第58話 ほうとうと古竜とひょっとこ
古竜ヴェンの影と名乗った使い魔。
竜の影という、レイスに似た存在だ。
ヴェンはラクス山脈から蓼科に転移してきた時点で、かなり弱っていた。
「無理だ」
一瞬だけ現れたと思えば、そう告げて再び眠りについた。影を維持するのも精一杯のようだ。今も一体どこにいるのかも分からない。主であるムラカが呼びかけても、その姿を見せなくなっていた。
ヴェンは自身で使い魔の契約の術式を呼び起こし、周囲の魔力でそれを実行した。その上、制約までもを操った。会話が出来るというのも普通では無い。特別な存在だったという事は容易に想像できた。
しかし、エスティはそんな使い魔の事よりも、工房机の上の【弁当箱】にあるお宝をどうするかで頭が一杯だった。
ムラカは
だがその代わりに、なんと古竜ヴェンの素材を持ち帰ってきた。
あのドラゴンだ。何でも出来る。
「ぐへへ……ぐへへ……」
「エス、我とその素材のどっちが好きなのだ?」
「ロゼ、あんたそれヤンデレと言うのよ」
「おい煮えてるぞ、これ食っていいのか?」
季節は12月の中旬。
本日の夕飯は、炬燵にてカボチャたっぷりのほうとう鍋だ。
「お隣の山梨県という所の名物よ」
「ミアは着々と食の開拓を進めていますね」
「私は貪欲で食通で、何よりも暇なのよ」
ミアがほうとうを取り分ける。本人の食通が幸いしてか、ミアの料理の腕はかなり上達していた。
「ほらロゼ。元気を出してください。シロミィちゃんに会いに行くんでしょう?」
「……は、そうであった! 行かねば!」
ロゼはそう言うと、慌てて炬燵から抜け出て、ささっと外へと飛び出していった。シロミィに心の傷を癒してもらうつもりらしい。
「……エスティ。あんたがドラゴンの素材に興奮して白目むいてペロペロしてるから、ロゼが拗ねちゃったのよ」
「ペロペロしてませんよ。あれは素材に嫉妬しているというよりも、ヴェンがいる事でロゼの個性が薄まるのが不安なんですよ。ミアだって、自分みたいなのがもう一人現れたら鬱陶しいでしょう?」
「めちゃくちゃ鬱陶しいわね」
「まぁ今でも十分鬱陶しいグェッ!」
炬燵の下で、ミアがエスティに攻撃した。
足だけで寝技をしている。
「ふ、変わらんなお前達は」
ムラカは2人を見ながら上品にほうとうを口に運ぶ。味噌汁とカボチャの味が染みていて美味しい。
「はぁ……はぁ……む、ムラカこそどうなんですか。何でまた急に使い魔の契約を?」
「そうよ。しかも古竜ってどういう事?」
「大した理由は無いんだがな。実は――」
「あ、ちょっと待って。それ長くなる? 私そろそろ膀胱が破裂しそうなんだけど」
「…………早く行って来い」
それを聞いて、エスティは少し安堵した。自分より駄目そうな人がいると心に余裕が出来るのだ。
「ふふ、ミアは可哀想ですね。時空魔法があればどこでもトイレが出来るのに」
「やめてやれ、バックスが泣くぞ。お前達は本当に何も変わらないな……」
ミアがトイレから戻ってきた所で、ようやくムラカは事情の説明を始めた。
「――なるほどね。つまりムラカは、エスティからの依頼も無視してほうとうのようにズルズルと流された訳ね」
「……それでだエスティ。ヴェンは当初お前の魔力を貰うつもりだったそうだが、蓼科の魔力にゆっくり順応していく方向に変えたらしい」
「ミアも華麗に流されましたね……ではムラカ、ヴェンが復活するまでは何もせずに放っておけばいいという事ですか?」
「あぁ。素材も自由に使って構わない」
その言葉でエスティの目が輝いた。
あれは財宝だ。劣化や損傷はあるが、角や鱗、それに骨は素材として十分に使える。
「ドラゴンの骨とか、いい出汁がとれそうね」
「絶対にやめて下さい!」
「お前、また少し頭がおかしくなってきたな」
「またって何よ。じゃあ骨は一体何に使うの?」
骨の使い道は、実に幅広い。
まず骨自体に強度があるため、そのまま武器や防具に変わる事が多い。そしてたとえ骨が欠けていたとしても、粉にして薬の調合に回したり、インクに混ぜて魔法陣の強化に使う事もある。骨粉でも凝縮された魔力の粉のようなものなのだ。
角も鱗も同様だった。ドラゴンの素材はどれも優秀で、捨てる部位は無い。
「この前の【地中貫通爆弾の陣】に骨一本をねじ込めば、魔石を使わなくても効果は倍になります」
「倍!? やめてよ!」
「作りませんよ。何ですかその変な顔は」
「これは『ひょっとこ』と言うのよ。この世界の滑稽な道化役を演じる時の顔らしいわ」
「ミアはちょいちょい挟んできますね、そういう不気味なネタ……」
ミアは唇を尖らせ、目も逝っている。
馬鹿にされている気分になる顔だ。
エスティはそんなミアを無視して、【弁当箱】から古竜ヴェンの骨とこぶし大の石を取り出した。
鍋の横に置いて、それをうっとりと眺め始める。どこの部位かは分からないが大きな骨だ。断面を見る限り、ヴェンの元々の姿は巨大だったのかもしれない。
「実に美しい……まるで宝石のようですね」
「エスティ、この綺麗な石は何なの?」
「消化できなかったエサが腸内で結石化した物ですよ。つまり、ウンコです」
「ちょっと、食卓に並べないで!!」
ミアが破壊しそうになったので、エスティは慌てて結石を手に持った。
青い宝石がいくつもまとまっている。
当然、ウンコの匂いはしない。
そして、ふと思い出した。
「確か、ドラゴンの結石って庵の拡張素材で見た事があるような……」
エスティは立ち上がり、リビングへと向かう。そして庵の魔石に触れ、【高度な追加機能】を確認した。
「――あった、これですね。ドラゴンの内臓結石で、庵に《浮遊》を追加する事が出来ます」
「何それ、この家が浮くって事?」
「さぁ。今度やってみましょう、ふふ」
家が浮いてどうなるのかも分からないが、ひとまずエスティは竜のウンコを自身の空間に収納した。そして再び炬燵に戻り、ほうとうをぱくぱくと食べ始める。
「しかし、ヴェンとは何者でしょうか?」
ドラゴンの影というのも珍しいが、喋るドラゴンというのも物語でしか見た事が無かった。
「『名も無き竜』という名で通っていたそうだ。神話には載っていなかったが、それに近い時代の伝聞書には『ネクロ山脈西方に潜む巨大な竜』とだけあったな」
ヴェン自身も当時の記憶が断片的なのか、ムラカに対して曖昧な事ばかりを話していた。
「……ヴェンは、エスティの魔道具をラクリマスの物だと言っていた」
「
「あの会議の事ではない。その元になった名前を持つ、古代の魔法使いの方だ」
ラクリマスという名の魔法使いについては、ネクロマリア各国に記録が残っていた。
そしてそれは、強さが起因したものではなかった。ドラゴンや大物魔獣を倒したと言うよりも、魔族を抑えながら国を大きく繁栄させたという、その統治能力を中心とした言い伝えが大半なのだ。
有名ではあるが、人気という訳でも無い。過去のちょっとした偉人の一人。多くの人々はそんな認識だった。
「そのラクリマスが、時空魔法を使っていたという事ですか?」
「多分そうなんだろうな。ヴェンの奴が起きたら、その辺りを問い詰めたい」
「いつ目覚めるの?」
「さぁな。さっぱりだよ」
ムラカは目を閉じ、箸を置いた。
小食なムラカはもう満足したようだ。
「その骨で骨酒を作りましょうか。悲しみで目覚めるかもしれないわ」
「お前は飲みたいだけだな」
「そうよ。今の私は飲酒祭り中なの」
そう言って、ミアは再びひょっとこの顔をした。茅野市の酒屋で何かを吹き込まれたようで、酒瓶を両手で抱えたような間抜けな格好をしている。
「ミアを見ていると、人生について深く考えてしまうよ。28歳独身の人生をな」
「あんたもでしょムラカ。我が同胞よ」
ひょっとこの顔でムラカと肩を組む。
ムラカは嫌そうに顔を背けた。
「そういえばミア。来週あたりの夜に、性の6時間というのがあるらしいですよ。何でも、性行為が最も行われやすい6時間だとか」
「くっっっっだらない文化ね!! 骨酒を作って酒の6時間にしてやるわ!!」
「あ、ちょっとミア!」
ミアが骨を持って厨房に向かい、エスティが後を追う。
ムラカは虚しくなって、窓の外を見た。
「あいつはしばらく独身だろうな……」
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