第07話 魔女と猫、蓼科を観光する


 翌朝。


 笠島一家とエスティ達は、高原の人造湖である白樺湖へと出発した。日向の母である陽子ようこも助手席に座り、4人と1匹が車に揺られながら美しい道を進む。



「この道はビーナスラインといってね、いわゆる観光道路なんだよ。昔は栄えてたんだ」

「ニャ~!? なりふみぃ、あれは何と読むのかニャ~!?」

「あれは白樺ゴージャスホテルだね」


 車窓から身を乗り出しながら、ロゼがニャアニャアと興奮している。エスティはロゼが風で飛んで行かないように尻尾を握っていた。


「(ロゼちゃんは急にどうしたの?)」

「(あまり乗り気じゃなかったので、朝食にマタタビを練り込んだんですよ。その時に分量を間違えました。目がイッてますね)」


 ロゼは景色を目で追っているようで、一点を見つめているだけだ。



 白樺湖の周囲にはホテルが点在し、道路沿いには遊園地らしき行楽施設やレストランなども多かった。


「これでも、昔は一大リゾートだったんだ」

「今は違うんですか?」

「観光客はいるよ。でも昔ほどではない。地元民としては、廃れた観光地という言葉がしっくりくるね」

「これがですか? ……信じられません」


 そもそも、山の中に観光施設がある事自体にエスティは驚いていた。加えて子供が遊ぶだけの施設など、ネクロマリアの貴族の庭にすら存在しない。


 いかにこの地が豊かであるか、それを目の前の光景が体現していた。



「ここも魔力が濃いですね」

「そうだニャ~! エスは可愛いニャ~!」

「……ロゼ。実は私、呼吸ができるんですよ」

「エスは天才だニャ~!!」

「この猫ちょっとうるさいですね」

「中々ひどいねエスティちゃん……」


 この白樺湖もそうだが、エスティはここに至るまでの山々からも桁違いの魔力を感じていた。魔力が多い所は裕福だというのはネクロマリアでも蓼科でも同じかもしれない。



「折角だし観光案内したいところだけど、用事があるのはこっちなんだ」


 白樺湖をぐるりと一周し、右折して山の中へと向かう。車がギリギリすれ違えるような、細い道だ。そこにも、家や宿らしき建物が点在していた。


「しかし、車があると坂道も楽ですね。ネクロマリアなんて馬車ですよ、馬車」

「エスティちゃんの故郷か。ちょっと見てみたいね」

「成典さん、今度行ってみますか?」

「あ、お父さんずるい! 私も行きたい!」

「あら、じゃあ私も見てみたいわ」


 思いのほか、皆が食いついた。見ても面白いものなどないが、喜ぶなら連れて行きたい。


「ふふ、じゃあ皆で行きましょうか」

「我も我も~ぐえっ!」


 ロゼが暴れてドアに鼻をぶつけた。


「お、見えた。あのログハウスだ」



◆ ◆ ◆



 一目見て分かった。


 このログハウスに、人は住んでいない。



「僕の知人が酔狂で建てた別荘。今はご覧の通りだ」


 別荘とは、いわば貴族の別邸。この蓼科の地は別荘地として有名らしい。エスティはそう説明を受けていたが、目の前のこれが貴族の別邸には見えなかった。


「朽ち果てていますね」


 大きさは5m四方の2階建て。側面の壁とウッドデッキ、それに天井の3分の1が崩れており、中が丸見えの状態だ。


 庭らしきスペースには壁材の丸太と屋根の破片が散らばり、更にそれを植物が覆っていた。住まなくなって年数が経っている。


 その雰囲気が妙に景色に溶け込んでいた。家が自然に還っていく過程のような、どこか不思議な光景だ。



「遠方にいるとね、別荘なんて年に一度来るか来ないかなんだよ。ブームだった頃にはもっと来ていたらしいんだけど、今はそんな時代じゃないからね」

「凄い世界ですね」

「はは、ほんとにね。……さて、ロゼは大丈夫?」


 エスティに抱えられたまま、ロゼは眠っていた。エスティはロゼを地面に置き、ごろんと回す。


「ロゼ、ロゼ、起きてください」


 これは使い魔との呪文だ。

 ロゼの意識と酩酊具合がリセットされ、意識が戻る。



「――おいエス、どうなってる?」

「おはようロゼ。早速だけど説明するよ。この家の持ち主は、家を手放したがっているんだ」


 土地の面積は広く、白樺湖から比較的近い別荘地のため、需要はあるそうだ。


 しかしこの朽ちた家はどうしようもない。こうなると、リフォームするよりも解体した方が安く済むらしいのだ。


「エスティちゃん、壊せるかい?」

「んー。やってみないと分かりませんが、本当に壊してもいいのですか?」

「無料ならぜひと、本人からお願いされた。家の解体って結構お金がかかるんだよ。別荘の管理事務所にも話は通ってるし、この様子じゃいつ壊れるか分からないなら早くバラした方がいい。報酬は、使えそうな木材や家具全てだ」



 エスティは建物を見渡した。


 家具は問題ない。壁は丸太に分解すれば収納できるだろう。魔力も周りから吸い取ればほとんど消費しないはずだ。


 問題は、どう分解するか。

 攻撃魔法は無いに等しい。


 一体となっていると、空間には詰め込めない。魔物ならばナイフで切り裂けばいいが、家となると不可能だ。



「ロゼ、解体するのに良い案はありますか?」

「そうだな……。単純に強い衝撃を与えるとか、重い物を落とすとかはどうだ?」

「重い物……」



 目の前に、ほどよい大きさの丸太がある。

 エスティは転がった丸太をパクっと収納し、壁に近付いた。


「よし、少し離れていてくださーい!」


 そして収納した丸太を、斜め上から家の外壁に向かって斜めに開放した。現れた丸太が家に衝突し、そのままゴロンと落下する。


 やはり朽ちているせいか脆かった。ぶつかった衝撃で、外壁の丸太の一本が内側にズレている。


 エスティがズレた丸太に触れると、ニュルっと収納された。


「……いけそうです!」



 やれる判断が出た所でロゼ達が近づき、エスティは成典とロゼの指示に従いながら解体と収納を始めた。


 ログハウスは、予想以上にぼろぼろだった。

 解体の順番を間違えると崩れ落ちる程だ。


 虫が多くて収納に手間取ったが、成典が想定していた以上に手早く解体が終了した。



「これは壊れないですね」

「基礎は再利用できるかもしれないからいいよ。いやぁ助かったよエスティちゃん」


 そして成典は管理事務所に連絡を取り、終了を報告した。



「ありがとうございます、成典さん。これで念願の庵を建てれます」

「いやいや、こちらこそ」


 時刻はまだ11時。


「さて。時間もあるし、異世界出身のお二人に見せたい景色があるんだよ。陽子、悪いけど少し寄り道してもいいかい?」

「えぇ、もちろん」



◆ ◆ ◆



 車は再び白樺湖に戻り、今度は禿山の方角へと進み始めた。

 ぐんぐんと山を登り、雲が近くなる。



「おおぉ、これは絶景だ……!」

「ロゼ、ちゃんと座ってください」

「見ろエス、湖があんなに小さい!」



 確かに、先程までいた場所がはるか下だ。

 まるで空を飛んでいるみたいだ。


「ここは車山高原。良い景色だろう?」


 禿山のおかげか、視界が開けている。

 遠くの方には黄色い花も見えた。


 いや、山全体が黄色い。



 満開の花が山一面を覆っている。



 見た事の無い花の絶景に、エスティは感激した。


「――凄い、凄いです!」

「ニッコウキスゲっていう花だよ」



 近くの駐車場に車を停めた。

 エスティとロゼは車から飛び降り、花の山に向かって走り出した。


「ふふ、娘がもう一人できたみたいね」

「そうだね」



 エスティは小高い山の上で足を止めた。

 辺りを見渡した。360度、辺り一面がニッコウキスゲの花畑だ。


 ブルーグレーの髪が風になびく。



「綺麗ですね」



 空間魔法使いとして魔物を剥ぎ取っていた頃は、こんな世界があるだなんて想像もしなかった。



「エス、来てよかったな」

「はい」



 エスティは静かに目を閉じた。

 鼻で息を吸い、耳で風の音を聞く。


 空気も美味しい。


 もし天国があるなら、こんな場所だろう。



「――私、あの人達に恩返しがしたいです」

「我もだ」


 エスティは目を開き、ロゼを見て笑った。



 そして、そんなエスティの美少女っぷりに観光客は足を止めた。通りすがりのカップルや家族連れも、エスティに釘付けになっていた。


 人が集まり始めたところで、日向が慌ててエスティに声を掛けた。


「エスティちゃん、ちょっと目立ってる」

「ん……? あ」



 日向に手を引かれて、そのまま近くの喫茶店へと入った。


 山小屋を改築したかのような小さな喫茶店だ。狭くて暗く、ネクロマリアの酒場に近い雰囲気がある。


「こんな山の上で酒場とは」

「酒場じゃないよロゼちゃん。あと喋っちゃだめ」



 ウッドデッキのテラス席では、成典と陽子がコーヒーを飲みながらボルシチとケーキを食べていた。そして彼らの目の前に広がるのはニッコウキスゲの山々。



「そこの美少女二人、一杯どうだい?」


 成典と陽子が、したり顔でコーヒーカップを掲げた。


「ふふ、ご一緒させてください」

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