第78話 ——離してっ!!
◇◇星夜side◇◇
久しぶりに来たその場所は、幼い頃の記憶とあまり変わってない。
この屋上のフラワーガーデンは、俺たちにとって思い出深い特別な場所だ。
まだ言葉を話し始めて間もない頃に宵谷家と大狼家でやって来たり。
幼稚園を卒業した時もお祝いで来たっけ。
母さんが亡くなったあとは、家族ではもうあまり来なくなってしまったけど、実は毎年に一人でこっそりと来てたりする。
まぁ、その日に、ここに一人でいるのはなかなか辛いものがあるけど、でも母さんが好きだったこの場所が、とても近く母さんを感じると思うから。
あと、一番強く記憶に残ってるのはやっぱり、俺が壊れかけてたあの時だ。
あの日、みぞれがここに連れ出してくれなかったら、今の自分がどうなってたのかが、まったく分からなくて怖くなる。
きっと、目も当てられないくらい酷い人間になってるのは確実だな。
みぞれには本当に感謝してる。
あいつはもう、俺の人生の中で切っても切り離せない、永遠のような存在なんだ。
例えるならそう、まるで結婚を誓い合った恋人同士のような‥‥‥。
だから土曜日のあの時、『離れていくような』なんて思ったんだと思う。
自分の半身が、引き裂かれていくような感覚。
まぁ、実際は俺たちは結婚を誓い合うも何も、そもそも恋人同士でもないし、そこにみぞれに対する恋愛感情があるか無いかと言われたら‥‥‥正直、わからないっていうのが本音かな。
でも、それに近い何かを感じてる気がする。
何て言うのかな‥‥‥おそらく、こう好きっていう感情ではないんだ。
もっと、濃くて特別で、言葉に言い表せないような‥‥‥。
——ああああぁぁぁぁーーー! もうっ! とにかく! 俺は!
あの時に感じた離れていく感覚が嫌だ!
そしてそれが、本当に二人が付き合ってるのか確信が持てなくて、なのに今のこのくっつかれたり引き離されたりを繰り返してる状況がもっと嫌だ!
あの時のあいつが誰で、みぞれとどんな関係なのかはっきりさせたい!
俺はもう、吹っ切れることにした。
どうせ俺に器用な恋愛なんて無理だよ、あの父さんの息子なんだから。
だからまず、あの夕日‥‥‥マジックアワーを見る前に、それをみぞれに聞こうと思う。
別にみぞれの恋人でもない俺が何様なんだって、自分でも思うけど‥‥‥いや、本当に何様なんだよ俺は。
でも、もうそんなのは今更だ、難しいことなんて考えずに、嫌なものは嫌だと真っすぐ伝えよう。幼馴染なんてそんなもんだ。
そこそこ広いフラワーガーデンを見渡してみぞれを探せば、あいつは直ぐに見つかった。
というより、俺たちの他にも数人の人がいるんだけど、その人たちはみんな二人組でいて、みぞれだけが一人でポツンといるから見つけやすい。
その姿はまるで、ラブレターを送った相手が、呼び出した場所に来るのを待ってる恋する乙女のような‥‥‥。
本当に、そうじゃないよな?
実は、あの土曜日のやつもここにいて、二人で俺に報告をするのが目的だったり。
確かにそれは、大事な話ではあるけれど‥‥‥もしそうだったら、ここから飛び降りたい気持ちになるなぁ。
ちょっと気が重たくなりながら、俺はみぞれのもとに向かう。
遠目からぼんやりだった彼女の表情が見えてきて、夕日に照らされるその横顔は、まだ魔法の時間ではないのに見惚れそうになるほど綺麗で。
だんだん自分がごまかせなくなってるなって感じながら、俺はみぞれの隣に立つ。
この夕日の傾き加減なら、たぶんあと一分くらいで魔法の時間だろうか。
俺が来たことに、声をかける前に気が付いたのか、みぞれがゆっくりと振り向きこっちを見て‥‥‥切なそうな顔。
なんだよ‥‥‥その表情。
いつもは機能する幼馴染テレパシーも、今はうまくみぞれの感情を読み取ってくれない。
原因はこのモヤモヤした気持ちだ。
それを晴らすために‥‥‥。
みぞれが、小さく息を吸い込むのが分かった。
「——星夜」
「みぞれ、話を聞く前に一つだけ、聞きたいことがある」
「えっと、うん? なに?」
「これから見るこの景色は、俺と見るもので合ってるのか?」
やっぱりストレートに聞くのはヘタレちゃって、情けなくも遠回しな言い方になってしまう。
だからか、みぞれはよくわからないって感じに首を傾げた。
「‥‥‥え?」
「‥‥‥土曜日、迎えに行った時にさ、辰巳? って言う人と一緒にいるところを見て、だからそうなんじゃないかって、思ったんだけど‥‥‥」
若干かみ砕いて言い直す。
今度はちゃんと伝わるかと思うんだけど。
「なにそれ‥‥‥」
「みぞれ?」
「本気で、そう思ってるの‥‥‥?」
「だからそれが分からなくて、今聞こうとして——どうした?」
俯いて、みぞれの表情が見えない。
でも、その雰囲気がいつもとは違うことに気が付き、顔を覗きこもうとして‥‥‥。
「——っ!!」
「ちょっ!? みぞれっ!」
走り出そうとするみぞれを慌てて腕を掴んで止める。
いきなり訳が分からないけど、とにかくこのままいかせるのはまずい気がしたから。
「突然どうしたんだよ!」
「離して‥‥‥」
「離してって、お前な——」
「——離してっ!!」
強い言葉と、衝撃で、掴んでいた腕を叩かれる‥‥‥いや、違う。
引き裂かれるような、鋭い痛み。
俺の腕には、服を破って大きな爪痕が付いていた。
「ぁ‥‥‥」
「いつっ、みぞれ——」
「あたしは‥‥‥ずっと‥‥‥ずっと‥‥‥」
「——待って‥‥‥」
しかし、その静止の声は届かず、みぞれは駆けだしてく。
その姿は、マジックアワー——黄金色の淡い魔法の光に包まれて、あっという間に見えなくなって。
腕を振り払われた時、最後に見えたみぞれの表情は泣いてた。
みぞれの涙なんて、いつぶりに見ただろう‥‥‥。
俺は、何を間違えたんだろう‥‥‥。
ただ分かるのは、土曜日の時の喪失感なんて比にならないくらい、もっと大きな大きな虚無感が、俺を包み込んでた。
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