第5話 本当の兄妹になりたい



「——や! しっかりして!」


「……はっ⁉」


 ぐわんぐわんと肩を揺すられて我に返った。


 えっと、俺は、何をして……?


 ぼんやりしてた焦点がだんだんとあってくると、目の前に月菜の顔があった。


「月菜……?」


「よかった、やっと戻ってきた」


 月菜は俺と目を合わせると安堵したようにほっと息を吐いた。


 はて? 俺は何か心配されるようなことはしたっけか?


 直前までの記憶が曖昧で、そう疑問に思ってると。


「ご、ごめんね! ……その、私、首筋から血を吸うの初めてで、たくさん吸いすぎちゃったかも」


 突然月菜が謝ってきた。


 そこで靄が晴れるみたいにだんだんボーっとしてた頭が回転を始める。


 血、首筋、吸う……あぁ、そっか、確か月菜に血を吸わせてあげようとして、その前は姿が変わった月菜に見惚れてて……ん?


「あれ? 月菜、元に戻ってる?」


 月菜の姿は、銀髪紅眼じゃなくて初めて会った時の黒髪黒眼に戻ってた。


「うん、あの姿はお腹が空きすぎて吸血衝動が起きた時とか、月の光を強く受けた時とか、吸血鬼の力が発動する時に変わるから」


「じゃあ、今はお腹が膨れたってこと?」


「そう、もう一か月くらいは吸わなくても大丈夫」


「へぇ、吸血鬼って低燃費だね。あ、俺の血はどうだった? 美味しかった?」


 ふと疑問に思って聞いてみると。


「ふぇっ……う、うん。コクがあって美味しかった」


 何故か若干頬を染めてしどろもどろに答える月菜。


 恥ずかしそうなのはあれだよね、たぶん途中から夢中になって貪るようになってたからかな?


「コクねぇ。まぁ、美味しかったなら良かったかな」


 でも、そう言われるとなんか興味あるな……自分の血の味。


 コクがあるって言われたし、コーンポタージュ風? それともオニオンスープ風? 流石に味噌汁は無いと思うけど……。


 そんな詮無いコトを考えてると、月菜がやっぱりどこか恥ずかしそうにしながらもチラチラとこっちに視線を向けてるのに気づいた。


「どうした?」


「あ、あの……その、星夜はどうだった? 私に吸われてる時」


 それは、吸血鬼的に気になることなんだろうか? なんか初めてアレした後の男の言葉みたいって思ったのは心に秘めておこう。


 まぁ、そのことは置いといて、どうって言われてもどうなんだろう? 最後の方は意識がボーっとしてたし、行為中の感想を率直に言うとしたら……。


「癖になる感じ? 最初の方は痛かったんだけど、だんだん吸われるたびに気持ちよくなってきて、頭が真っ白になって——」


 って、自分で言ってて思ったけど、これじゃあほんとに初体験した後のカップルみたいな会話じゃねーか! しかも言ってること男女逆だし! それ以前に倫理的にアウト!


 月菜もなんとなくそういうのを察するっていうか、想像しちゃったんだろう、ますます顔が赤くなってる。


「ごほんっ! まぁ、なんていうか良かった! うん! 月菜もなんか煽情的で目が離せなかったし……。あ、お腹すいたら今度またやってみる?」


「なっ……なっ……何言って……またとか、そんな軽々しく……星夜のエッチ! 変態! 女吸血鬼の敵!」


「あ、ちょっ! 月菜? ……えぇ」


 なにか気に障るようなことを言ったのか、月菜は足元にあったギターをぶん投げて来たと思ったら屋根から飛び降りて自分の部屋に逃げるように戻っていった。


 吸血鬼の価値観はよくわからんな。


「……っとと!」


 追いかけようと思ったけども、立ち上がったら軽く眩暈がして、慌てて座り込む。


 たぶん、月菜に血を吸われたから貧血気味なんだろう。


 ここは屋根の上だから気を付けないと、落ちたらただじゃすまない。


 ということで、少しだけ屋根の上に寝そべって休憩することにした。


 月菜もさっきのあの感じは怒ってるっていうより、羞恥心がピークに達したって感じだったから今すぐじゃなくても後で謝れば大丈夫だろう。


「どうなることやらと思ったけど、結構大丈夫そうかもなぁ」


 ぼんやりと夜の街を照らす月を見ながらつぶやく。


 物思いにふけるっていうのはこんな感じかな?


 さっきまでの月菜の様子を思い出して、自然と口角が上がる気がした。


 なんていうか、あんまり表情に出ないで感情の起伏が小さい子だと思ってたけど、全然そんなことない。


 嬉しい、恥ずかしい、不安、などなど、よく見ればちゃんと分かったし。


 案外、吸血鬼は何を考えてるかわからない恐ろしい怪物なんかじゃなくて、気持ちの面では俺たち人間と同じなのかもな。


「あ~、でも太陽の光とか大丈夫なのかな?」


 よくよく考えてみれば吸血鬼って結構弱点持ってなかったっけ。


 太陽の光、流水、ニンニク、銀の十字架……うん、ぱっと思いつくものでもこんなに。


 かなり日常生活に支障をきたすと思うんだけど、さっきも思った食事の面も含めて今までどうしてきたんだろう? 


 やばいなー。俺、月菜のこと全然知らないや。父さんも最初に紹介してくれた時に教えてくれればよかったのに。


 月菜はルール決めの時に特にないって言ってたけど、改めて聞いておこう。


「……ん?」


 そんなことを考えてると、微かに俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。


 一旦考えてたことを置いて、声が聞こえたベランダの方を見ると。


「月菜?」


 顔の上半分だけを出してこっちを見てくる月菜がいた。なんか小動物みたいで可愛い。


「そっち行ってい?」


「もちろん、いいよ」


 どこか遠慮してる風だったから歓迎するように隣をポンポンと叩くと、月菜は嬉しそうに表情を緩ませた。


 そして。


「え……おっ、おぉ! すごっ!」


 普通に登ってくると思ったのに、月菜はベランダの手すりに足をかけて、そのまま飛ぶように後方宙返りを決めて俺の隣に着地した。


 正直、体操選手もかくやな動きだった。


「流石は吸血鬼!」


「えへへっ、夜ならこれくらい普通だよ」


 思わず拍手で讃えると、謙遜しつつも褒められて悪い気はしないのか、ちょっと自慢気に胸を張ってる。


「あ、そうだ。星夜、これ」


「ん?」


「寒いと人間は風邪ひいちゃうから」


 そう言って俺に差し出してきたのはブランケットだった。


 もう春になったと言っても、この時期の夜は冷え込むし気を使って持ってきてくれたんだろう。


「月菜……」


 俺はなんていうかその優しさに目がじーんって感じだ。


 あぁ、俺はいい妹をもったなぁ……。


「ありがと、でもこれは月菜が使いなよ……あ、別に嫌だってわけじゃなくて、俺より月菜が使うべきだし」


「私は大丈夫だよ? 吸血鬼だし、風邪は引かない」


「まぁ、そうかもしれないけどさ。月菜は吸血鬼の前に女の子なんだから、夜風に当たるのはあんまりよくないよ」


 そう言って、ブランケットを広げて月菜にかけてやる。


 うん、このブランケットモフモフで肌触り良いし、これで暖かいね。


 だけどかけられた月菜は何が不満なのか頬をぷくーっと膨らませて抗議の様子。


 納得いきません! って感じだけど、可愛らしいとしか思えんわ。つついて萎ませてみようかな?


 そんなこと思ってると。


「あ、そうだ」


 っと、月菜はいいこと思いついたとばかりにポンと手を叩くしぐさをした。


 そして、肩と肩、腰と腰が触れ合うくらいにまで近づいてきたと思ったら、俺の方にもブランケットをかけてくる。


「これならいい?」


「ま、まぁ……これなら」


 直ぐ近くから上目遣いで月菜に見つめられてドキリとした。


 なんだかんだ俺たちは兄妹といっても、そうなったのはまだ日は浅いし、こうやって密着なんかすると少し動揺するのを感じるのは仕方ないと思いたい。


 普通に出会ってたりしてこういう風にしてたら、たぶんもっと取り乱してる。月菜は芸能人も泣いて逃げ出すくらいの美少女なんだし。


 ……これはまた、別の意味でこれからが不安だな。


 動揺してるのを隠すように俺は月菜に思ってることを告げることにした。


「月菜。俺さ、もっと月菜のこと知りたいと思う。それで、月菜にも俺のことを知ってもらって、血は繋がってないし、人と吸血鬼だけど本当の兄妹になりたい」


 月をぼーっと眺めてた月菜は、少し下を向いて「——そう、そっか」って口の中で何かを呟いてたけど、やがて俺の方を向きなおる。


「私も、星夜……ううん、お兄ちゃんのこと知りたい。それで私のことも知って欲しい」


 それを聞いて俺は嬉しくなった。


 月菜にお兄ちゃんって呼ばれるのもそうだけど、それ以上に月菜も俺と同じ気持ちなんだってことを知れて。


「じゃ、まずは何話そうかな——」


 それから俺たちは色んなことをたくさん話し合った。


 好きなこと、嫌いなこと、誕生日、特技、趣味——それ以外にも父さんとか月美さんのこととか、とにかくたくさん。


 ひとつひとつ、月菜のことを知っていくたびに心の距離が縮まっていくようで。


 きっと今日から俺たちは兄妹の第一歩目を踏み出した気がした。


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