第51話 飛剣のムラカ


 11月も終わりの頃。

 晩秋の早朝は、日が昇るのも遅い。



 ここ最近のムラカは、山々が薄明に照らされる頃に目覚めて、一人で山を登っていた。体がなまらないようにするための運動だ。



 今朝は家の北西へと向かう。


 蓼科の魔力を取り込んだ体はすこぶる調子が良く、生まれ持った動体視力と相まって、まるで羽が生えたように動く事ができた。日向の目の前で5mほど垂直ジャンプした時はドン引きされた。


 霧混じりの冷たい空気で目も冴える。山頂に着いたら少しだけ日の出を堪能し、またすぐに下山する。



 そんないつもの日課から帰って来たら、珍しく全員が起きていた。



 2人と1匹が仰向けに寝転び、何やら両手足を天井に向けて伸ばしている。


 実に不気味な光景だ。



「……お前ら何をやってるんだ? 死んだ虫みたいな格好だ」

「失礼ね、朝ヨガよ。私とエスティは毎日食べ過ぎているのよ。ロゼはおまけね」

「我は太っていない。ミア、そもそも食べる量を減らさないと意味が無いぞ」

「お、ロゼが正解ですね。ちなみに私もやらされてるだけです。体重は微動だにしてません」

「うそでしょ……私だけ……?」


 ミア以外の連中は遊んでいる。

 ムラカはそう判断した。



「ムラカは何してたんですか?」

「今日は蓼科山に登って来た」

「――は?」


 蓼科山は日本百名山にも選ばれている名峰だ。夏場は登山者も多く、早ければ2~3時間で登頂する事が出来る。この庵からもよく見え、距離も比較的近い。


 そんな山をムラカはジャンプして登っていた。しかも人目を避けるために、登山ルートを通っていない。その所要時間はなんと往復1時間だ。


 ネクロマリアでの二つ名は『飛剣』。

 日向はムラカを、天狗と呼んでいた。



「山はいい。山頂は静寂に包まれていて心が洗われる。それに運動にもなるぞ」

「いえいえ、ミアの運動も負けていませんよ。この死んだ虫のような格好で、これから白目を剥いて笑い出すんです。笑いヨガとの……コラボで……ぶふっ!!」

「やめろエス、笑う」

「ちょっと! ヨガは至高なのよ!!」


 ミアは怪力だが、極端に体が固い。



「まったく……私は準備をする。そろそろ出発したいんだ」

「お、早いですね」

「何事も早いに越したことはない」


 ムラカは部屋に戻って行った。



 エスティがムラカに頼んだのは、ネクロマリアのとある討伐素材。一人で辿り着く事は出来ない場所にいる相手だ。


「南西沖の珊瑚の亡霊コーラルレイスですか。頼んでおいてなんですが、大丈夫でしょうかね?」

「へーきへーき。『飛剣のムラカ』の名前は伊達じゃないわよ」


 エスティが導入しようとした庵の高度な追加機能は《ゴーストを雇う》。これに、珊瑚の亡霊コーラルレイスの白化珊瑚が必要なのだ。


 以前から南西の海域で船や港を襲っており、何件かの討伐依頼が出ている魔物だ。だが、強い上に取れる素材が白化珊瑚ばかりで報酬は渋く、受ける冒険者が少なかった。


 誰かがやらなければならないが、報酬は少ない。そんな依頼ばかりを受けていたラクス救助隊のムラカは、喜んで引き受けた。



「よし、いつでもいいぞ」


 ムラカは装備を整えた。海中で戦うのを考慮してか、薄手の軽装備のようだ。エスティから渡された長剣を腰に携え、長い黒髪を後ろで一つに結っている。


 エスティは転移門を開いた。


「お気を付けて。ドラゴンがいたらついでに倒してきて下さいね」

「ふ、いてたまるか。ではな」


 ムラカが入り、転移門を閉じる。


 蓼科に帰って来るのはおよそ2週間後、12月に入ってからだ。それまでには、この庵を完成させたい。



 リビングに戻ると、ミアが肩を組んできた。


「ふふ、エスティ。寂しがらなくても大丈夫よ。ワインでも酌み交わしましょう」

「……ロゼ。このろくでもない聖女は、私を励まそうとしているのか陥れるようとしているのかどっちですかね?」

「どちらでもない。飲みたいだけだ」

「あら、賢い猫ね。正解よ」


 ロゼは溜め息を吐いた。エスティは聖女を無視し、ロゼと共にソファに座る。



「さて。ミアも聞いてください。問題の山を削っていいかどうかですが、成典さんからの要件は2点です」


 ①切り土と盛り土は避けて欲しい。

 ②北側の木の伐採は構わないが、根が地面を固定している点に気を付ける事。地滑りが起きない用に地盤を強化した方がいい。


「①は②に繋がるのだろうな」

「えぇ。木は抜いてしまわないと再び生えてくるので、抜かなければなりません。という訳でミア、後で抜いてみてくれますか?」

「エスティ、私の扱い雑すぎない?」

「もちろん中島さんに口添えしますよ」

「あら、仕方ないわね……ふふ」


 木を素手でひっこ抜く女。

 ミアの称号が増える事だろう。



「エス、地盤の強化など可能なのか?」

「庵の高度な追加機能にある《防壁化》で出来ます。選定した箇所を強固にできるんですよ」

「ほう、便利だな」


 《防壁化》には消石灰と炭と小石が大量に必要だ。この辺はホームセンターですぐに集まるだろう。



「《防虫》《防壁化》にも消石灰を使います。魔法の粉でしょうかねこれ?」

「その類だろうな。エス、建材はどこで調達する気だ?」

「あー。成典さんが一つ壊して欲しいログハウスがあるという事で、そちらに伺おうと思います。ミア、ログハウスの破壊もお願いしますね。当然、中島さんに口添えしますよ」

「分かったわ、任せておきなさい!」


 ログハウスを破壊する女。

 中島の好みと会うのかが心配だ。



「建築素材を揃え、木を抜いて《改築》し、《防壁化》を実行する。この流れでしょう。作業は明日からにします。今日は山ほどある宿題を減らさないと」

「んじゃ、私はお料理しよっかな」

「我は暖炉の前で丸まっておく」

「駄目よロゼ、あんたは仕込み。ジャガイモ剥くの手伝って。あと掃除してきて」

「はぁ……猫使いが荒い」


 ロゼはうんざりしつつも、ミアの言う事に従ってジャガイモと格闘し始めた。何だかんだでミアとロゼは仲は良いのだ。



「さーて……ムラカも頑張ってますし、私も気合い入れますかね」


 使い魔に新たな友人が出来て良かったと思いながら、エスティは工房へ戻り、いつもの魔道具を作り始めた。



◆ ◆ ◆



 『飛剣のムラカ』。


 その通り名は、周辺国にも届いていた。



 それは、彼女がラクス救助隊の一員だからという訳では無い。


 常人離れした肉体と、そうとは見えないスッとした背格好、それに整った顔立ちに長い黒髪。騎士の称号を持つ者の中でも特徴的な見た目だ。


 その剣技も型にはまっておらず、むしろ雑にも見える。決して騎士らしい動きではない。



 しかし、とにかく強かった。


 無尽蔵の体力と類稀な身体能力を活かし、だらりと構えた右手の長剣で攻撃を受け流すように切り刻む。


 くるくると回ったり飛んだりと直線的な動きをせず、まるで踊りながら剣を振り回す戦闘だ。柔にも豪にもなり得るこのド派手な戦い方で、かつてドラゴンを斬った経験もあった。



 そして、そんなムラカは蓼科で山登りにハマってしまった。


 そこに山があれば登りたい。

 頂上まで行って、景色を眺めたい。



 ネクロマリアに到着したムラカは、ラクスの外門を出て北を眺めた。


 わずかに見える、魔族と人族の生活圏を分断しているネクロ山脈。その西の頂には、秘宝を守る古竜が眠っているという。



 今まで恐怖の対象だったものが、好奇心によって書き換えられている。あの山の上からは、一体どんな風景が見れるのだろうか。


「――なるほど…………ここは遠回りだ」


 絶好調のムラカは、北へ向かって飛ぶように走り出した。

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