第98話 婚約の話は無かったことにしてほしい




 やがて、上空からさっき俺が見つけた重なり合うような影が舞い降りてきた。


 それは真っすぐにこっちに向かってくるようで‥‥‥。


「無限の彼方へさあ行くぞ!」


「もう着いたから、早く降りて。重い」


「重くないよ! それを言ったら、さっきあたしに乗っかってきた月菜も結構重かったからね!」


 会話から察するにお互いにおんぶし合ったようで、仲がいいのか悪いのかよくわからないいつも通りのいがみ合いをする月菜とみぞれが俺たちの前に立つ。


 ただし、その手にはさっきまで俺たちがいた店のケーキが入った箱を持ってた。あのお店ってテイクアウトできたんだ。


 ていうか、あれぇ? つまり、なんだ‥‥‥やっぱり、監視してたのって百鬼組の敵とかじゃなく‥‥‥。


「やはり現れましたのね! しかし、わたくしと星夜さんの愛の逃避行は止められませんわ!」


 そう言って、胸を張って二人に相対する姫彩。


 俺はそんな彼女に、耳打ちで聞いてみる。


「なぁ、”やはり”ってことは、姫彩は最初から監視してるのがあの二人だって気が付いてたのか?」


「はい? えぇ、最初は分からなかったですがなんとなく。星夜さんも気が付いていらしたのでは? ‥‥‥星夜さん?」


 なんてこった‥‥‥そりゃあ、気が付いてたならみんな落ち着いていられるわ。


 しかも、なにか? みんなは勘違いだって気が付いてたけど、わざとそれに便乗してノリノリでミーハーごっこしてたってこと? ‥‥‥俺だけガチ焦りしてたのが本気で恥ずかしいんだけど。


 あ~、でも、本当にヤクザの襲撃じゃなかったって分かってちょっと安心してる俺もいる。


 まぁ、安心感より圧倒的に羞恥心の方が大きいんだけど。


 そんな、姫彩に”この人どうしたんだろう?”みたいな視線を向けられつつ、こみ上げる羞恥で悶えてると、いがみ合いを終わらせた月菜とみぞれがこっちを向く。


「帰ったら体重計だからね!」


「分かったから。それよりも今はこっち」


「そうだった! 星夜、今すぐその人から離れて!」


「上から見てたけど、真っすぐにホテルに向かってる。無理やり連れてくなんて許さない」


 そう言われて指をさされた姫彩は、心外だって表情をしながら俺の腕に抱き着いてくる。


「そんな、無理やりだなんて言いがかりはよしてくださいな。これは星夜さんも合意の上ですのよ? ねぇ?」


「そ、そうなの星夜‥‥‥?」


「そんな‥‥‥」


 にんまりとした姫彩と、どこかショックを受けたような月菜とみぞれに視線を向けられて、勘違いしてたことを誤魔化すように頬をかきながら答える。


「ま、まぁ、恥ずかしながら追われてると思って‥‥‥でも、入るつもりは無かったよ? 前の大通りでタクシーでも拾うつもりだったんだよね?」


 もしかしたら‥‥‥なーんて男の子的に思わなくもなかったけど、たまに破天荒で強引なところがあるとしても姫彩みたいなお嬢様が婚前交渉みたいなことしないと思うし‥‥‥というか、したら新左衛門さんにぶち殺されそう。


 ‥‥‥と、思ってたんだけど。


「わたくしたちの関係に口を挟んでくる方たちを黙らせるために既成事実を作るのですよね? 追われる身になるも、それを逆手に取って愛の巣に飛び込む‥‥‥まさしく愛の逃避行ですわ!」


「え、全然そんなこと思ってないんだけど」


「え、違うのですか?」


「‥‥‥」


「‥‥‥」


 どうやら、俺と姫彩の間には大きな認識の齟齬があったよう。


 いいのかよそんなにあっさりしててって思うものの、そういえばさっき既に婚姻届けを準備してる気の早さだったことを思い出した。


 というか最近再会したばっかりでまだよく彼女のことを知らないけど、姫彩なら”婚前交渉がダメなんて古臭い考えは知りませんわ!”とか言いそうだ。


 なにか不穏なものを感じて、姫彩の絡みついてくる腕をそっとほどいて静かに距離をとる俺。


 薄々感づいてたけど、百鬼姫彩って相当ヤバい子なんじゃないか‥‥‥?


 百鬼家の孫娘ってことで既にもう家柄と、”鬼”ってことだけでもヤバい感じがするけど、彼女の人柄だけにスポットライトを当てれば、和風美人の容姿端麗で、動作の一つ一つに落ち着いた気品があって、だけど空回りするくらい元気いっぱいで、何故か俺に対して健気に一途で、少々強引なところが玉に瑕。


 俺の姫彩に対する印象はそんな感じの評価だった‥‥‥が。


「あら? 星夜さん、どうして離れていくのですか?」


「いやー、なんでだろう‥‥‥身体が勝手に‥‥‥」


 にこりと、可愛らしく微笑んで一歩俺に近づく姫彩。


 その笑顔を見て、俺は確信する。


 なんとなく気が付いてたけど‥‥‥姫彩はお嬢様だから常識知らずなのかもって思っていたのだけど‥‥‥これは違うわ。


 姫彩は”常識知らず”なんかじゃなくて、知ってるうえで強引な”常識離れ”のやべぇ女だ。


「さぁ、星夜さん! ちょっとした勘違いがありましたが、わたくしたちの愛の逃避行を続けましょう! そしてそのまま結婚まで逃げ切ってしまいましょう!」


 そう言って姫彩は、腕を前に突き出してくる。握ってってことなんだろう。


 ただ、エマージェンシーを発していた俺の頭は、スッと冷静になっていく。


 いくら姫彩が強引でも、俺は彼女の手を握れないのだ。


 それを止められたとしてもしっかりと伝えないといけない。


「姫彩。実は——」


 言葉にしようとした瞬間、姫彩が一歩踏み出すのが見えた。


 けれど、普通の人間である俺の動体視力じゃ、鬼である姫彩の身体能力の高さを目で追えない。


 まぁ、でも、彼女が動いたってこと、はやっぱりもう姫彩は俺の気持ちに気づいてて、そしてまた口封じをされる‥‥‥。


 と、思ったことは起きなかった。


「うわっ! やっぱり力が強すぎる!」


「ぐぬぬ‥‥‥星夜、早く言って! もたない!」


 すぐ目の前に迫る姫彩を、これまたいつの間にか現れたみぞれと月菜が抑えてくれる。一瞬だけジャンプマンガになったよう。


 というか、二人がかりでも姫彩を抑えるのはやっとなのか‥‥‥やっぱり、鬼ってやべぇな。


 改めて姫彩に感じる畏怖と、月菜とみぞれに頼もしさを感じながら、俺は真っすぐに金色の瞳に告げる。



「——俺には好きな人がいる。だから、君との婚約の話は無かったことにしてほしい」



 しっかりと、誤魔化されないように、納得してもらえるまで目を離さない。


 何十秒、何分と経って、姫彩はそっと息を吐き出した。


「骨が折れるかと思った‥‥‥」


「力強すぎ‥‥‥」


 それと同時に、ちょっとミシミシと鳥肌が立つような音が鳴ってた組手のほうも力を抜いたのか、みぞれと月菜がそんなことを言いながらもたれ合うようにして座り込む。ただ、警戒は姫彩に向けたまま。


 俺はそれでも、姫彩の瞳を見続ける。


「はぁ‥‥‥そんなにはっきり言われてしまったら、もう知らんぷりなんてできませんわ」


 やがて姫彩はやっと観念したのか、不満げな顔をしつつもそう言った。


「ごめん。知らなかったとはいえ、父親が結んだ約束を反故にすることにして」


 俺は謝ることしかできない。


「いえ‥‥‥星夜さんのお気持ちは、ちゃんとわかりました」


「そっか、ありが——」


 申し訳なく思いながら、理解してくれたことにお礼を言おうとして‥‥‥人差し指を唇に当てられて、またもや強引に言い止められる。


「ただし! わたくしが諦めるかどうかはまた別の話ですわ! たとえ婚約の話が無くなったとしても、わたくしの気持ちは変わらないのです!」


 俺の告げた言葉を真っ向から跳ね返すように、金色の瞳を俺に向けて姫彩は続ける。


「ですので、必ず星夜さんにはわたくしと結婚していただきます! わたくし、こう見えて手強い女なんですよ?」


 そう言うと、姫彩は茶目っ気たっぷりにウィンクをして、俺たちから数歩離れた。そして、そろそろ見慣れてきた指パッチンの合図を一つ。


 すると、どこからか聞こえてくるヘリコプターの音。


「でも、今日のところはお暇しますわ! 星夜さん、楽しかったです。また今度、近いうちにお会いしましょうね! それでは!」


 最後に可愛らしくにこりと微笑んで、姫彩は降りて来た縄梯子に捕まると、そのままヘリコプターに回収されていった。


 まるで嵐が通り過ぎて行ったような、一連の出来事‥‥‥というか、ヘリコプターって。


「なんか、会うのは二回目だけど、改めてとんでもない人だね」


「ん、星夜。ヤバい人に目を付けられた」


「あはは‥‥‥確かに。——はぁ」


 姫彩が消えて行った方向を睨みつけるように見上げながら言ったみぞれと月菜の言葉に、俺はそっとため息をついた。


 ほんとに、これからの先行きが不安だ‥‥‥。



————


すみません。次の投稿は遅れると思います。

理由は近況ノートに書いた通りです。

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