第57話 名も無き古竜の山嶺
その古竜についての伝聞は、古くから各地に伝わっていた。
しかし、その全てが眉唾だった。
ある国では青く輝く巨体で空を飛ぶと伝わっていたり、また別の国では、まるで皮と骨しかないようなやせ細ったドラゴンだと伝わっていたり。当時はドラゴンを見る事が名誉として捉えられていたのか、見てもいないのに吹聴される事が多かったのだ。
それも仕方のない事だった。わざわざ命を懸けてまで、魔族の境界にある山の頂まで古竜を見に行くという奇特な人物は誰もいない。
それ故に、皮肉から付けられた山の名前は『名も無き古竜の山嶺』。ラクスの図書館で、ムラカはそう聞いていた。
「――見えた」
そんな場所が目の前にあった。
山の中腹から魔物はいなくなり、急こう配の岩場がずっと続いていた。そして山頂付近はごつごつした岩と尖った尾根が行く手を阻む。
足場も悪く、油断すると真っ逆さまに落ちかねない。更に危険な事に、風も非常に強かった。雨が降れば嵐になりそうだ。
「こんな場所に、デカいドラゴンがいてたまるか」
ムラカは岩に掴まり、安定した場所に両足を置いた。そして、眼下の景色を眺めた。
絶景。
その言葉以外、浮かばない。
ラクスからはかなり距離があったはずだが、それでもラクス城が見える。更に西方には海。まるで鳥になった気分だ。
そして尾根の反対側にある魔族の領土は、岩肌が長く続いていて見渡す事が出来ない。少しだけ足を踏み入れたい気もしたが、ひとまず眼前の山頂を目指すことにした。
周囲の岩肌には高山植物が生えている。
この辺りには魔力が根付いている。
久しぶりに嗅ぐ、草花の良い匂い。
蓼科が恋しい。
一歩一歩、足場を探す。
岩をよじよじと上り続ける。
――そして、ムラカはようやく山頂に立った。
人が一人立てるだけの狭い場所だ。
雲は薄く、流れる速度は速い。
風の音しか聞こえない。
周囲にドラゴンはいないようだ。あの中腹で聞いた唸り声は、魔物の声だったのだろう。大きなため息を吐き、もう一度ラクスの方角を眺めた。
「……何をやっているんだ、私は」
「――――何の用だ」
背後からの声に、ムラカは反射的に剣を抜いた。咄嗟に体を翻し、低く構えて前を見る。
……こんな場所で、会話が出来る相手。
「統率者か……!」
周囲に足場など存在しない。それにこの強風、並の魔物では安定して飛べないだろう。それに、ドラゴンなら一発で分かる。
「――敵意は無い」
重く深い声……というよりも、頭の中に直接流れてくるようだ。感情までもがこちらに伝わってくるようで、気分が良いものではない。
だが、確かにそこから敵意は感じない。
ムラカは剣を納めた。
「場所が悪いな。戦えん」
「――人は変わらぬな」
「私はラクスの騎士ムラカ。こちらにも敵意は無い、その姿を見せてくれ」
ムラカは腰を下ろし、胡座をかいた。
すると、声の方角に青い靄が現れた。
「……そうか、お前はレイスの亜種か」
「違う、レイスにも及ばぬ」
「では何だ?」
「吾輩は竜であった。体はもう朽ちた」
竜。
この青い靄はドラゴンの成れの果て……。
そんな現象、ムラカは聞いた事が無かった。
「……何故、レイスのようになっている?」
「魔力だ」
「何?」
「魔族は魔力が有る限り消滅せぬ。人族が空気を吸って生きているのと同じように、魔族は魔力によって生きている。魔力があれば生き延び、無ければ死ぬ」
「……なるほどな」
なるほどな、とは言ったが、初耳だった。
今まで斬ってきたた魔族もそんな事はなかった。この意思疎通ができる竜の方が特別な気がする。
「こんな場所に何の用だ」
「私は山が好きなんだ。景色を見に来た」
ムラカは満足そうに微笑んだ。
ここは、冷たい強風が吹き荒れる山頂だ。
「………………くっくっく」
「何だ、おかしいか?」
「ムラカよ、吾輩は少しだけ心が読める。お前が嘘を吐いていない事に、驚きと呆れを感じた」
すると、靄の色が濃くなった。先程は今にも消えそうだった水色だが、今は夏空のように青い。
「取引だ」
「何?」
「その柄に付いている魔石、それはラクリマスの作った物だろう。吾輩はそれが目当てで声を掛けた。吾輩の死体をくれてやる代わりに、そいつを寄こせ」
………………
ムラカは柄を見た。
これは、エスティから貰った剣だ。
この二つの魔石には時空魔法が刻まれている。一つは魔力を補填するために蓼科の魔力が詰められた魔石。もう一つは水が大量に保存されたものだ。
この青い何かは、自分の知らない事を……いや、人族の間で知られていない知識を蓄えている。
ラクリマスは古代の魔法使いで、エスティとは何ら関係は無い。なぜその名を出したのかは分からないが、この魔力が目当てならば安定して供給ができるはずだ。
ムラカはそう考えて、気が付いた。
心を読まれている。
「そうか、ラクリマスでは無いのか」
「お前――」
「……まぁよい。むしろ、継続的にもらえるのであれば都合が良い」
そして、青い靄は更に形を変えていく。羽と尻尾と角。青い靄の姿は、人の頭ほどの大きさのドラゴンの影に変化した。だが実体はないままで、向こう側の景色が透けて見えている。
「この地の魔力はもうすぐ尽き、やがて吾輩は消えてしまう。これも運命の導きだ、お前の使い魔になってやろう」
「おい、何の話だ?」
「知識が欲しいのだろう? その代わりに、お前は継続的に魔力を供給するのだ」
「使い魔の話だ、私は望んでいない」
《使い魔の契約》。
魔法使いが
この魔法は特殊だった。そのため、使い魔を求める魔法使いとそうでない人は真っ二つに分かれる。『自身の一部を削る』という制約が問題なのだ。
削られる代表的なものは寿命と血。他にも体に欠損を生んだり、魔力の器をごっそりと奪われる場合もある。エスティはロゼに血を与えた時、血と魔力と寿命を削られた。それでも運がいい方だった。
更に成功率は高くはなく、何度やっても失敗する者もいた。そして使い魔に付与される願いは術者の意図を汲んだものに近くはなるが、必ずしもそれが良い結果を生むとも限らない。
つまり、リスクとリターンがほとんど見合わないのだ。
「契約は成功する」
「そうじゃない、私はこの体が欠損するのは困る。魔力が欲しいのであれば、別に使い魔じゃなくてもいいだろう」
「失うのはお前の血だけにしてやろう」
「選べるのか?」
「選べる」
血なら元に戻るが……信用していいのか。
出会ったばかりの、この竜もどきを。
知識は気になる。
「実態も攻撃手段も無い。使い魔としての力は何もない。あるのは知識だけだ」
「信用できないんだよ、お前を」
「信用は積み重ねだ。乗るか、ムラカよ?」
ムラカは考える。
自分が進んできた道。
今のあるべき騎士の姿。
自分の役割とは一体何なのかが、ムラカにはよく分からなかった。
腕を磨いて一流の域にまで達しはした。だが、魔族は倒しても倒しても終わりが見えない。マチコデに付いて行って人助けを繰り返してはいるものの、それ以上に人は死んでいく。
このままでいいのかと悩んだ事もあったが、進むしかなかった。
だが、ここに来てこれだ。
エスティと同じように、自分の運命の振り子が動き出したのかもしれない。
風は、相変わらず強く吹いていた。
ムラカは口を歪ませ、言い放つ。
「乗った」
◆ ◆ ◆
蓼科を出て20日とちょっと。
転移門が閉じ、ムラカは蓼科に戻って来た。
「やはりいいな」
久しぶりに嗅いだログハウスの匂いに、少し安堵する。
扉を開けて廊下に出ると、ミアが仰向けで倒れていた。
「あら、お帰りムラカ。何してんの?」
「それはこっちの台詞だ。何をしている?」
「何もしてないわよ。歩くのが面倒で暇だったから、仰向けで進んでるの」
「……」
「エスティー、ムラカ帰って来たわよー!」
ミアの呼びかけで、リビングの扉が開いた。エスティとロゼがばたばたとやって来る。
「お帰りなさいムラカ。無事でしたか。結構時間がかかりましたね」
「悪い、遅くなった」
「それで、
「あー、それはだな……」
何を返そうかとムラカが悩んでいた時。
ロゼが目を丸くして、ムラカの背後を見ていた。
視界にとらえたのは、青い竜の影。
それがムラカの使い魔だと、ロゼは本能で感じ取った。
「――吾輩は古竜ヴェンの影。ムラカの使い魔だ。ラクリマスの血を継ぐ者よ、よろしく頼む」
ヴェンはそう告げると、壁をすり抜けて広場へと出て行った。
「……何ですか今のは?」
「古竜の使い魔だ。何となくというか、流れで使い魔の契約をしてしまった」
「はぁ!? ムラカ何してんの!?」
驚くミアとエスティに対し、ロゼは茫然とムラカの方を見ていた。
悲しげな表情で、目が潤んでいる。
「我とキャラが被っている……」
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