第84話 星夜さぁぁぁああんっ!


「えーっと、それってどういう?」


「私たちは人間だけど、鬼でもあるの。いうなれば鬼人ってやつかな?」


 鬼。


 それは、人間にとって最大の天敵だったらしい。


 人を恐れさせ、人を攫い、人の敵になった者であり、その認識は今も変わらない。


 他者を食らいたい。人を食べたい。そういう種族的な欲求を今も常に持ち続けてる。


 そういうことを分かりやすく先生は俺に教えてくれた。流石は現代文の教師、わかりやすかった。


 つまり、新左衛門さん普通の人間らしく違うけど、先生や俺の婚約者(仮)の先生の妹さんは、月菜とかみぞれとかと同じような存在って言うわけだ。


「あんまり驚かないんだね? 怖がってるわけでもないし、やっぱり宵谷先生から聞いてた?」


「いえ、初耳ですけど‥‥‥」


 まぁ、確かにびっくりはしたけど、月菜やみぞれたちの正体を知ってるからそこまでって感じかな。


 そう思ってると先生は、ここはテストにでるからねって言うように、真剣な表情になった。


「星夜君、今伝えたことは本当のことで、私たちは貴方たち人間がたまにとても美味しそうに見えるときがあるわ。でも、誤解をしないでほしい。私たちはもう、人間を食べたりしない。だから、恐れないでくれないかな?」


「あ~、大丈夫ですよ。今の話を聞いても、先生のことを怖いなって思ってないですから」


「そう、それならよかったわ」


 そう言って先生は安心したようにホッと息を吐いた。


 なんていうか、鬼よりも慣れの方が怖いかもしれない。


 吸血鬼とか、ウェアウルフとか、前例が二つもあるから他にそういう存在がいてもあまり動じなくなった気がする。


 というか、他にももっといるんだろうか? って興味さえ持ち始めた。


 しかしそれより思ったんだけど、今の話は聞いてしまってよかったんだろうか? 


 もしかしなくても、婚約の件があるからこそ、俺に百鬼家の真実みたいのを話してくれたんだよね?


 それじゃあ、もしもそのことを断ったりしたら‥‥‥。


 俺の頭の中に、「ウチの秘密を知ったよね? なら、ただで生きて返すわけにはいかないかな」って言って、先生に食われる映像がちらついた。


 やべぇ‥‥‥急に怖くなってきたかも!


「姫織、姫彩ひいろのやつはまだ来ないのか?」


「もう少しで来ると思うけど‥‥‥うん? どうしたの星夜君?」


「あ、い、いえいえ! お気遣いなく!」


 さらなる冷や汗をかきながら、俺はどうやって断りたいことを切り出そうか考える。


 といっても、やっぱり覚悟を決めて正直に言うしかないよなぁ‥‥‥。


 最悪、百鬼家の秘密を洩らさないって誓うために血判状を押してもいいし、指の一本くらい‥‥‥いや、父さんの肝臓くらい差し出したら無かったことにして見逃してくれないだろうか。


 それとも他に、なにか差し出せるものは‥‥‥。


 うーんうーんと悩みながら、新左衛門さんと姫ちゃん先生と会話をして、言いだすタイミングを伺ってると。


 ——ドタドタドタドタッ!


「お嬢! お待ちくだされ!」


「もう待てませんわっ! うおおおおおおっ!」


 屋敷のどこからか、誰かが走ってくる騒がしい音と、そんな声が響いてきた。


 えっ! 何っ!? もしかして、別のヤクザ組との抗争!?


「あ~、やっと来たようだな」


「まったく‥‥‥星夜君がいるからって興奮して、もっと落ち着きを持って欲しいわね」


 ビクビクしてる俺とは打って変わって、目の前の二人は、まるでこれが日常茶飯事のことであるように落ち着いてる‥‥‥というか呆れてる?


 や、やっぱりそういう抗争とかよくあるのかな? この二人がいるなら、ここに敵がきても大丈夫だよね?


 ドタドタと人が駆けてくるような音はどんどんこっちに近づいてるようだった。


 程なくして、襖の向こう側に影が現れると——。


「星夜さぁぁぁぁあああんっ!!」


 襖が引かれる‥‥‥ことなく、吹き飛ばして俺に高速で突っ込んでくる少女が一人。


 ‥‥‥ラグビー選手もかくやな動きだった。


「——ぐはっ!?」


 タックルを食らった俺は、反対側に吹き飛ばされて、綺麗に整備された中庭へ。


 そのままゴロゴロと転がって勢いを殺して、霞む視界のなか、俺の上に乗る人物を視認する。


 綺麗な紫陽花が描かれた、藤色の着物を着た女の子だ。


 黒髪を肩口で切りそろえられて前髪ぱっつんのいわゆる姫カットにしていて、切れ長の目に透き通った鼻梁、小ぶりの口元。


 月菜とみぞれが可愛いに部類されるなら、この人は美人って感じの人だろう。


 ただ、俺はこの人に見つめられて、背筋がゾワってなった。


 なぜなら、彼女の瞳に映るのは‥‥‥ハートマーク? いや、得体の知れないおぞましい何かだ。


 なんだかこう、捕食者の目みたいで、よく見ると涎も垂れてるし‥‥‥残念美人?


 とにかくヤバい! 食われる! そう本能的に感じた。


「うおっ! 何で待って!? 動かない!!」


「この時を、ずっとずっと待ち望んでいましたわっ!!」


 大の字に倒れてる俺の両手を目の前の少女はガッチリつかんで離さない。


 抵抗しようにも、この細腕のどこからそんな力が出るのか完全に押さえつけられてしまってる。


「あぁ! 星夜さん星夜さん星夜さんっ!!」


「す、ストップ! ストップストォォォオオオップ!!」


 しかし、俺が叫んでも少女は止まることなく、徐々に顔が近づいてくる。


 ぱっつんの前髪がはらりと俺の顔に垂れて、その下にあるものが見えた。


 額から伸びる二本の角。彼女が鬼である証。


 やがて至近距離で合った、まるで満月が宿っているような爛々と輝く金色の瞳に、自分の運命を感じた。


 あぁ、俺はこの人に食べられて、この人の贄になるのだと。


 きっとあれだ、父さんはたぶん、百鬼組に対してなにか粗相を犯して怒りを買ったに違いない。


 だから俺は父さんによって百鬼組に売られたのだ。


 だって、鬼だし? 昔からそういう存在を鎮めるためには生贄を捧げて許しを請うのが常套手段。


 そうか、なら仕方ないな。親の不始末は子である俺が拭わないと‥‥‥でも、やっぱ今からでもシリアスカミングアウトは無いかなぁ‥‥‥。


 走馬灯のようにそんなことを思いながら、しかしその運命を受け入れるように、目を閉じて全身の力を抜く。俺はもうこの身を流れに任せることしかできなかった。せめてもの抵抗は、声を出さないこと。


 唇に相手の吐息を感じる。もうそこまで、来てるんだろう‥‥‥そして、喰われる。


「ぇ‥‥‥?」


 しかし、そう思った次の瞬間は訪れなかった。


 それと同時に身体から少女の重みが消えて‥‥‥代わりに感じたのは、その何倍も重たい凄まじい圧。


 魂の底からあふれるような恐怖を感じて、俺は慌てて飛び起きる。


 そして見たのは、さっきまで俺の上に伸し掛かってきた姫カットの少女と、対面する本物の『鬼』。


 ビリビリとした雷を纏わせる赤髪を振りまいて、額から一本の角とさっき見たのと同じ金色の鬼の目を煌めかせる、普段とはかけ離れた姿の姫ちゃん先生がいた。


 メガネを外して、例の少女を睨みつけてる。


「姫彩ちゃん? いつももっと落ち着きを持ちましょうって言ってるよね?」


 朗らかな性格はどこへやら。生徒の成績表に書くような言葉には、見たことのないような怒気を感じた。


「ね、姉さま! それは、やっと星夜さんにお会いできて‥‥‥だから——」


「言い訳無用っ! そこになおれ!」


「は、はひぃぃぃいいっ!」


 そして始まる、先生による少女への折檻。


 騒がしい足音が聞こえたと思ったら、飛び込まれてからの展開がもうわけわからん! お見合いはどうなったのさ!


 そう思ってると、縁側から草履を履いて、新左衛門さんもやってきた。


「悪ぃな、姫彩のやつおめぇさんと会うのをかなり楽しみにしてたから、暴走しちまったらしい」


「は、はぁ‥‥‥」


 つまり、あの子が俺の許嫁?


 な、なんか濃い人が来たなぁ‥‥‥しかも何故か好感度すごい高いし‥‥‥それに、さっき組み伏せられたときに間近で見た瞳。


 あそこには、逃げられないような恐怖を感じた。言うなれば、そう『私と付き合ってくれないなら、いっそここで‥‥‥』みたいな。


 やべぇよ、この婚約の話、断ったら俺はあの子にマジで喰われるんじゃないか‥‥‥?


 ますます断りずらくなった理由が増えて心の中で頭を抱える。


 しかしまぁ——。


「こぉらっ! ちゃんと反省しとるかいなっ!!」


「うわぁぁあああっ! 姉さま、もうしないからぁ!!」


 ——さすがはヤクザの組長の孫娘‥‥‥鬼の形相とはまさしくああいうのを言うんだろうなぁ。


 今後、姫ちゃん先生には逆らわないようにしようとお母さんに誓う俺だった。



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