。そして【お酒用弁当箱】からシャンパンを取り出し、ムラカと乾杯してクイッと飲む。



「ぷは~……ようやくひと段落しましたね」

「【弁当箱】の件か。いよいよ、ミラール国民の大移動が始まるんだな」

「えぇ」


 この件は、情報を怪しんだロゼがバックスから手紙で知らされた内容だ。新聞に大々的に載るのもあってか、バックス側も隠せなくなったらしい。エスティには心配をかけまいと黙っていたのだ。


 それを聞いたエスティは、ムラカと共に買占めにならないように大量の水と食糧を集めた。そのまま食べれる高カロリーな食材ばかりなので、それなりに役に立つはずだ。



「一体、何万人が亡くなるのでしょうか」

「意外と死なないと思うぞ。街道沿いは荒れてはいるが、基本的に安全なんだ。それよりも問題なのはマルクール公国だろうな。エスティ、お前はマルクール公国からの要請は受けていないのか?」

「えぇ、何も聞いていませんね」


 マルクール公国は死を覚悟している。


 エスティは気の毒になって【地中貫通爆弾の陣】を作って送ろうかと準備をしようとしたが、ロゼに止められた。マルクール公国がエスティを頼り始める事を恐れたのだ。


「……しかし、バックスの奴め。我らに全ての情報を開示しろと言っているのに」

「私のせいで難しい立場になっちゃいましたからね。強くは言えませんよ。ガラング様からは頻繁に呼ばれているみたいですし、制限でも掛けられているんでしょう」

「ほう。大出世ではないか」

「人質ですよ。あの王は腹黒いというか、やり方が気に食わないです」


 エスティは未だにガラングを好きにはなれなかった。わざと選択肢の無い事を選ばせようとするタイプだ。半分嫌がらせで作った【仮面の女神】は有効に稼働してくれているだろうか。



「んあ~、シャンパンなくなっちゃった!」


 ミアが空気を読まずに、シャンパンを持って来てと言っている。


「……最近、私はミアに男をプレゼントしようと思っているんですよ」

「男? 中島の事か?」

「違います、ホムンクルス的なやつです。この世界にはラブドールという性的な人形がありまして、それにヴェンを組み込めないかと」

「こらエスティ、私の使い魔をそんな気味の悪い魔道具に使うなよ」


 ヴェンは全く姿を見せていない。長い間ラクス山脈から出ていなかった影響か、蓼科の魔力に体が慣れないそうだ。



「だってほら、見て下さいよ。こんなカラーテープまで用意して、我が身を切ってまでボケようだなんて可哀想じゃないですか。今日はクリスマスなんですよ」

「エス……考てもみろ。性的な人形と結婚させられる方が可哀想だ」

「あれれ~、シャンパンないわねぇ~!」


 ミアはどうしてもシャンパンが飲みたいようだ。声量が大きくなってきた。



「……一人で生きていける人って、時折、鏡に映る自分やぬいぐるみと会話をするらしいですね。その後、自分は何してるんだと悲しく笑うんです」

「それを性的な人形相手にやらせる気か」

「えぇ。聖女ミアなら、独身の境地というやつを見せてくれるはずです。最近はテレビショッピングのモノマネを風呂場でコッソリとやっていますからね、夜な夜な一人で」


 エスティは席を立ち、【お酒用弁当箱】からシャンパンを取り出す。ミアが酒屋で購入した高級なものだ。



 ソファで横になったままのミアに近付いて、ミアが手に持っていたグラスにシュワシュワと注いでいく。ヒゲ眼鏡は装着したままだ。


「ミア、メリークリスマス」

「あら? メリークリスマス。プレゼントは何をくれるの?」



 クリスマスは、温かくなければならない。

 エスティはミアに優しく微笑んだ。


「中島さんが今日、合コンに行った話を」

「やめろおおおお!!!」


 ミアのグラスが虚しく砕け散った。

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