第31話 家の環境が整う・【魔力移動陣】


 エスティは蓼科で様々な技術を見た。


 その中でも特に驚いたのが、ネットの存在だ。



 日向はネットについて、地球の地図を画面で操作しながら説明してくれた。


「ここが蓼科、こうなると長野、更にこれが日本で、それ以外が世界。この世界中のを信号で繋いだ場所がネットの世界」

「なるほどぉ?」

「説明が難しいなぁ……。昨日エスティちゃんが見てた戦隊ヒーローを配信しているのが、この東京。ササミストレートを配信してるのがアメリカ」

「えぇ!? 何でですか!?」


 とにかく、どれだけ離れていても物凄い速度で情報のやり取りができる。更に電話も出来るし、物も買える。


「まるで時空魔法です」

「我もそう思った」


 魔法が技術に劣ると感じた瞬間だった。



 そして今日、ついに庵にもネット回線が開通する。読み書きの出来ないエスティは、日向に同席を頼んでいた。



 朝食に日向が作ったパンを食べ、業者がやって来るのを待つ。


「んー。簡単に日本語を読み書きが出来る方法は無いでしょうか」

「ネクロマリアの言葉って、私も全く分からないもの。翻訳魔法みたいなものは無いの?」

「ロゼ、何か知ってます?」


 ロゼは翻訳生物のようなものだ。

 だが、首を横に振った。


「我でも出来ない」

「だそうです」

「バックスに聞いておこう。我のように言葉が分かる使い魔がいるのだから、読み書きができる使い魔が居てもおかしくは無い」

「ふふ。エスティちゃん、そもそも勉強しないの?」

「ウッ!」


 エスティは可能な限り楽をしたい。

 自堕落に暮らしたいのだ。


「私の右肩に天使が座っているんですけどね、その子が勉強なんてやめろと囁いています」

「そんなわけあるか」


 勉強が出来ないわけでは無い。むしろ魔法学校の成績はトップだった。ただ卒業した今、好きな事以外は避けたい。


「勉強よりも、何か派手な事をしたいですね。確か兄弟子からの伝言は『凶悪な武器を作れ』でしたっけ?」

「……我は今、ゾっとした」

「まさかロゼを的にはしませんよ。ふふふ、まさかそんな」


 口が三日月型になっている。

 エスティはやる気だ。



「ねぇ、使い魔って死ぬことはあるの?」

「当然だ。特に、我の場合は普通の動物と何ら変わらぬ。寿命が長いだけだ」

「血と魔力を私と分けてるんですよ。私が死んだ時にロゼも死にます」

「へー! ってことは80歳ぐらいまで生きるの?」

「いや、恐らく寿命で死ぬことは無い」

「「……え?」」


 ロゼの思いも寄らない一言に、日向よりもエスティの方が驚いていた。


 寿命で死ぬことは無い。

 エスティはロゼの言葉を頭の中で反芻する。


「エスの兄弟子曰く、庵の魔石を取り入れた事でエスと庵は一体化してしまった。エスの死期が分からなかったのは、庵の寿命と同じだからだ。庵の寿命とは建物の崩壊の時だが、この蓼科の豊富な魔力でいくらでも改築できてしまうので、朽ちる事は無い。つまり我もエスも、ここに魔力がある限り死ぬことは無い」


 庵の寿命が自分の寿命?


「私はこの『魔女の庵』と一心同体という事ですか?」

「厳密に言えば、親子関係ではエスの方が親に当たる。エスは庵から寿命を補填されているのだ。バックスの仮説だがな」

「じゃあ、エスティちゃんはこの家が壊れたら死んじゃうの?」

「それはない。普通の人間に戻るはずだ。だが、左目は失明したままだろう」


 この蓼科の魔力がある限り、死なない。

 減る気配すらない、蓼科の魔力。



 確かに寿命が無いに等しい。


「ついに私が不死になってしまった……」

「おぉー、エスティちゃん格好いい」


 エスティは腰に手を当て、日向が拍手をする。


「軽いな」

「あんまり興味ないですからね」

「ふふ、エスティちゃんらしいね」


「――ごめんくださーい!」


「ん、電気屋さんが来ましたね」



◆ ◆ ◆



 線を繋ぐだけの簡単な工事。

 日向の話していた通りだった。


 テレビ線を分岐して機器に接続し、無線で飛ばすだけ。日向は契約関係と諸々の説明を受けていた。隣に居るエスティは座っているだけだ。


 延べ1時間弱。

 あっという間だった。



「おぉ、ネットに繋がってます」


 テレビのチャンネル数も増えた。


「これが番組表。って読めないか。チャンネルは23個見れるようになったよ」

「忙し過ぎて全部見れません、ふふ」


 そして、固定電話。


「何かあったら、これに電話を掛けるから」

「緊張で手が震えて受話器を取れないですよ」

「もう、取らなきゃだめだよ。留守電にもしておくから。使い方はね……」


 エスティは日向の説明をネクロマリア共通人語でメモしていく。やはり不便だ。



「あ、ごめん。ちょっとお花摘みにいってくる」

「はい。ついでに私も地下室を覗いてきますか」

「我も行こう」


 排水は昨晩、大きく調整した。

 夜のうちに改築を行ったのだ。



 まず、トイレからの梯子を廃止した。そして廊下からの階段にしたのだ。


 階段を下りた先にリビング程度の広さの地下室を作り、将来的にはここに大規模な浄化槽システムを導入する。


 それには金額も時間もかかる。そのため、今は魔法を使ったシステムを組む事にした。



 作ったのは【魔力移動陣】と名付けた魔道具。周囲の魔力をほんの少しだけ一方向に移動するという単純な魔法陣を組み込んだ、魔獣の皮だ。


 この上に少し調整した【弁当箱】を乗せる。魔力で開け閉めできるものを、開ける事しかできなくしたものだ。


 【魔力移動陣】の効果によって【弁当箱】が自動で排水を取り込み始める。一杯になったら、他の【弁当箱】が取り込む。これにより、汲み取り作業が不要となった。


「無駄に贅沢な時空魔法の使い方だ」

「そうですね。兄弟子に何と説明しましょう?」

「お漏らしを止めるためと言っておけ」

「釈然としませんが、納得されそうです。ひとまず浄化槽の設置待ちですね」

「聖属性の魔法は使えぬのか?」


 聖属性の魔法は腐食や毒物、呪いなどを除去するのだ。


 だが、エスティには才能が無い。それに、ネクロマリアの大国で秘匿されている技術でもあり、風や水などのような大衆向けの書籍も無い。


「無理ですね。そんな便利な魔法があったら、ネクロマリアのトイレ事情も解決してますよ」

「確かにな。そう都合よくはいかぬか。もうあの頃のように外ではしたくない」

「ふふ、猫なのにですか?」

「我にも羞恥心はある」


 ロゼは今まで外で済ませていたが、蓼科では行儀よく便座に座ってトイレをする。エスティは初めてその排尿姿を見た時、「こんなの笑う」と言ってお腹を抱えていた。



 再びリビングに戻り、日向の説明の続きを聞く。

 最終的にノートは十数ページにも及んだ。



「――こんなもんかな。ま、あとは使ってみて分からなかったら随時聞いてよ」

「ありがとうございます、日向」

「いいよいいよ。にしても、残りは外湯だけかぁ。この家も随分と発展したね。これからどうするの?」

「これから、ですか……」



 エスティは特に大きな目的があってこの『魔女の庵』を建てたわけじゃなかった。ここ蓼科に骨を埋めてもいいやと思って建てたのだ。


 美味しいものを食べて、自由に暮らせればそれでいい。

 そう考えていた。



 でも、気が付いた。



 甘い生活をする時に、罪悪感を背負い続けたくはない。

 常に後ろめたさが付きまとうのだ。



「――新しい魔道具を考えます。ネクロマリアの状況は悪いらしいので、生活費を稼ぐついでに兄弟子達の助けになればいいかなと」

「お……おおおぉ、エスが成長しているぞバックスよ。我は感激だ!」

「あ、特撮は全部見ますよ」

「……」


 幼い頃から付き添っていたロゼは、それでも嬉しかった。ロゼが猫らしからぬ微笑みをしているのを見て、日向も口を開いた。


「ふふ、私もちょくちょく遊びに来るよ。進学しないと決めたから、土日に余裕が出来たし」

「いいですね。日向のパンは買い取りますよ」

「ほんと!? いやーお小遣い増えちゃうなぁ!」


 日向は嬉しそうに頭をかいた。



 この生活に、エスティは満足していた。

 冒険者時代も楽しかったが、自分はもともと出不精なのだ。


 家で仕事をしつつ誰かが訪ねてくれるなんて、こんな贅沢な事は無い。



 だがそんなエスティとは対照的に、ロゼは危機感を覚えていた。



 ロゼがバックスに聞いたネクロマリアの現状の中には、エスティに伝えていないものもあった。


 ネクロマリアで最も強大な大国オリヴィエントですら、加速度的に増え続ける魔族に対処し切れていない。そして対処できるラインはとうに超えている事を、ネクロマリアの住人の大半が知らない。


 起死回生の一手がない限り、ネクロマリアの人類が滅ぶのは時間の問題。そんな状況下で、辺境の国ラクスに時空魔法使いが出現した。



 ラクス王国の保管する文献にはチラっとしか出ていなかった時空魔法。大国オリヴィエントの文献では、一体どう伝わっているのだろうか?



「――ままならないな」

「? どうしました、ロゼ?」


 この幸せを壊したくない。


「…………いや、腹が減った」

「ふふ、隠さなくてもいいですよ。昨日の白猫に惚れたんでしょう?」

「お、一目惚れかな?」

「違う」

「尊いですねぇ。今からベッドルームを作りましょう。この世界では回転するベッドが主流だそうですが、日向はご存じですか?」

「え、エスティちゃんそれどこ情報!?」



 エスティはやる気は無いが、優しい子だ。


「まったく」


 ロゼは、大好きな主が死地に行かないか、それだけが心配だった。

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