第06話 そういえば現金が無い
「ついに帰ってきた……私の安息の地、蓼科に……!!」
日向の部屋でポテチをつまみながら、エスティが突然そう言い放った。
外では夕日が沈みかけ、八ヶ岳の山々がオレンジ色に光り輝いていた。窓枠の中に、まるで絵画のような光景が広がっている。
「――我はこの景色を見るだけで、蓼科に来てよかったと思う」
灰猫の瞳がオレンジ色を映し出す。
たそがれているのだ。
「気を付けてくださいねロゼ。あのオレンジの光は私達の魔力を吸いますよ」
「なっ、本当か!?」
「嘘ですよ」
ロゼは急に真顔になった。
エスティはたまに意味の無い嘘を吐く。
そして、ロゼはいつも騙される。
「……ぱりぱり……このフレーバー、ピリッとして美味しいですね」
「分かる? 青唐みそ味なの」
「へぇ。欲を言えば、お酒が欲しいです」
まだ蓼科に戻ってきてすぐだ。
エスティは、早くも自堕落を極めつつあった。
ポテチを食べ終えたエスティは、今度は死んだようにクッションに顔を埋め、うつ伏せのまま寝始めた。日向も同じく、エスティの隣にクッションを並べてモフっとして寝始めた。
二人はこのまま温泉の時間まで寝る気だ。そして風呂上がりには夕飯を食べて、またこうして寝るのだ。
これではエスティが駄目になる。そう考えたロゼは、寝そべったままのエスティにぴょいっと飛び降り、お尻をふみふみしながら話し始めた。
「エス。
「ん? まだ材料が全然足りませんよ」
「なんだ、バックスから素材を貰ったのではなかったのか?」
エスティはうつ伏せのまま首を横に向け、話を続けた。
「兄弟子がくれたのは《魔女の庵》の魔道具で、建築素材ではありません。今あるあの小屋だけでは拡張に限界があるので、もっと素材を用意しないと」
《魔女の庵》の拡張機能は、あくまで元の建物がベースとなる。小屋程度では限界があるらしいのだ。
そのため大きな庵が欲しければ、大きな中古物件を買い取って《魔女の庵》とするか、詠唱時に大量の建築資材と魔力を掲げてベースの容量を大きくしておくのが通例らしい。
「でも私、容量とか基礎とかよく分からないんですよね。ロゼ、知ってますか?」
「成典殿が言っていたが、基礎とは地中に埋める土台のようなものらしい。それとこの国では基礎の大きさや床面積、建築素材などに応じて、領主に納税しなければならないようだ」
「へー。そうなると、この国の通貨が必要なんですか」
「エスティちゃん。現金はあるの?」
「ははは、まさかですよ」
空間に残していた資産は人助けの勇者に渡しているし、自宅に隠してある残り僅かな財産も差し押さえられている可能性が高い。
「そういえば、自販機の下を覗いて歩いていたら100円玉を拾いました」
「おぉ、言った通りじゃん! よかったねエスティちゃん」
「これで家を買えますか?」
「無理だよ……」
建築資材どころか、全財産は100円。
服も日向のお下がりで、食事も寝る場所も笠島家。エスティは衣食住の全てにおいてスネをかじって生きていた。
「そもそも、我もエスも戸籍というものが無いのだ。冒険者の時と同じで、蓼科でも何か契約を行うときには身分を証明する物が必要らしい」
「仕事をする時もですか?」
「分からぬ」
生き死にが多いネクロマリアでは、戸籍など貴族にしか存在しない。
「どうしましょうね……」
エスティはくるっと体を回転し、今度は日向の方に顔を向けた。二人の顔は数センチの距離。日向はエスティと目が合うと、少し照れた様子で目を泳がせた。
「日向、この辺で使わないものを売れるお店はありますか?」
「つ、使わないもの?」
「魔物の素材とか、呪いの品とか」
「また物騒だねエスティちゃん」
日向は「んー」と言いながら、天井を仰ぎ見た。
「
◆ ◆ ◆
人骨。
腐った内臓。
呪われてるっぽい刃物。
盗賊から拝借した、血濡れのコート。
お洒落なパン屋の駐車場に、おどろおどろしい物がずらりと並べられていた。ラクス救助隊の活動において、ヤバめの物は全てエスティが収納していたためだ。
「うぇ~汚い~!!」
「エス。まず臭い物は撤収だ」
ロゼがそう指示すると、エスティがパッと魔物の死骸を消し去った。
「そもそもが凄いなぁ、エスティちゃんの魔法は」
成典がそう褒めると、エスティは「おっ」っといった表情で成典を見た。褒められるチャンスだと思っているのか、両手を腰に当てて微笑んで鼻を高くしている。
「凄いよねー! 私も覚えたいよ。収納する魔法に制限はないの?」
「ありますよ。例えば、発動してから2秒~3秒程度のラグがあったり、自分から大体1mの範囲でしか開けなかったり。あとは出し入れには魔力を使いますし、大きさや重さによって消費する魔力も増減しますね」
細かい制限はあるが、どこにでも需要があるのが空間魔法だ。
「家とかは入るの?」
「家は無理ですよ。私の魔力では収納する入り口が大牛程度しか開きません。ですが家をバラバラにすれば……そうですね、この家の半分ぐらいは入るかもしれません」
エスティの保有する魔力は膨大だが、それでも大きな荷物は入ならかった。
マチコデ達が魔物を討伐して一休みしている間に、エスティが死んだ魔物の素材を切り分けつつ寄生虫をナイフで引き剥がす。面倒な事に、空間魔法では一定の大きさ以上の生物は収納できないためだ。
更に空間の中は時間経過があるため、生肉などは簡易的な防腐処理を施してから収納する。売れる部位は消毒も行う。そんな地味な作業が、エスティの日常だった。
「エス、時空魔法はどうなのだ?」
「空間魔法との違いは結構ありますね。中にある物の時間が停止する事と、魔力を多く使ってしまう事、それに一点集中で魔力を流すと転移門が開く事でしょうか」
「転移門はあくまで移動用か」
「まぁ、臨時脱出用にもなりますよ。大変なのは兄弟子ですね」
その一言で、ロゼはため息を吐いた。
バックスはやはり気の毒だ。
「それで、成典さん。この中に売れるものはありますか?」
「うーん」
成典は残された物を見渡す。
珍しそうな物もあるが、どれも劣化していて原型を留めていない。辛うじて食器類ならリサイクルできるかもしれないが、大した金額にはならない。
「残念ながら」
成典がそう言うと、エスティはがくっと項垂れた。そして両手をひらひらしながら収納し始める。
「ま、売れなかったから持っている訳ですからね」
「……それよりも、エスティちゃんのその力は別の所で活かせる気がするんだ」
成典は優しく提案した。
「別の所、ですか?」
「明日、少し時間を借りてもいいかな。白樺湖の方でね――」
処分に困っているものがある。
成典はそう言って、誰かに連絡を取り始めた。
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