第36話 ……ばか



 ◇◇星夜side◇◇



 ‥‥‥な、なんだこれ!


 俺は今、かつてないほどドギマギしてる。


 まさか妹フィルターを外して見た月菜がこんなにも大人びて見えるとは思わなかった。


 いや、そんなもの外さなくても今の月菜の姿はどこからどう見ても妹じゃない。


 そりゃあ、かなり気合を入れてくるとは思ったけど、これは完全に予想以上の美しさだ。


 チラッと隣を歩く月菜を改めて見てみる。


 普段は可愛いと思ってる顔つきは化粧をしているのか、目が離せなくなるほど綺麗で。


 着ている服はオフショルダーの黒のミニワンピース。細いベルトでスタイルを強調していて思わず胸元に視線が寄せられそうになるけど、それ以上に眩しいのは魅惑のおみ足だ。


 ヒールを履いているため腰の位置が高くなってるから、そのご威光がお惜しげもなく晒されてる。


 誰だよ、こんな露出の多い服装を選んだの! 俺だよっ! 


 もうなんていうか、これは見惚れないことの方が無理だ。


 今ここにいる月菜はそれこそ、月の輝きのような。そんな印象を与える一人の女性だった。


「ねぇ、今日はどこいくの?」


 と、月菜が首をかしげながら俺の表情を覗き込むように聞いてくる。


 はらりとこぼれるストレートの黒髪を耳にかけるしぐさで月のイヤリングが妖しく輝く。それが妙に大人っぽい。


 ドキッとして、思わず視線をそらしながら、別に隠すことでもないから普通に答えることにした。


「え、えっと、まずは映画を見ようと思ってる。ほら、この前テレビのCMで面白そうって言ってたやつ」


「あっ! 猫ちゃんになるやつだよね? やった! すごい楽しみ!」


 そうやって無邪気な笑顔を見せてくれる月菜に、俺は二つの意味で安心感を覚えた。


 一つは、ちゃんとデートを楽しんでもらえそうなこと。昨日のことで気まずくてギスギスしたものにならないかと心配だったから。


 もう一つは、姿はとても大人っぽくても中身はいつものままなんだなってこと。少しだけ心の中のドギマギが収まったような気がした。


「ほら、月菜。あんまりはしゃいで歩くとスカートの中が見えちゃうぞ‥‥‥あっ」


 だからか、つい気が緩んでしまって今日はしまいって思ってた失言をしてしまう。


 すぐにやってしまったって気が付いたけど、時は既に遅し。


 しっかりと月菜にも聞こえていたみたいで、恥ずかしそうにスカートを抑えながら俺のことをムッとした表情で睨んでくる。


 ‥‥‥それがまた、子供っぽいとは思うものの、流石に二度目の失言はしまい。


 バツが悪くなって視線をそらしてると、突然月菜が詰め寄ってきて、ジャケットの襟元を引っ張って俺の耳元に唇を寄せてきた。


「る、月菜!?」


「妹扱いしないでよ‥‥‥ばか」


 囁くようなその声は、妙な艶やかさを帯びていて、思わず胸がドキッとした。


 ‥‥‥もう、そのギャップに俺はやられそうです。



 ■■



 映画館。


 恋人たちがデートをする場所としては無難で、定番の中の定番スポットである。


 それゆえにデートスポットとして映画を選ぶのは良くないと言う人もいるだろう。


 確かに、上映が始まれば映画によっては二時間近く話すこともできないし、映画の趣味が合わなかったりしたらもう最悪。


 映画が終わった後にどこかに行く気にもならなくなるし、その場でお開きになり、その後に一切関わりが無くなるなんてこともあるかもしれない。


 というか、実際にそんな経験をした人が俺の身近にいる。


 誰かって? 決まってるだろう‥‥‥父さんだよ。


 あれは確か俺が小三くらいの時だ。


 当時は俺と父さんの間には言い知れない溝があった。


 父さんは仕事が忙しい時期で、俺もまだ家事も不慣れだったため、心配した父さんはとにかく俺たち二人を支えてくれるような女性を探そうと再婚相手探しに躍起になってたと思う。


 でも、その時の俺は父さんが再婚することに肯定的じゃなくて、新しい母さんなんて必要ないってことを示そうと、母さんの特徴だったブロンドヘアーを真似して金髪に染めてたりもした。


 たぶん、俺が母さんみたいになってやるって無言の意思表示をしたかったんだと思う。


 で、そんなある日のこと、仕事終わりの父さんがリビングでくつろいでいるのを横目に、手伝いを申し出た父さんを反発して押し返して食器を洗ってると、父さんが言ったんだ。


「今度デートしてくるよ」


「‥‥‥」


 もちろん反抗期な俺は、何も言わず無視した。


 そんな俺の様子を苦笑気味に見ながらも、父さんは続けてその女性がどんな人なのかを教えてくる。


「その人は映画好きで、『あなたの好きな映画を見に行きましょう』って言われてな。だから今度見てくる」


「‥‥‥」


 ということで数日後、父さんは映画デートに向かった。服装はお察しだ。


 もしかしたら、そっちが原因だったのかもしれないけど、デートに行った父さんはその日の夕方には帰ってきた。


 俺はまだ小三だったから大人のデートは何をするのかなんて知らないけど、父さんがこういう日にこんなに早く帰ってくることは初めてだったため不思議に思ったものだ。


 それに肩をがっくりと下げた父さんには哀愁が漂ってて、つい声をかけてしまった。


「‥‥‥どうしたの?」


「あぁ、星夜。いや、なんだ‥‥‥映画が終わった後、『あなたとは趣味が合わないわ、作品のチョイスが最悪よ。じゃあ今日はこれで』……って帰られちゃってな」


「‥‥‥」


「くそっ! ド○ゴンボールの何がいけなかったんだ!」


 玄関に悔しさを乗せた父さんのこぶしがぶつかる音が響きわたる。


 その日の父さんは、もう一日使い物にならなかった。


 でも、次の日には元気を取り戻して、「心機一転!」とかなんとか言って、俺と同じように金髪になった父さんが庭でかめはめ波を撃とうとしたということもあったけど‥‥‥この話は置いておいて。


 その時は俺もなにがいけなかったのかよくわからなかったけど、今ならわかる。


 いくら父さんが無類のド○ゴンボール好きで、上映された映画が十数年ぶりでどーうしても見たかったのだとしても、デートで見る映画にそのチョイスは無いコトは一目瞭然だわ。


 どう考えても、金髪の筋肉モリモリマッチョマンと薄い眼をしたウサギみたいな破壊神の闘いを見て、この後ホテルに行きましょうとはならん。


 というか、あなたの好きな映画を見に行きましょうって言葉をうのみにして、マジで自分の好きな映画を選んだ父さんの女心の分からなさに、戦慄すら覚えるわ。


 あの言葉は決して父さんの好きな映画を見るんじゃなくて、その女性は父さんが自分のことをしっかり見てくれてるのか、それを選んだ映画で確認したかったに違いない……たぶん。


 よくみぞれに俺は女心が分かってないって言われるけど、流石に父さんよりは酷くないと思う。というか、もし本当に分かってないのだとしたらそれはきっと父さんの遺伝子だ‥‥‥恨むぞ、父よ。


 それで、なんの話だっけ? あぁ、そうだ、映画デートは良くないって話だったか。


 まぁ、そういうわけで映画デートは地雷になる可能性が高い。


 けれど、もちろん王道と呼ばれるくらい選ばれるのは、それ相応の良いところもあるわけで。


 それはまぁ色々とあるけれど、例えばそう、今の俺の様なデートの中で何かを見つけたい時や、考え事をしたい時には薄暗くなるシアターは冷静になれていいと思う。


 俺と月菜はシアター席に座って、映画を鑑賞中。


 もちろん俺は父さんしっかりと反面教師として育ったから、あんなアホみたいな映画チョイスはしてない。


 事前にというか、月菜が見に行きたいって言っていたのを聞いてたからそれを選んでる。


 内容もバチバチする格闘アクションなんかじゃなくて、猫になれるお面を手に入れた少女が、猫になって想いを寄せる同級生に会いに行くという物語のアニメーション映画。


 なんか登場人物たちの境遇というか、私生活では無理だけど、別の関係になった時にお互いの本音を言い合える、そんな関係に少しだけ感情移入というか、月菜のことを重ねそうになる。


 大事なことだからもう一度言うけれど、俺は父さんよりは女心が分かると自負してる。


 だから、今はなんとなく月菜の気持ちにも気づいてる‥‥‥いや、まぁ、気が付かされたって感じかもしれないけど。


 それで今思うのは、俺は月菜に妹を押し付けてたんじゃないかってことだ。


 月菜のことを妹として思い込もう思い込もうとしていた、けどそれは月菜にとって妹になれって脅迫じみたものだったのかもしれない。


 もしもそれが辛くて、嫌な思いをしていたのならちゃんと謝らないといけないな。


 まぁ、それはこのデートのどこかで隙を見て伝えよう。


 今日は月菜のことを異性としてしっかりと見て俺が彼女のことをどう思ってるのか、それを自覚することが目的なんだから。


 そういうことを頭の片隅で考えながらちらりと横を向けば、月菜は真剣な眼差しをスクリーンに向けていた。


 光に照らされる横顔は、やっぱり普段の月菜とはかけ離れていて、その瑞々しい唇に昨日のことを思い出す。


 あんなディープキスはみぞれともやった事はなかった。


 だから昨日、月菜にされたのは新感覚で、舌と舌が絡み合い求め合うようなあのキスは正直、そのまま流されそうになるくらい気持ちよかった。


 昨日はなんとか抑えられたものの、次にもう一度やられた時、特に今の月菜に同じことをされたら、俺は我慢できるだろうか。


 もしも月菜にその想いを伝えられたら、俺はいったいなんて答えて‥‥‥。


 と、その時だった。


 月菜が俺の視線に気が付いたのか、こちらを向いた。


「ご、ごめん」


 映画を見てる時に見つめられてたら、そりゃ気になって集中できないか。


 ちょっと申し訳ない気持ちになって、小声で謝る。


 しかし、月菜はスクリーンに視線を戻さず、唇を結んでじっと俺のことをまっすぐに見てくる。その様子はどこか緊張してるようで。


 どうしたんだろう? と、そう思ってると。


 月菜はひじ掛けに乗せている俺の手の上に、自分の手を重ねてきた。


 細くて、ひんやりとして、柔らかい感触に心臓がドキッとした。


 ぼんやりとした暗闇の中、薄く紅に輝く綺麗な瞳に見つめられる。


 そして俺は、その瞳に吸い込まれるように見つめ返すことしかできなくて‥‥‥。


 もう、何かを考えることも映画の内容も頭に入ってこなかった。


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