第56話 【青幻惑草の雨】・愛の地獄絵図



 バックスから荷物が送られてきた。



 ここ最近のやり取りは、ほぼ2日に一回で固定されている。エスティが生み出した魔道具とネクロマリアのインゴットの交換が続いていた。



 金インゴットで送られるようになってから、貴金属買取業者から額が大きすぎて怪しまれていると言われた。そのため、銀やすずのインゴットと併せて、色んな場所に売り捌きたいと頼まれた。


 エスティはそんなに資金にも困っていなかったため、量を減らしての別の手段での換金に切り替えを検討していた。その辺の知識は、貴金属買取業者と陽子任せだ。


 アメリアからはインゴットが面倒臭いとの手紙が届いた。エスティ科学商会の経理は彼女が取り仕切っているようだ。



 バックスから送られてくる木箱の数は、普段なら10箱程度。


 だが今回は違った。


 いつもの3倍、30箱が送られてきて、しかも中身は魔石ばかり。2日で送り返す量にしては相当厳しい。基本的に働きたくないという想いが軸にあるエスティにとって、ウッっとたじろぐ量だ。何かあったのかと不安になったエスティは、早速バックスからの手紙を開いた。



「エス、何と書いてある?」

「……ミラールが無くなるそうです」

「何……!?」


 ソファに座るエスティの隣に、ロゼが寄って来る。


「『ミラール国は解体。主にオリヴィエントが受け皿となる事がネクロマリア全土に通達された。王都ミラールはオリヴィエント国のミラール前線基地として僕とマチコデ殿下が滞在する事が決定』兄弟子は戦うんですかね?」

「それは無いだろう。バックスは女神の使徒として扱われているのだ、あの王子様とセットにしておく方がいいと判断したのではないか?」

「むぅ、心配です」


 マチコデなら守ってはくれるだろうが、魔族との戦闘経験のないバックスは逃げるしかない。何か守れる魔道具を作ろうかと、エスティは考え始めた。



「エス、続きを」

「『ムラカ殿は依然行方不明』」

「あやつ……」

「死ぬとは思えませんが、心配です」


 ムラカは強い。不意打ちでない限り大丈夫なはず。だが、オリヴィエントではその不意打ちで致命傷を負った。


「まぁ、今は待つしか無かろう」

「そうですね。珊瑚の亡霊コーラルレイスに負けるとは思えません、どっかで油を売ってるのでしょう。えぇと……『今回から量を増やす。全て【弁当箱】でお願い。中身は栄養価の高い食糧と飲み物。前線基地の食糧を固めるため』。なるほど、今が売り時ですか」

「む……」


 エスティは売り時だと判断したが、ロゼは違った。戦争の前のように兵糧を固めている段階だろうかと、不安がよぎる。



「『【弁当箱】だけでは退屈だと思うので、ミラール国にあった面白そうな研究材料をいくつか送る』ほう、どれどれ……?」


 エスティは木箱を漁り始めた。


「こ、これは青幻惑草! 急がなければ!」

「何だそれは」

「ロゼ、知らないんですか!? ふふ……これは面白い魔道具が作れますよ」


 エスティは説明もせず、幻惑草を持って小走りで工房へと入っていった。


 嫌な予感がする。


「……見なかったことにするか」



◆ ◆ ◆



「やだわぁ……うふふ……キャッ! そんなペロペロしないで下さいまし!」



 ここは、八ヶ岳山麓にある牧場。


 エスティとロゼの目の前で、聖女ミアが恍惚とした表情でアルパカを愛でていた。どうにかしてこのアルパカを自分に振り向かせようと、胸元を見せ付けて必死でアピールしている。



 エスティとロゼは、物陰からその様子を眺めていた。


「我は何を見せられているのだ……」

「これが青幻惑草ですよ。短時間ですが強力な催淫効果があります。オスメス関係なく、周りの生物が全て自分好みに見えて求愛行動に走ります」


 どんな生物も自分好みに見える。


「青幻惑草は摘み取ってからどんどん効果が薄まるので、その効果を時空魔法で固定しました。ミアを見る限り、効き目は十分に残っているようですね」

「……恐ろしい草だ」


 自分が実験台にならなくてよかった。虚ろな目のミアを見て、ロゼはそう思った。



「あらぁ、カッコいいわぁ……好きぃ……」


 今度は脱糞中のヤギに惚れているようだ。ヤギの肛門を凝視している。


「ママァ、あの人なにしてるのぉ?」

「しっ! 見ちゃいけません……!」


 観光客がミアから離れていく。ミアの周りにはアルパカとヤギしかいない。ひたすら話しかけているミアは不気味だ。



「実験に問題はなさそうですが、ヤギの肛門が一体何に見えているのでしょうかね?」

「分からんが、とにかく奴が気の毒だ。効果はいつ解ける?」

「数分ですよ、へーきへーき」


 ミアは糞が散らばるゾーンを、エヘエヘと笑いながら闊歩している。斜めになりながら歩いていて、酔っているようだ。



「この世界の宗教によれば、人は『渇愛』という欲に支配されているそうです。対象のものごとを貪ったり、執着することを指す言葉で、物欲や睡眠欲や色欲など、人が行動する根っこに近い部分です」

「ほう」

「それを突き詰めるとあんな風になるんでしょうね。働かず、食べて寝てエロい」

「エス、我はこの後が怖い」

「ふふ……何だか私も怖くなってきました」



 ミアに再びヤギが集まって来た。


「ミアー、帰りますよ! 早く帰ってお風呂で流してしまいましょう」

「ん……貴女、素敵ね……キスしましょう」

「は?」


 ミアがヤギを押しのけてずんずんとやって来た。そしてエスティの腕を掴み、ぐっと顔を引き寄せる。



「ほら、その綺麗な唇を私に頂戴――」

「こらやめっ……ちょっとこの怪力! ロゼ、ロゼ!! うああああぁ!!!」

「ほらじっとして……チュ~!!!」

「……気の毒だ」


 ヤギに囲まれながらブチュウとキスをする二人を、ロゼは肩を落として見ていた。



◆ ◆ ◆



 ミラール国は解体される。


 衝撃的なその知らせは、魔族の進行によってまた一つ国が崩壊した事を示していた。


 危機的状況だったマルクール公国よりも先に、あのミラールが崩壊した。次はどこの国だ、受け皿はどこだなど、そのニュースは各国に混乱を招き入れていた。



 最も混乱していたのはミラール国民だ。魔族とも戦わずに国の誇りを捨てた王に対して、ミラール国民は怒りに満ちていた。


 王都ミラールの王城前広場には、今日も未来を見失った国民が集まっている。ここ連日、粗暴な男達はこうして兵士と衝突しながら過ごしていた。



 しかしバックスは普段通りだ。

 いや、今日は普段よりも興奮していた。


「この魔道具は凄いですよ殿下……!」

「バックス、お前もうちょっとこう……まぁいい。どう凄いのだ?」

「広場の大混乱を鎮める事が出来ます!!」

「な、何だと――!?」


 思わずマチコデは大きな声を上げた。危うく、広場を覗いている窓に顔を出しそうになる。慌てて座り直し、姿勢を整えた。


「よ、よし……手紙を読んでくれ」

「はい。『この魔石は【青幻惑草の雨】と呼びます。かなり特殊な魔道具です。兄弟子から頂いた貴重な幻惑草を分解し、成分を時空魔法で拡散させて凝固しました。劣化はありません』」


 マチコデの視線の先、机の上には、緑色の鉱石のような魔石が置いてある。


「『使用された場所の上空に直径300mほどの魔法陣が展開し、やや強化された青幻惑草の効果のある雨が数秒間だけ降ります。雨が体に触れるとその人の心が清らかになり、愛の溢れる気持ちに一時的に変化させます。つまり、戦闘を休止させてお互いを思いやるようになるのです』」

「何と……争いを止めるのか!」


 心を鎮めて、戦争を止める魔道具。


 これは、確かに凄い。

 戦況を一変させる魔道具だ。

 バックスが興奮するのも分かる。



「……よし。バックス、頼めるか?」

「はい! どうか、私に任せて下さい!!」


 バックスは声高らかにそう告げ、決死の覚悟で魔道具を持って部屋を出て行った。



「バックス……!」


 その頼もしい背中にマチコデは感動した。普段から頼りない太った男だと思っていたが、いつの間にか国民を思う優しい心が育まれていたのだ。



 バックスは広場の中心に辿り着き、マチコデに目で確認する。


 そしてマチコデが深く頷くと、バックスは魔道具を空に掲げた。



 その瞬間、空に黒い転移門のような魔法陣が展開する。一瞬広場が暗くなったと思いきや、今度は青色の雨が降り注いだ。


 敵が攻めて来たと感じて驚いていた国民は慌てたが、その雨を浴びた瞬間、急に大人しくなった。



 ――そこから、地獄が始まった。


「あれ……へ……兵士さん! ブチュウ!」

「うおっ、な、何してるんだバックス!?」



 バックスだけではない。広場で荒れていた男達も、雨を浴びた全員が幻惑を見ていた。


 大混乱だった広場が、更に大混乱だ。

 地獄絵図と化していた。


「うおおおお大好きだあぁ!」

「兵士さん結婚してくれええぇ!」

「やめろバックス! アメリアが見てるぞー!!」


 後に、ミラール前線基地では反乱を起こすと地獄を見ると言う評判が広がり、マチコデの株を更に高める事となった。

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