第38話 モテそうにない来訪者・【猛毒ゲート】


 11月に入ると、蓼科の地でも雪がちらつく日が現れ始める。


 カラマツの紅葉はピークを過ぎ、葉の無い木々も増える。朝の気温も氷点下となる日もあり、水溜まりは凍り付く。森に住む動物や虫たちも息を潜めていた。



 エスティの庵の暖炉にはミアの怪力で割った薪が焚べられ、パチパチと爆ぜる音が工房まで届いている。エスティはホットココアを一口飲み、ふぅと溜息を吐いた。


 黒いロングスカートにグレーのインナー、そして白のロングカーディガン。真面目に仕事をするときは伊達メガネを装着し、自分にスイッチを入れる。エスティはこの研究者っぽいコーディネートが気に入っていた。



 ミアがやって来てから数週間。


 エスティは【弁当箱】の製造と並行して、新たな魔道具を作り始めていた。



「……できた」


 とてつもない魔力量と怪しげな魔法陣が複雑に絡み合った魔石が、エスティによってまた一つ生み出された。


「ロゼ、ちょっと広場の雪山に」

「断る」

「つれないですね。じゃあミア」

「お断りよ」

「むぅ……実験が出来ません」


 ロゼとミアは、恐ろしい量の魔力が魔石に注ぎ込まれているのをリビングから見ていた。もはやエスティが何をしているのかさっぱり理解できない。そんな物の実験台は嫌だった。



 ミアはリビングにて、パソコンで翻訳用の辞書を作り始めていた。服も買い与えられ、すっかり庵の住人となっている。


 しかし、仕事はサボりがちだ。


「はああああ!? 西シャーの単騎待ちとかありえないでしょ!!?」

「だから降りろと言っただろう」

「まーた麻雀ですか」


 ネット上では、相手の心を読みとる事が出来ない。ミアにとってはそれが新鮮だった。考える事が好きなロゼも、日本語の勉強がてら一緒に麻雀を楽しんでいた。


「まぁ七対子チートイツは事故だな」

「そうね、事故ね」

「まったく。二人とも、ご飯を食べ終わったら実験に付き合ってくださいね」

「じゃあ我は食べない」

「私も」

「こいつら……パソコン没収しますよ?」


 エスティの一言でミアは大人しくなり、静かにパンを食べ始めた。


「まぁそれはそれとして。ミア、まだ私を見るのは恐ろしいですか?」


 ネクロマリアに戻る前に、エスティは確認しておきたかった。

 同じ状況が起こる気がしていたのだ。


 パンを食べながら、ミアは返事をする。


「ここにいる限りじゃよく分かんないけど、多分何も変わってないわ。『姿を見る』という行為が駄目なのよ」

「姿を?」

「フードを被っていても、顔は見えるでしょう? でも、フードを取ると急に物凄い圧力に迫られる感覚が襲って来るの。それが姿を現したって感じね」


 ミアが怯えていたのは、フードを取ったエスティの姿だ。エスティが視界に入った瞬間に怯えだす。


「理解できぬな。過去にそんな現象は?」

「聞いたこと無いわね」

「ふむ……やはり」


 庵を作った時のあの大量の魔法陣。あれしか考えられないが、今となっては検証のしようが無い。


「では、この左目はどうですか?」

「その目こそ本当に恐ろしいわ。まるで深い穴。自分の感情が消え去りそうよ」

「フードを被っていてもか?」

「恐らくね。そもそもこの《魔女の庵》自体、あり得ない事だらけよ。一体どんな魔法陣を組み合わせたらこんな風になるのか……」


 ミアは手をひらひらとしながら、コーヒーを淹れ始めた。



 あり得ない《魔女の庵》。


 エスティとロゼは、バックスを信じている。

 今でもそうだ。


 だが結果は、エスティに異変が起きた。


 そして、エスティにはいつの間にか『時空の女神』という称号が付いていた。ネクロマリアで持ち上げられた影響なのかは分からない。そもそも称号とは――称号を付ける神とは一体何者なのか。なぜ自分がこんな状況になっているのか。


 感情の坩堝に入ってしまいそうになったエスティは、ふと窓の外を眺めた。



 広場には、しんしんと雪が降り続けている。

 今日も静かな夜になりそうだ――。



◆ ◆ ◆



 ――そのエスティの予想は裏切られた。



「あーっはっはっは! はっはっは!!!」



 リビングでミアが突然、大爆笑し始めた。

 しかも、変なポーズをとっている。


 夜の23時だ。


「はっはっは!! はははあははは!!」


 急に笑い出したミアに、エスティとロゼは口を開いて目を丸くした。


「き、気持ち悪い……白目むいてますよ」

「シチューに毒でも入っていたのか?」

「笑えない冗談ですね。いや笑ってますが」

「確か、ダンジョンレイス系の魔物で爆笑を誘ってくるものが」

「いるわけないでしょ」


 ミアが急に真顔になった。


「『笑いヨガ』よ。知らないの? ちまたでデトックスとして大流行してるのよ?」

「知りませんよ。人の家でこんな夜更けに何やってんですか。また気が狂ったのかと思いましたよ」

「失礼ね……ほら、ネクロマリアは今ずーんと落ち込んでるじゃない。少しでも元気になる技術を持って帰らないと。エスティもやりなさいよ」


 そう言って、ミアは再び笑い出した。



 エスティは考える。


 元気になる技術。

 その志は素晴らしいと思ったが、あえて笑いヨガを選ぶのはどうなのだろうか。


 ……いやでもこの聖女、明らかにデトックスとか言っていた。また口から出任せを言っているだけじゃないか。そもそも、人前であんなに猫被ってクネクネしていた聖女が、いきなり善意の笑いヨガなんてやりだすのか?


「――ロゼ、この世界では『敵を騙すにはまず味方から』と言うらしいですよ」

「格言だな。この様子を日向に見せてやりたい」

「はっはっは!! はっはひっ!!!」


 ミアは日向の前ではお淑やかに振舞っている。だが勘の鋭い日向は、それを既に見抜いていた。


「この聖女はデトックスしてモテたいのか、ネクロマリアを救いたいのかどちらなのでしょう?」

「両方だろう。欲張っているのだ」

「なるほど。しかし、これがモテるとは思えませんね。それこそレイスみたいな顔してますよ。このまま冒険者の酒場に転移してみてもいいですか?」

「やめろ、いややめて下さい」


 笑いながらもミアは会話を聞いていたようだ。急に真顔になる事にも、エスティは引いていた。



「……ん、ちょっと待てエス。バックスの背中ではなく、酒場に転移できるのか?」

「多分できます。座標固定の魔道具作ってたらいけそうだなと」


 以前は思い込みで難しいと感じていた。だが魔道具を作る過程で、今まで答えしか分からなかった時空魔法の仕組みが、ほんの少しずつ分かってきたのだ。


「ちなみに、朝作っていた魔道具は何だ?」

「強力な敵が出て来た時に使用する、簡易版の転移門ですよ。昔、ラクスの北部に猛毒の沼地があったじゃないですか。あそこの上空に門を繋げています。名付けて【猛毒ゲート】」

「エグすぎる、そんなものに我らを実験台にしようとしたのか!」

「大丈夫ですよ。落下を防ぐために試作品は顔しか出せないように陣を組んでいますから、へーきへーき」


 魔法陣を全く理解できないロゼには、まるで詐欺師の言葉のように聞こえていた。


「はっはっは! ふひっふひっ!!」

「あ、じゃあ冒険者の酒場に転移門を繋げて、そこにミアの顔だけをニュっと出す【爆笑ゲート】を」

「ごめんなさい、もうしません」

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