第05話 庵を作るため、兄弟子に頼る


 ラクス王国内、辺境の村。

 人助けの勇者マチコデは、荒れていた。



「――侮辱しやがってええぇ!!」


 怒りに身を任せたマチコデの一閃が、巨大な魔物を切り裂く。



 秘宝を奪って逃げた空間魔法使いの足取りはいまだに掴めていない。国を挙げて指名手配をしようとしたが、父でもある国王に制止された。


 自身の称号を見られたのだ。



 そのせいで、ラクス救助隊は人々から冷ややかな視線で見られるようになった。『勇者マチコデは、自身の性的欲求の為に人助けの勇者になっているのではないか』と。


 噂はすぐに広まり、雇ったばかりの新しい空間魔法使いはたった2日で辞めてしまった。



 それからずっと、人々からの感謝の声は疑いの目と共にやってくる。



「俺の代で国が滅ぶんだぞ……!」


 確かに自分が浮かれていたのもあった。でも、種を残すのも王家の役割だったはず。


 何もかもがあのエスティのせいだ。マチコデは、全ての罪をエスティになすり付けたかった。



 良かれと思っていたのだ。


「グオオオオオ!!!!」

「――くだらん」


 最後の魔物が真っ二つに斬られる。


 勇者マチコデは、そうしてまた一つ村を救った。



◆ ◆ ◆



 同時刻。


 エスティの兄弟子バックスは研究室にいた。



「ふぅ。そろそろ夕食の時間かああああああああああああ!!?」


 叫ぶバックスの背中から、ヌッとエスティが顔を出した。そのままロゼと共に研究室に降り立つ。


「ついに戻ってきてしまった……この退廃した世界に……!」

「ぐおおおおい妹弟子よ! お前は僕の背中に何をしたんだ!!?」


 エスティはその声で、バックスの存在に気が付いた。そして四つん這いになって呼吸を整える兄弟子の背中にポンと手を置いた。


「この背中が、転移門の座標に指定されました」

「何だい、その不穏な台詞は……。はぁ、しかしいつの間にいたんだ」


 バックスは起き上がり、服を整えた。



「まったく、背中がムズムズする。気持ち悪いほどの魔力がズサアアっと流れてきたよ」

「修行が足りませんね」

「勝手に魔力を垂れ流した張本人が何を言うんだ……けどまぁ無事で良かったよ。王子様が血眼になって探していたからね。今までどこに隠れていたんだい?」


 バックスの問いかけに、ロゼは答えない。


「その前にバックス。今はどういう状況になっている?」

「相変わらずせっかちだね、ロゼは」



 バックスは椅子に座り直し、マチコデ王子の現状について、エスティとロゼに伝えた。


「――まぁ、流石に国王も厳しい処罰を与えるような真似はしなかったよ。王子様を中心とした悪戯として、エスティの言っていたような噂は広まった。彼は嫌になったのか、ここ最近は隣国にいるようだ。秘宝についての話は表に出ていない」



 秘宝という言葉で、エスティは固まった。バックスはエスティのその様子が何を意味するか、長い付き合いからよく理解していた。


 妹弟子が悪い事をしたときは、こうして無言で目を逸らす。



「……で、肝心の秘宝はどこだい?」

「兄弟子の背中に埋めました」

「冗談はよして……冗談だよね、ロゼ?」

「半分、冗談では無いぞ」


 バックスは固まった。


「私、時空魔法が使えるようになったんですよ」

「……は?」

「兄弟子の背中に、転移門の座標が固定されました。さっき言ったでしょう。私達は兄弟子の背中を通って異世界から出て来たんですよ」


 バックスはエスティよりも、信頼できるロゼを見た。


 ロゼは目を閉じて頷いた。

 どうやら事実のようだ。

 バックスの顔から血の気が引いていく。


「いや……まさか、この前アホみたいに背中から泥が出てきたのも時空魔法かい!?」

「あれが泥とは、兄弟子は温泉を学んでくるといいでしょう」

「その座標ってのは変更は出来ないの?」

「やってみましたが、指定された場所以外で転移門を開くとなぜか穴の制御が難しくて。兄弟子、文献を漁ってみてください」



 バックスは唖然とした。

 開いた口が塞がらない。



「何してんのさ妹弟子……」

「我も予想外だった。実はあの後な――」


 ロゼがバックスの肩に手を置き、肉球でぷにっと慰めた。そして、これまでの経緯を掻い摘んで伝える。



「――にわかには信じ難い」



 バックスは耳を疑った。


 研究者として魔法に携わってきたが、時空魔法などは遥か昔の魔法使いの戯言としか認識されていなかった。まして違う世界の存在など聞いた事もない。


 ロゼの話が真実ならば、これはとんでもない大事件だった。何せ、魔力が枯渇しつつあるこのネクロマリアを救うかもしれないのだ。



「そのタテシナという世界、実に興味深い。僕も連れて行ってくれないかい?」

「兄弟子の背中が入り口ですが」

「そんな……僕は延々と背中で出入りを感じるしかないのか。こんなに悔しい事は無いよ……」

「実に草生えますね」

「おいエス」


 そんな状況でも、エスティは楽しんでいた。



「それで、私は拠点を蓼科に移そうと思うのです。しばらく逃げたいですし。私の家は今どうなっているんです?」

「封鎖されていたよ。胡散臭い兵士がウロウロしている。近づく事も出来ないだろうね」

「やはり王子が怒っているのだ。エス、まずは謝りに行こう」

「何言ってるんですかロゼ。勇者に顔見せた瞬間、私は牢屋にポイですよ」


 エスティはロゼを抱っこした。


「ロゼ。酔った勢いとはいえ、私でもさすがに悪いとは思っています。いつか謝るので、今は逃げ回らせて下さい」

「……好きにするがいい」

「それがいいよ。時間が緩和してくれるさ。ところで、移住となると家はどうするんだい?」

「あ、そうでした。蓼科で《魔女の庵》を作るので、レシピと素材を教えてください」


 エスティは満面の笑みでそう言った。



 バックスは再びロゼを見た。


 ロゼの慈愛に満ちた表情が、悲しい真実を告げていた。



◆ ◆ ◆



「しかし、随分と簡単なレシピですね」



 ネクロマリアに戻って数日。


 エスティはバックスの研究室を拠点として、生活に必要なものを空間魔法に収納していった。


 そして目の前に並ぶのは、帰還の目的でもあった《魔女の庵》の素材だ。杭や錬金剤などの汎用的な素材が中心だが、特殊な魔方陣の描かれた魔獣の皮も複数枚ある。


「魔女の心臓まりょくが一番の素材だからね。しかし妹弟子、これだけ集めておいて今さら言うのも何だけど、やっぱり普通の家でもいいんじゃないかい?」


 これはロゼが何度も説得した台詞と同じだった。


「いえ、ずーっと夢だったんですよ。自分の《魔女の庵》を作る事が」

「あぁ……そうだったね」



 同じ孤児院で生活していたバックスは、エスティの美貌に釣られてやって来る恐ろしい大人達を近くで見ていた。


 ――本当に色々あった。

 

 エスティは、苦労していたのだ。性格が歪まずに育ったのは奇跡……いや、思い込みの激しい変人ではあるが。



 そんな彼女の過去を知っているため、この夢は叶えてやりたかった。


「色々とありがとうございます、兄弟子。この恩は、いつか必ず返します」

「期待しないで待ってるよ。にしても、寂しくなるね」

「約束通り定期的に連絡しますし、また遊びに来ますよ。背中から」

「僕は必死で文献を漁るよ……」

「では背中をこちらに向けて下さい」



 そして、バックスの背中が向けられたのを見てロゼは思った。


 悲壮感の漂う悲しい背中だ。バックスはこうしてエスティに振り回されて生きてきたのだと。


「……我は同情するぞ、バックス」

「何を言うのかなロゼ、僕こそ君に同情するよ」

「む、どうしました。何かあったんですか?」

「無い」

「無いよ」


 そんな風に考える一人と一匹を他所に、エスティはバックスの背中に魔力を流し始めた。


「ふふ――では帰宅!!」

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