第35話 ネクロマリアからの来訪者


 ミアはエスティを見た瞬間、怯え始めた。

 顔色も真っ青になり、全身を震わせている。



「だ、大丈夫!?」


 あまりの怯えように日向は焦った。

 だが、エスティは冷静だった。


「私が怖いのです」


 エスティは座り込むミアに近付いた。


「大丈夫ですよミア、何もしません」

「ん? 怖くないわね」

「……あれ?」


 ミアの震えが止まっている。エスティはまだフードを被っておらず、姿を見せたままだ。


「怖くないんですか?」

「えぇ。あの時の感覚は無いわ」


 エスティもミアも呆気にとられる。ロゼも聞いていた状況とは違い、理解が出来ない。


「蓼科だとまた違うのかもしれぬ」

「むぅ、よく分かりませんね。……というか、転移門は術者とその使い魔以外でも通れるんですね。新発見ですよ」

「待て、聖女を人体実験みたいに言うな」

「やったのは兄弟子ですよ?」


 バックスは基本的に優しい。こんな風に人を雑に扱う性格ではない。なぜミアがぐるぐる巻きになっているのだと、エスティは少しだけ怒っていた。



「ミア、詳しい話を聞かせて下さい」



◆ ◆ ◆



 リビングの椅子に座るミアに、エスティは暖かい紅茶を差し出した。


 日向はソファーに座り、背もたれからその様子を眺めていた。先程から急にエスティとロゼの話す言葉が分からなくなり、混乱していたのだ。



「まず、なぜこんな状況になったのです?」


 そう問いかけると、ミアはエスティの顔を見た。


 真っ直ぐに見つめるその顔は、美しい。

 あまりの美貌に、ミアは一瞬目を奪われる。

 その中でも、特に左目が気になった。


 この左目、注視してしまうと目が離れない。得体の知れない呪いがかかっているようにも感じる。慌てて視線を下に落とした。



「じ、実は――」


 ミアは説明を始めた。



 マチコデが婚姻のために隣国へ流れた後。


 ムラカは冒険者達の助っ人として、ミアは聖女として普通に働いていた。


 国民から聖女と呼ばれてはいるが、崇められる程の存在ではない。聖職者と同じで、ミアは解呪や癒しの力で人々を助けて回っていたのだ。



 そんなある日、ミアは突然オリヴィエントの大司教から招聘された。聖属性魔法使いを多く抱える大国が、どういう訳か辺境の荒々しい国に住む自分を呼び出したのだ。


 だが、今のラクスには自分しか聖属性魔法使いがいない。そのため、ミアは丁重にお断りした。



「でも、代えの人材を寄こしてきたの」

「このご時世にか?」

「えぇ」


 そのまま詳しい内容も聞かされず、ミアはオリヴィエントに赴いた。そこで大司教からエスティを連れて来いと言われたのだ。


 その会話の内容を聞いて、エスティは驚いた。

 どうも、話が妙な方向に広がっている。


「原因は、あの酒場での出来事ですか……」

「エス。ミアが怯えていたあれは、何か魔法を発動していたのか?」

「まさか。何もしてないですよ」

「となると称号か? いや、そんな訳は……」


 ロゼは何かを考え込み始めた。


「話を続けても?」

「どうぞ」



 カンドロール大司教は自分の上司だ。

 ミアは指令を断るわけにはいかなかった。


 だが、オリヴィエントからラクスの帰路で、ふと自分の人生って何だろうと思い始めた。エスティに会うのが怖かったのもある。だがそれ以上に、マチコデに振られたダメージが残っていた。



「何かもう、聖女やめよっかなぁって」

「「……は?」」



 もう働きたくない。


 エスティを呼び出すという仕事も、どうせあのマイペースな魔女の事だから来るのを渋って時間がかかる。そもそもあのポンコツを説得するのが面倒臭い。


「おや、聞き捨てなりませんね?」

「残念ながら事実だぞエス」

「それでなかなか行動を起こせなくて……。上司に報告するのも胃が痛くなってきたし、もうこのまま聖女を引退して楽して暮らしたいとムラカに相談したの」



 それで、二人で昼からお酒を飲んでいた。

 気が付いたらぐるぐる巻きにされて、ここにいた。



「――話は以上よ」

「悲しい結末ですね……」



 ミアからは悲壮感が漂っている。


「駄目な所がエスと似ているな」

「おや、また聞き捨てなりませんね?」

「自暴自棄になって酒を飲んで酔っ払ったら、蓼科にいたのだろう?」

「ぐっ……それは紛れもない事実ですが」



 だが、エスティにもミアの気持ちは分かる。

 気の毒にも感じていた。


 聖女は基本的に生娘だ。その方が魔力が強いためだ。マチコデとも交わってないだろうし、むしろ誰かと契りを交わす時は聖女を引退する時なのだ。


 ミアはマチコデと結婚して引退したかったのだろう。だが、その話題を振ると爆発しそうで怖い。


 ミアも戦隊ヒーローの-GORO-と同じで、使命の傀儡なのだ。自由な身のエスティはそう思い、助けてあげたいという気になった。



「話は理解した。こうなったのは、バックスではなくムラカの仕業か。どうもこの庵は働きたくない人間が集まってくるようだな」

「ちょっとロゼ。ぐうたらな人間の流刑所みたいに言わないでくださいよ。私はこれでも仕事しています。ですよね、ミア?」

「…………」


 エスティとロゼは会話で場を濁そうとしたが、ミアの雰囲気が相変わらず重い。



「ま、まぁまぁ。ミアは美人なので大丈夫ですよ。今何歳でしたっけ?」

「28」

「あ、私ちょっと洗濯干してきますね」

「おいまて逃げるな」


 ミアの声が低くなり、エスティの肩を掴んだ。


 ネクロマリアでの結婚の適齢期は18歳。30歳までにはほぼ結婚。それ以上の年齢で、婚姻の儀を執り行う事は無い。ミアは婚期を逃しつつあった。



「……ムラカはいいのよ、男に囲まれてるから。エスティもいいわよね、マチコデ様に惚れられるほど可愛いし、こんないい家まで建てちゃって」


 聖女なのに無駄に力が強い。

 エスティは後ろを振り向けなかった。


「――エスティ、あなたが決めなさい。オリヴィエントに行くか、男を紹介するか」

「み、ミアなら引く手数多でしょう」

「マチコデ様の傍にいた私に近付く男が、ラクスにいると思う?」


 ミアは王子様の手付き。

 そんな女性に一介の冒険者が触れると、どう扱われるか分からない。


「いっそ、聖女やめたらどうです?」

「私の個性を奪わないで」


(うわっ、面倒くさい)


 ミアのプライドが邪魔をしていた。



「おい待て……エス、これを見ろ」

「無理です。私は握力の強い聖女に捕まって死にそうなんですよ」

「ミア、大事な話だ。手を離せ」


 ロゼに気圧されてか、ミアは手を離した。


 エスティはロゼの見ていたラクス新聞の一面を見る。



 見出しにはでかでかと『時空の女神エスティ様 ネクロマリアに降臨』と……



「――あれ、何か女神扱いされてません?」



 脚色されたエスティの肖像画が大きく掲載され、その下にはマチコデのインタビューコメントが記載されている。


「な、何ですかこれ……」

「日付は少し前だ。バックスの奴、これを隠していたな。新聞は今までも変わらず送り届けられていたから、この話題の部分だけ寄越さなかったのだろう。この記事が今日来たという事は、ミアを後押しするつもりだと受け取ってもいい」



 記事には【弁当箱】やエスティの生い立ち、それにバックスの商会やラクス王国についても書いてある。ネクロマリア全土の記事を、ラクス新聞が買って載せているものだ。


 執拗に帰ってこいと言っていたバックスは、やはりムラカの共犯者のように思えた。一体何が起きているのかと、ロゼは考え始めた。



 しかしそんな状況でも、エスティは変わらずマイペースだった。


「お、このマチコデ様のインタビュー面白いですよ。『俺が時空の女神に出会った時は、あまりの美貌に心を奪われた。だが今はミラール国王女、ドロシー様に心を奪われている。とにかく可愛くて夜も』」

「ああぁ、馬鹿やめてえ!」


 女神が嫌らしく微笑み、聖女の傷口に塩を塗っていった。

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