第34話 シニアカーで遊んでたら人間が送られてくる


 秋も半ばに差し掛かると、蓼科の気温は一気に低くなる。



 10月上旬からは木々が色付き始め、緑に覆われていた山々はまるで別世界のような色合いを醸し出す。標高が高い影響なのか空気は澄んでおり、まさに紅葉の別荘地といった雰囲気だ。



 そして冬が近づくにつれて、車の数は少なくなる。笠島家でも店先に並ぶパンの数が減り、今が稼ぎ時ではない事を告げていた。



 ただし――例年ならば、だ。


 ネクロマリアの貴族に、パンが飛ぶように売れる。弁当箱に詰めるだけで、パンがゴールドに代わるのだ。食料で魔力を多少なり補充できるというのは、相当貴重なようだった。


 換金を依頼している貴金属の買い取り業者には相当怪しまれたが、陽子の巧みな話術によってすっかり懐柔されていた。



 そして今日もエスティはいつも通り、パンを仕入れに来ていた。


「日向、キャンプは楽しかったですか?」

「うん、すっごい綺麗だったよ。でもごめんねエスティちゃん。ロゼが電話で返事をくれなかったから、忙しいのかと思ってた」


 そのロゼは、軽いお仕置き中だ。


「ニャ~! 我は天才だニャ~!!」

「天才なら主への伝言を忘れないでくださいよ、はいマタタビ追加」

「あー! エスは最高のご主人様だニャ~!」


 エスティは再びマタタビを取り出した。もはや、お仕置きなのかご褒美なのか分からない。


「今度一緒に行こうね」

「絶対ですよ?」

「――おぉいエスティちゃーん、帰る前にこれも持ってってー!」


 陽子の呼ぶ声が聞こえた。

 リビングの方からだ。



 リビングに入ると、札束が机の上に無造作に置かれていた。


 札束は合計8つで、8,000,000円。

 エスティ化学商会の売上だ。


「お、お母さん! 雑すぎない!?」

「金銭感覚がマヒしてるのよ」


 この売り上げは、全て弁当箱によるものだ。


 収益増の要因は金インゴットだった。これが蓼科ではとにかく高く売れた。ネクロマリアとでは、相場も需要も全く違うらしい。



「車を4台は買えるわね。エスティちゃん、折角ならソグウェイ買ったら?」

「ソグウェイですかぁ」


 前は欲しいと思っていたけど、今はそうでもなかった。エスティが乗ると目立ちすぎるのだ。あと立ちっぱなしは辛い。


「私、あれが欲しいんですよ。農道でお婆ちゃんがよく乗っている遅いバイク」

「あー、名前何だっけ。シニアカー?」

「そう、それです。免許が要らないので」


 エスティには戸籍が無い。そのため日本で身分を証明する物が無く、免許も取れなかった。


「……ふふっ、エスティちゃんが乗ってる姿を想像すると面白いな」

「む、あれは歩行者憧れの乗り物ですよ」


 坂が多い蓼科高原では、移動の大半が車になる。買い物に行くにも山の上り下りをしなければならず、エスティは苦痛を感じていた。



「移動魔法みたいなものは無いの?」

「あれば楽なんですが……」


 日向は札束で遊びながら、エスティに尋ねた。


 そんな魔法は聞いたことが無かったが、自分の持つ時空魔法は異世界を移動する魔法だ。考えてみてもいいかもしれない。


「一考の余地ありですね。でもとりあえず、シニアカーは欲しいです」



◆ ◆ ◆



 そして翌日。



「という訳で買ってきました」

「早っ! っていうかどこで?」

「自在農園のお婆ちゃん」

「エスティちゃん、いつの間にそんなネットワークを……」


 操作は簡単だ。ならし運転がてら、エスティは庵の広場でシニアカーを乗り回していた。


 安くて丈夫で、電源は家庭用コンセント。しかも、この庵から公道に出るまでの獣道もゴリゴリ行けるタフなタイプだ。エスティの生活にはぴったりだった。



「ふふ、いやぁ楽しいですねこれ。特撮ヒーローになった気分ですよ!」

「ヒーローがお婆ちゃんにしか見えなくなる」

「むぅ、しかしあまり加速しませんね。これ以上の速度は無理です」


 実際には速度よりも、座って移動できるというのが重要だった。


「日向も買いましょうよ。世間体なんて気にせずに、二人で峠を並走しませんか?」

「わ、私は運動も兼ねてるからなぁ」

「ウッ!!」


 運動という言葉がエスティの胸に刺さる。



「聞いたかエス? これが普通の若者だ。お前は楽をしようとし過ぎている。というか最近、自在農園の貴族に影響を受けすぎなのだ」


 エスティは今サンバイザーを被り、花柄の杖も装着している。全部同じお婆ちゃんが売ってくれたものだ。エスティには今、お婆ちゃんブームが来ていた。


「私はこの郷に従っているだけです。染まり始めたのですよ――蓼科貴族に!」

「何言ってるのだ。ほら、そろそろ時間だ。行くぞ」

「あ、そうでした」


 荷物のやり取りの時間だ。

 シニアカーを停車し、2人と1匹で転移門の部屋へと移動する。



 バックスは以前にも増して大量の荷物を送って来る。仕事量も要望も増え、エスティは以前よりも忙しくなっていた。


 一度打ち合わせをしたいと言われたが、不安を感じたのでネクロマリアに行くことを躊躇っていた。前回の酒場の時みたいに皆に見られるのも嫌だし、ああして場を乱すのも嫌だ。手紙でやり取りできるならこのままがいい。



 それに……最近のバックスは、何だか怪しい誘い方をしてくるのだ。


「妙な意図を感じるんですよね。懐柔しようとしているというか」

「でも兄妹みたいなものなんでしょ?」

「えぇ。だから余計に兄弟子の不気味さが分かります。というか、今更兄弟子が私を懐柔する意味が無いんですよ」


 ロゼは何かを知っていそうだが、言おうとはしない。また秘密のようだ。



 そして時間になった。

 転移門を開くと、いつものようにドサドサと木箱がやって来る。


 今回も量が多い。

 全部で20箱ほどだ。


 エスティは黙々と収納していく。


 

 そして最後に送られてきたのは、布で包まれた一際大きな物体。



「ンー……ンー……!?」


 どしんと落下し、中からは唸り声が……。



「――ねぇエスティちゃん。こ、これ、動いてない?」



 何かが、うねうねと動いている。



「おい、魔物じゃないだろうな」

「まさか……て、手紙を読んでみましょう」



 慌てて木箱から手紙を取り出し、2人と一匹で読み始める。


「『最近、ロゼにぴったりの美人な雌猫を見つけた。会いに来ないか?』」

「……ほう?」

「ロゼ。これですよ、これ。あの兄弟子は誘い方が露骨なんですよ」


 もはや隠すこともなく、ネクロマリアに帰って来させようとしている。



「『妹弟子よ、最高の酒を仕入れた。何と王城の料理人が王家のおつまみを振舞ってくれるそうだ。暇ならどう?』」

「……そういえば暇ですね」

「エス、騙されるな。奴は単純なお前を操る術をよく知っている」

「二人とも、そんな事よりもウネウネ!」

「そ、そうでした」



 日向に言われて、手紙を読み進める。

 それが書いてあったのは、最後の一文だった。


「『――そちらの世界に興味がある人物を送る。死なないように梱包してみたけど、決して雑に扱わないように』」

「「……」」


 どうやら、人間らしい。



「エスティちゃん。ネクロマリアでは、人間って梱包して送るものなの?」

「常識ですよ?」

「違う、いらぬ嘘を吐くな」



 ロゼは結ばれた紐をちぎり、ウネウネを開放する。

 何だか可哀想だ。


「雑に扱ってるのは兄弟子じゃないかってツッコむところですかね……よいしょ」


 そして、布が開かれた。



「――――っぶはぁ!」



「なっ――!」


「何なのよもう……ってエスティ!?」



 柔らかな金髪に全てを見通す碧眼、そして聖女らしからぬグラマラスな容姿。

 エスティもよく知っている、かつての仲間。



 ラクスの聖女ミア・ノリスが、蓼科へとやって来た。

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