第9話 優しさと偏見

家で過ごす間、兄は養護学校ではなく、一年遅れで市立の幼稚園、隣にある市立小学校、そして市立中学校に通った。この幼稚園で仲良し三家族、わたしにとっては第二第三の母達に出会えたことを思うと、入園を許してくれた当時の園長には感謝しかない。


兄は知能障害がなかったことで、特別学級ではなく普通学級に通っていた。園や学校側に「YES」と言ってもらえるまで母が奮闘したのは言うまでもない。


幼稚園は1年のみの付き合いで、先生達以外は子ども同士で兄弟のことを知る由もない。一方、小学校は6年間。


わたしが入学すると、既に兄は校内でちょっとした有名人。兄弟皆んな同じ学校に通ったことで、姉やわたしが続いて入学すれば、「あー、マー君の妹さんなのね!」と声をかけられることも度々あった。


「お前の兄ちゃん植物人間なの?」


突然、好奇心旺盛な悠太君が悪気もなく聞いてきた。悠太君は親が離婚してから喧嘩や万引きを繰り返し、校内ではいわゆる問題児に認定されていた。調子が良い時はクラスのムードメーカでもあるけれど、喧嘩が始まると手のつけられないとっぽいグループの頭だった。わたしはなぜか彼とよくしゃべった。愛嬌のある彼がいつもそんな風に笑って過ごせれば良いのにと思っていた。


そんな彼からの直球な投げかけに、わたしは気を悪くすることはなかった。ジロジロ見るだけの大人達よりずっと良かった。


「違うよ。歩けるし(当時はまだ歩いていた)、話せるし(声帯がないので慣れればかすれた声が聞こえる)、頭も普通だし(勉強もできる)。ただ、原因不明の病気なだけ。」

「ふーん。お前も大変なんだな。」

「まぁね。」


手のかかる兄がいて大変じゃないと言えば嘘になる。


ただ、わたしにとっては当たり前過ぎて、それが本当に大変なのかという感覚は麻痺していた。大喧嘩をしたり、妹をいじめたり、違う意味で世話の焼ける兄は世間に五万といるだろう。それに比べればなんてことなかった。病気や障がいというフィルターの前に、わたしにとってはただの兄という存在に変わりはなかった。


そうは言っても、障がいだらけの兄を世間に見られることが嫌になる瞬間は度々あった。一歩外に出れば、まじまじともの珍しい生き物を観察するような視線を感じることもあった。エイリアンにでも出くわした様な顔を幾度となく見てきた。


そもそもわたしが兄のことをいわゆる障がい者だと気付いたのは、小学3年生の時だ。薄々感じてはいたものの、それまでわたしにとってはあまりに当然の存在すぎて、兄が世間で特別視される人間だと気付かなかった。


授業で特別養護学校の子ども達と交流した時初めて、兄は紛れも無く障がい者のひとりなのだと思い知らされた。

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