第32話 遊び始めた女神と、女神を見た聖職者からの報告



「そんな訳で、永久機関を作りました」



「なるほど」

「お、まったく期待していないぞって感じの返事ですね」


 エスティはそんなロゼを外へと引っ張り出した。


 広場には【魔力移動陣】が数枚、円形に並べられている。その上には丸い魔石が置かれ、ころころと【魔力移動陣】を転がり続けていた。魔石が陣の上に乗るたびに、ほんのりと光っている。



 平和な光景だ。

 そして、ロゼは無駄を感じた。



「永久機関です。プタゴラスイッチって番組で……」

「寝る」

「あ、ちょっとロゼ!」



◆ ◆ ◆



 ネクロマリアの台地は、巨大なネクロマリア大陸と周囲にあるいくつかの群島で成り立っている。


 大陸は北部を横断するネクロ山脈を境目に、北側が魔族の地、南が人族や亜人が住む土地だ。その面積はおよそ1対2の比率だ。


 魔族の領域は資源が乏しく、空は荒れ狂い、住むには過酷だった。逆に人類の生存権は緑が豊富であったが、魔力が枯れつつある今、魔族の土地のように荒廃した赤茶色の台地となっている。



 聖女ミア・ノリスの故郷である都市国家ラクスは、その大陸の西端。


 ラクスから魔族の領地は近い。そのため、ラクスには魔族狩りで一攫千金を狙う腕自慢の冒険者が多く集まる。治安も悪いうえに魔族もやってくるという、安心とはまるで縁の無い国だ。



 それに対して、現在ミアが馬車で移動しているこの国は、ネクロマリア大陸で最も安全と言われる国家。ネクロマリア大陸の中央南部、聖職者が集う大国オリヴィエントだ。



「――とんでもない人の数ね」


 大通りは混み合い、馬車が進まない。



 文化や魔法、技術や資源など、オリヴィエントは全てにおいて最も優れていた。そして長い歴史と栄華で彩られたこの国には現在、安全を求めて大陸中から人が集まり始め、今や人類の最後の砦と呼ばれていた。



「ミア様、こちらです」

「ありがとう。ご案内、感謝します」


 降ろされた場所は、ネクロマリア城内にある大聖堂だ。



 ミアは都市国家ラクスに生まれた、ラクス唯一の聖属性の魔法使いだ。


 聖属性魔法使いは魔法使いの中でも数が少ない。それなのに、このオリヴィエントには何万人と住んでいる。


 そんな場所に自分のような人間が何故呼び出されたのか。ミアはその理由を聞かされないまま、大聖堂の奥にある執務室の扉を叩いた。



(緊張するわ。口臭くないかしら)



「し、失礼致します。ミア・ノリスです」

「――入れ」


 低い声の返事が聞こえ、ミアは会議室へと入る。



 目の前に座る小太りのご老人は、この国の聖属性魔法使いを束ねる大司教カンドロール。重鎮だ。



「遠路はるばるすまない」

「とんでもございません」

「かけたまえ」


 ミアはソファに向かい合わせで座る。カンドロールは、ミアの見通す目で見てもなぜか見抜けない男だった。だが、彼に関する噂話は善行しか出てこない。


 まさに生きる偉人である。



「単刀直入に言おう。私の部下がラクスにて異常を感知した」

「異常、ですか?」

「あぁ」


 カンドロールは少し視線を落とした。

 深刻な内容のようだ。


「我々は情報を集め、各国の内情を把握する任務もあってな。実は私の部下は、ラクスの酒場で聞き込み調査をしていたのだ」

「……はい」

「あぁ、別に密偵のような者では無い。安心したまえ。魔族に対する派兵の検討材料だよ」



 その台詞にミアは驚いた。


 『密偵』という言葉が脳裏に浮かんだ事に対して、すぐにカンドロールが反応したのだ。


 ……自分と同じ力を持つのかもしれない。

 ミアは冷や汗を流し始める。



「その酒場で、部下が異常を見た」


 カンドロールの眉間には皺がより、今度は真っ直ぐにミアを見つめた。まるで聖職者の視線ではない。



「『女神が顕現され、体が勝手に跪いた』」



 ……女神?

 ラクスの冒険者の酒場に女神?



「私はそう報告された。それ以上でもそれ以下でもない。そしてミア、君もその場に居合わせていたそうだな?」


「――――あ」


 ミアの頭には、一人の酔っ払いが浮かんだ。


 もしかして、あれか?

 あのポンコツマイペースな時空魔法使いか?


「女神を見た瞬間に、部下は身動きが取れなくなった。だが部下だけじゃない。女神を直視した冒険者達も、まるで心臓を握られたかのように凍り付いたそうだ。力のある女騎士が空気を変えなければ、心の弱い者は飲まれていただろう、と」



 確かに、エスティの美貌は増していた。

 女性の自分ですら釘付けになる程だ。


 だが、それだけであんな状況になる訳が無い。


「そして部下は――――部下は、全てを女神に捧げたくなったそうだ。惚れたとも違う、どちらかといえば洗脳や崇拝に近い。今もその状態のままだ。解呪の陣も無効化され、治らない」

「そんな……事が……」



 エスティにそんな技術は無い。


「ここまで話せば分かったとは思うが――その女神の名はエスティ。かつて、君と同じパーティに居た人物だ」


 そう、パーティにいた時は何も無かった。


「あの場にいた君は、女神から何を感じた?」



 それなのに、あの時は化け物と対峙したかのような気分になった。

 そして……。



「恐怖心と…………信仰心」



 エスティを見た瞬間、自分の全て差し出したくなったのだ。エスティになら何を掲げても構わない、と。精神異常に耐性のあるムラカがあの場にいなかったら、大変な事態になっていた。


「信仰心……そうか」


 カンドロールは顎に手を当て、何かを考え始めた。



 考えてみれば、あの場は何かがおかしかった。自分でもなぜエスティが怖かったのか説明が出来ない。


 そもそも、エスティがフードを被っただけで普段通りに戻るのもおかしな話だ。あれはエスティが昔から着ていた、特殊な効果も無い安手のローブだ。



「ところで、話は変わるが……君は時空魔法について何か知っているか?」


 カンドロールが試すように聞いてきた。



 『時空魔法使いが現れた』まことしやかに広まったこの噂は、辺境の都市国家に住むとある王子が発端だった。


 ラクス王国王子、マチコデ・ラクス。人助けの勇者と呼ばれた彼は、どこからともなく時空魔法で作られた道具を仕入れ、行く先々で宣伝をしていた。



 大陸全土に根を張るオリヴィエントには、その情報はすぐに届いた。


「魔女エスティは時空魔法の使い手です」

「やはりか……」



 情報源に最も近いミアから直接聞いたことで、カンドロールは納得した。


「史実によれば、時空魔法使いとは清らかな心を持ち、欲に溺れず、人の為にだけ生きる聖者に宿ると言われている」

「そんな馬鹿な……エスティは強欲な変態ですよ」

「何?」

「あ、いえ。何でもありません」



 史実とは、きっと秘匿文書だ。

 迂闊な発言だった。


「まぁよい、確証は取れた。悪いがまだ話がある。むしろ、ここからが本題だ」



 そう切り出しておいて、カンドロールはいきなり深い溜息を吐いた。何度目のため息だろうか。再び暗い表情となる。


「……我が国のオリヴィエント王が、魔女エスティに会いたいと申しておる」

「お、オリヴィエント王が!?」



 大国オリヴィエントの王とは、実質的にこのネクロマリアの人族のトップ。そんな人物が、国王の背後に爆弾を投げろと手紙を書いていたエスティに会いたいだなんて……。きっとあの爆弾を投げられる。


「不服か?」

「いえ、そのようなことは!」

「君の不安も分かる。王の御前では姿を見せないようにはする。だが万が一にも国王が苦しんだら、魔女エスティは問答無用で死罪だ」


 国王の招集とはいえ、呼ばれた者が牙をむけば暗殺者となる。過去、そんな輩はこの国以外でも沢山いた。むしろ、女神としてならば国賓となるのだろうか。


「だが王命だ。小国ラクスは従うしかない」

「はい」

「すまんな。私の個人的な意見としては、国王には我慢してもらいたい。だが正直に言えば、私もこの目で時空の女神を見てみたいのだ」


 カンドロールは自身の両手の手のひらを見た。ぼんやりと光っているのは聖属性の魔法。何を唱えているのだろうか。



「ですが、一つ問題が。魔女エスティは現在、この世界ではない場所に住んでいます。この国に連れて来るには時間がかかるかもしれません」

「まさか、本当に異世界なのか……。分かった。上には私から説明しておこう」


 カンドロールは立ち上がり、衣服を整えた。慌ててミアも立つ。


「ミア、君は心が乱れてるとはいえ数少ない聖なる魔法使いだ。頼んだぞ」

「は、はい。承知しました」



 この人は一体、どこまで情報を掴んでいるのだろう。というか、失恋の情報が流れているってどういう事だ。


 ミアは不安になったが、すぐに切り替えて一礼し、退室した。



「ふぅ……」


 一人残されたカンドロールは考えていた。


 史実の通りであるならば、時空魔法使いは危機的な世界に対して何らかの生きる道を示す。だがそれも運命に左右される。人族とは無力なものだ。


 それに、国王も知っているはずだ。

 オリヴィエントの秘匿文書に記された、最後の一文。



 ――『種は、魔族との間で奪い合いとなったのだ』

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