第45話 姿を現した時空の女神
ガラングが演説を始めた時、エスティは急にお腹が空いてきた。
今日は無性にカレーが食べたい。カレーを女神の脱糞だとこの場で演説しながら、笑顔で美味しそうに食べたい。何なら、食べた後にお酒を飲んで一曲歌ってもいい。
そんな馬鹿な行動をすれば、この大衆は幻滅して自分を見限ってくれないだろうか。
ガラングは言葉巧みに演説をしている。この声は風魔法の拡声器により、広場にいる全て人々に聞こえているそうだ。
「ロゼ、風魔法でカレーの匂いをばらまけないですかね?」
「この状況で何を馬鹿な事を言ってるんだ」
「私は馬鹿らしくなってきたんですよ」
「エス……」
ロゼは黙り込んだ。ガラングとの会話の一部始終を後ろで聞いていたムラカも、エスティにかける言葉は無かった。
「重心を上げろ! 敵に火を放て! 我らが最後の砦だ!!」
ガラングは大衆を煽り始めていた。会場のボルテージが上がり、唸り声で空気が更に重く揺れている。
「……エスティ、お前は無理にこちらの世界に来なくてもいい。ミアのように逃げても構わない立場なのだ」
「ありがとうございますムラカ。でも、私は逃げません。誰かの命を救えるのなら行動します。今は状況の変化に頭が追いついていないだけですよ」
そう言って、エスティはため息を吐いた。
「……変わったな、エスティ」
「最近やっと自立したんです。しかし、カレーが食べたいですね」
「そのカレーとは何だ?」
「私の脱糞ですよ」
「おいエスやめろ、変わってない」
「――さぁ女神エスティ様、こちらへ!!」
ガラングはエスティの方を振り向き、大声で呼び掛けた。エスティはゆっくりとガラングの方へと歩き、隣に並び立つ。
その瞬間、広場からは再び大きな歓声が上がる。
エスティは驚きながら、広場を見渡した。
物凄い人の数だ。あの真ん中辺りにいる人は、トイレがしたくなったらどうするんだろうか。
「女神エスティ様。どうかこの世界をお導き下さい」
ガラングは無駄にかしこまり、エスティに一礼した。それはパフォーマンスだった。ガラングはエスティを様付けで一礼する事により、この場で大衆に格付けを理解させたのだ。
「それでは、その面をお取り下さい」
「やりたい放題ですねガラング様。……どうなっても知りませんよ」
ガラングはその軽口にニヤリと笑った。
腹黒い王だ。
広場の人々は興味深そうにエスティを眺めている。
エスティは白い面に手を掛けた。
何の力も無い、ただのお面。
一人の時空の魔女。
お面を、外した。
「っぐおおおぉ……!!」
途端、強烈な重圧が周囲に襲い掛かる。
ガラングは膝をついたまま、胸に手を当てて苦しんだ。だがその顔はしっかりとエスティを捉え、むしろ恍惚とした表情で見ていた。
エスティの背後にいたムラカも同様だ。エスティの顔は見えていないはずなのに、エスティから襲いくる重圧で体が震え出している。
それは、広場の人々も同じだった。
エスティの姿は豆粒程度にしか見えないはず。だが『姿を見る』という行為に何ら変わりは無かったようだ。
「う……あ……!」
「が……」
倒れて呻き声を上げる者、苦しみながらエスティをじっと見つめる者。
こんな状態、人を救うどころか苦しめているだけだ。一瞬でこうなってしまった状況を見て、エスティは急いでお面を被ろうとした。
――だがそこで、事件が起きる。
事の発端は、広場の隅だった。
拡声器を持った一人の男が声を上げる。
「――あ、悪魔だ! 悪魔の呪いだ!!」
その声は、エスティにも届いていた。
「あいつは女神なんかじゃねぇ……女神に扮した魔族だ!!」
「はぁ? 何を馬鹿な事を……」
そう言い掛けた瞬間。
広場の中心の人混みで、爆発が起きた。
「なっ……!!」
大きな砂埃と人々の叫び声が混ざる。
エスティは咄嗟に面を被る。
「陛下を御守りしろ!!!」
「エスティ! 私の後ろに……ごふっ!」
ムラカがエスティを守ろうとした瞬間だった。
「ムラカ!!」
長剣がムラカの脇腹を貫いている。
ムラカは咄嗟に体を翻し、刺された剣を抜いた。
背後にいたのは、黒い面を付けた黒装束の一軍。先頭の女が持っている血の滴っている豪華な長剣に、ムラカは見覚えがあった。
「お、お前……リヨンか……!」
かつて、共に魔物を討伐していた仲間。リヨンらしき人物は顔を隠したまま、ムラカに剣先を向けていた。
そして、隣には聖職者の姿があった。
膝をついたガラングの元へと歩く。
ガラングの周りにいたはずの護衛はなぜか数名しかいない。切り伏せられている兵士を見た感じ、何名かが裏切っていたようだ。
「どういうつもりだ――カンドロール!!」
「ガラング様、申し訳ありません。魔族にはどうしても『種』が必要なのです」
「魔族だと……お前!?」
エスティも理解した。
この男は魔族の統率者。
知能の高い魔族だ。
カンドロールはエスティを顎で指した。
「捕らえろ」
黒装束が武器を構える。
そして、呪文の詠唱を始めた。
ムラカが剣を握り立つ。
「駄目ですムラカ! 血が……!!」
「黙ってろ……ぐ……!」
エスティは必死で頭を回転させる。
どうする。
-GORO-ならこの状況で何をする。
カンドロールは自分を捕らえろと言った。殺すつもりは無いはずだ。
-GORO-――そうか。
――エスティは面を外した。
その瞬間、周囲に再び重圧が襲い掛かる。
「ごあっ……種を……見るな……!!」
黒装束の一団は目を伏せて震え出した。カンドロールですら、エスティを見ようとしていない。
敵の詠唱が止まっている。
逃げ道が出来た。
「ムラカ!!」
「置いていけ……」
「駄目ですよ!」
傷口からはかなりの出血が見える。
まずい、致命傷だ。
「ほら、歩けますか」
エスティが肩を貸そうとした、その時だ。
ムラカに向かってナイフが跳んできた。
それは、リヨンが視認せずに投げたものだ。
ムラカは咄嗟に剣を振って弾き飛ばす。
「っぐ……早く行け、エスティ!!」
リヨンのその苦し紛れの一投。それは、かつての仲間だったムラカを殺そうとした裏切りの一投。
――――エスティは、頭に血が上った。
「おいエス――」
突如、膨大な魔力がエスティに集まる。
空気が振動し、より重みを増していく。
【猛毒ゲート】。その術式を、エスティは自身の魔力を使って即興で生み出そうとしていた。
「エス、やめろ! 帰れなくなるぞ!!」
ロゼは叫んだ。
怒りで血が上ったエスティは、帰還の分の魔力も全て注ぎ込んでいたのだ。
「――構いません」
怒りの矛先にいたリヨンは、もはや身動きすらとることもできない。そしてエスティの姿を視認していないにも関わらず、全身が震え上がっていた。
だが、リヨンの意思は生きていた。
ムラカは既に倒れている。それを確認したリヨンは、最後の力を振り絞り、エスティに向かって握っていた最後のナイフを投擲した。
術式を構築しているエスティを目掛けて、くるくると回転しながらナイフが跳んで行く。
ロゼはそれに気付き、エスティを守ろうと身を挺してナイフに飛びかかった。
だが……ロゼには届かなかった。
リヨンの投げたナイフは、どこからか跳んできたもう一つのナイフに弾かれ、地面へと落下した。
「――なっ……!!」
もう一本のナイフが飛んできた方角、扉の入り口に現れたのは背中の魔術師バックス。そして、バックスは背中に騎士を背負っていた。
無駄にキラキラと輝く美形の男性。
エスティは驚き、詠唱を止めた。
その男はエスティの圧に震えながらもバックスから降り立ち、剣を構えた。
「俺は、人助けの勇者だ」
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