第81話 ‥‥‥だいすき

 


 ◇◇星夜side◇◇



 みぞれの部屋は、俺の部屋の向かいにある。


 よくマンガであるような、窓とかベランダをつたって部屋の行き来することは、庭があるせいでできないけど、小さいころだと糸電話とか、あとは物の投げ渡しとかはよくやってた。


 でも、部屋のベランダ越しに話し込んだりとかはしなかったかな。


 呼び出すことはあったけど、大体いつもどっちかの部屋で過ごすか、家に自分以外誰もいない時はリビングで一緒にいたから。


 そんな昔のことを思い出しながら、俺はみぞれの部屋の前までやって来る。


 ドアノブに手をかけて、ふと、今までどうやって訪れていたのか一瞬分からなくなったけど、少し考えて、ノックも何もしてなかったなって思い出して、同じようにそのまま静かに開けた。


 久しぶりに訪れたみぞれの部屋は、電気がついておらず暗くて見えずらかったけど、家具の位置とかはしっかりと把握してた。


 なぜなら、そこそこ大きいベッドは俺と同じものだし、机もタンスも同じもの。


 そう言えば、『お揃いにしよう!』って言って、一緒に買いに行ったっけ。


 しかも、配置も同じで、まんま俺の部屋‥‥‥こんなところまで同じだったのかって、苦笑が漏れる。


 違う所はドレッサーとか、机の上に放置された女性ファッション雑誌とか、あと柔らく甘い香りとか、そういう女の子特有のものばかり。


 それが、否応無しに俺とみぞれの違いを突きつけてくる。


 そんな中、みぞれはベッドの上でぼーっとして、うずくまってた。


「みぞれ」


「‥‥‥星夜」


 静かに声をかけると、みぞれはこっちを見て‥‥‥直ぐにそっぽを向く。


 分かる。すごく、気まずいもん。


 ゆっくり近づいて、俺はみぞれの隣に腰を下ろす‥‥‥みぞれはそっぽを向いたまま。


「みぞれ‥‥‥その、まずは勘違いして、ごめん」


「‥‥‥別に怒ってない」


「ごめん」


「‥‥‥‥‥‥」


 こういう時は、どうしてたっけ‥‥‥いや、わかってる‥‥‥わかってるけど、やっぱり少しうしろめたさがあって‥‥‥。


 少し息を吸って、静かに吐き出す。


 そしてゆっくりと、みぞれの身体に腕を回して抱きしめて、手を握る。


「ぁ‥‥‥」


「ごめん‥‥‥」


 小さくそれだけ呟いて、ちょっとだけ腕に力を入れた。


 喧嘩して、悪いと思って、謝りたい‥‥‥けど、謝るに謝れない、またはどうしても許してほしい、そう思った時はよくこうして身体を合わせた。


 大抵はお風呂の中か、ベッドの中で、悪いことをした方が後ろから相手の背を抱くようにしながら謝って、あとは許してもらえるまでずっと抱きしめつつ手を握った。


 身体を合わせることで、心の距離も縮まるような‥‥‥そんな気がして。


 これで仲直りできなかったことは無い。


 数分経って、ゆっくりとみぞれがこっちを向いて、背中に腕を回してくる。


 そして今度は、向かい合って抱き合った。


 ——そっか、よかった‥‥‥なら。


 俺は少しだけみぞれを離して、そっと顔を近づける。


「——っ!? んっ‥‥‥ぁっ‥‥‥」


 そしてキスをして、そのまま唇の隙間を縫うようにみぞれの中へ。


 俺たちはお互いに、久しぶりのその柔らかさと温かさを感じ合う。


 一瞬、「えっ!?」っと素早く引っ込めようとした、みぞれの驚いた気持ちを俺の舌先が感じ取るものの、「あ、これは‥‥‥」というように思い出したのか、その意図を確かめるように絡んでくる。


 しばらく、そうして‥‥‥そっと離して、見つめ合う。


「伝わった?」


「‥‥‥うんっ」


 薄ぼんやりとした暗さの中で、はっきりとは見えないものの、みぞれの頬は紅潮してるように見えた。


 それは、たぶん俺も同じで。


「‥‥‥ん」


 そしてまた、照れ隠しをするように抱き合った。



 ◇◇みぞれside◇◇



 あたしと星夜にとって、ディープキスは特別なボディーランゲージの一つ。


 普通の唇を合わせるだけのキスは、嬉しいことがあったり、何かをして二人で達成感を感じた時だったり、とにかくこう「やったっ!」って思ったら頻繁にしていたと思う。


 けど、その一歩上のディープキスは、もっと強い想いやどうしても伝えたい何かがある時に、たまぁにした。


 自分の気持ちを伝えたくて、いつもよりもっともっと特別な何かを相手としたくて、そして抱いてる気持ちを共有したくて。


 言葉よりも、より多く、より深く、より強く、より確実に伝わるような気がしたから。


 でも、大きくなるにつれて、あんまりそういうことをしなくなった。


 ディープじゃなくて、普通のキスもしなくなったし、したとしてもいつもあたしからで‥‥‥お互い大人になったから、喧嘩もあまりしなくなって、今みたいに『ごめんのぎゅー』と、『いいよのぎゅー』もしなくなった。


 だからあたしは今、とても嬉しい。


 ずっと、不安だったから‥‥‥星夜がスキンシップをしてくれなくなったのは、あたしのことを嫌いになってしまったからなんじゃないかと、極端な話だけどね。


 犬と同じで、狼も大切な人からたくさんスキンシップをとってくれないと不安になる。


 その例に漏れず、ウェアウルフであるあたしも、そんなことないって分かってても、心のどこかで不安を感じてたのかもしれない、だから自信もなくなってたのかも。


 だけど今は満たされてる。


「‥‥‥びっくりした」


「うん?」


「星夜から、久しぶりだったから」


「あ~‥‥‥うん、そうだな」


「なんでしてくれなくなったの‥‥‥?」


 抱き合って、心が繋がってる今、ずっと怖くて聞けなかったことを聞いてみた。


「いや、う~ん‥‥‥心臓の音、聞こえる?」


 そう聞かれて、星夜の左胸に耳を当ててみる。


「すごいバクバクしてる」


「でしょ、つまりそういうことだよ」


「‥‥‥?」


 そういうことって、どういうことだろう?


 よくわからないって不思議に思ってると、星夜はゆっくりと自分の胸の内を整理するように話し始めた。


「いつからかさ、みぞれとするキスの感覚が何か全然違うものの様に感じたんだよ。ただの気持ちを伝えあうだけじゃなく、何か違う意味を持ち始めた気がして‥‥‥」


「それで、その『何か』が分からないのにキスしたりするのは、なんだかヤバいことをしてるような気がしてさ‥‥‥スキンシップの枠組みをはみ出ているような」


「でも、その『何か』を思い知るのが、怖かった‥‥‥知ったらもう、後戻りできなくなるような気がして‥‥‥それで、いつも考えないようにしてた」


「だけど、もう誤魔化せなくなってる。きっかけは月菜に告白された時‥‥‥いや、本当はもっと前から分かってたけど、見て見ぬふりをしてて‥‥‥」


「その、『何か』って?」


 私が聞くと、星夜はまるで告白で想いを告げるように深呼吸をして。



「俺は、お前を‥‥‥ずっと一緒で家族のように思ってたみぞれを、ただの身内じゃない、一人の女性として認め始めてる」



 あたしは一瞬、何を言われたのかがわからなかった。


 心臓から送られた血液が体中の血管を通るように、頭の中を星夜の言葉が回って。


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


「みぞれ? お~い、瞬き忘れてるぞ~? みぞれ~?」


 やがて、体を巡った血液が心臓に戻ってくるくらいの時間が経った頃、やっと意味を理解した。


「——ぇっ!? ええええええぇええええぇぇえぇぇぇぇぇえぇぇえぇぇぇぇぇええええぇええぇぇゑぇえええええぇゑぇえぇエええゑええゑゑぇぇぇゑェええエぇぇぇェぇえっっっっっっっ!?!?!?!?」


「ぅるっさ!? なっがっ!? うるっさっ!?」


「せ、せせ、せせせ星夜! あたしのことお、おおおお女の子だと思ってたのっ!?」


「だからそうだって——うおあっ!? や、やめろって! 抱き合ってるのもヤバいのに、そんな飛んで来たら余計にっ!!」


 ど、どうしよう! うれしい! 嬉しい嬉しい嬉しいっ!


 嬉しすぎて、飛び掛かって、倒れこんで、ゴロンゴロンしたくなるくらい、ちょーちょー嬉しいっ!!


 ていうか、実際してる!


 星夜を巻き込んで、ぐるぐるしちゃったから、ベッドがぐちゃぐちゃになっちゃった。


 けど、そんなことどうでもいい! 今はとにかく、この気持ちを……あっ、そうだよ!


「星夜っ!」


「なん――っん!?」


「――ちゅっ……んっ……ちゅうっ」


 さっき星夜がしてくれたみたいに、今度はあたしから。


 今日、あの場所で伝えたいと思ってた気持ちや、今の言葉に言い表せない歓喜をたくさんたくさん乗せて、絡め合う。


「っ……だから、こういうのだって」


「でも、嫌じゃないんでしょ?」


「……まぁ」


 唇は離れても、まだお互いの手は繋がったまま。


 離れた距離も僅かで、喋る度に微かに唇が触れ合うほど。


「ドキドキしてる?」


「……聞こえてるだろ」


「聞こえる……でも、えへへ……あたしも、同じ」


 繋いだ手を引き寄せて、そっと自分の胸に触れる。


 あたしも星夜と同じくらい鼓動が大きく跳ねていた。


「ね?」


「柔らかい……」


「えっち」


「うっせ」


 ギュッと抱き寄せられて、抱きついたのは、きっとお互いの照れ隠し。


 星夜に腕枕してもらって、密着しているこのポジションは、星夜の匂いに包まれてるようで、昔からあたしの一番落ち着く場所。


 さっきまで感じてた気まずさなんてもうなくて、切ってしまったと思った繋がりはもっと強くなった。


 伝わってないと思ってたあたしの気持ちは全然そんなことなくて、ポッカリ空いた心の穴も、それ以上の特別な想いで満たされる。


 どうしよう、今こうしてる時も一秒ごとに星夜のことを好きになってく。


 好き。星夜が好き。内側から気持ちが溢れて溢れて、飛び出してきそう。



「……だいすき」



 だから、つい小さく漏れちゃって。


 聞こえたどうかは分からないけど、少しだけ抱きしめられる腕の力が強くなった気がした。


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