☆8‐18 黄佐side

 黄佐ははっきりと、自分はどうやら死んだらしい、と思った。

 記憶では、全身を蹴られ殴られ、煙草の火を押し付けられ、窒息寸前まで川に沈められて、体の中で痛くない場所なんて無かったはずなのに――今は、どこも痛くない。

 痛みも、苦しみもなく、真っ暗闇の中をふわふわと漂っている。

 何も感じない。

 全身が空っぽになっていく。


(なるほど、これが死ぬってことなのか。……だとしたら、そう悪いもんじゃないな)


 と黄佐は思って――次の瞬間泣き出した。


(……嫌だ。嫌だいやだイヤだっ! 何が悪いもんじゃないな、だよ! 俺はまだ死にたくない、死にたくない! やりたいことがたくさんあるし、やってないこともたくさんあるし、何より……何より、まだ居たいんだ。朱兄と、青尉と、父さんと母さんと――俺だけ先にいなくなるなんて、そんなの絶対に嫌だっ! ……助けて……っ!)


 その時ふっと、暗闇に光が射し込んだ。


「黄佐っ!」

「黄ぃ兄っ!」


 声がする方へ、光が差す方へ、黄佐は手を伸ばして――。




 黄佐は目を開けた。自分がいる部屋の電灯は消えていたが、隣室とを区切る襖の隙間から光が射し込んできていて、すぐに、我が家の和室であると分かった。

 ゆっくりと呼吸をし、息を整える。全身が汗にまみれている。どうやら、多少うなされていたらしい。――昔のことを、思い出したような気がする。黄佐は声なく苦笑して、目元を拭った。


「――~~能力って~~~にも、色々と種類があってだな。治癒の方法っていうか、種類が異なるんだよ。単純に傷を治すもの、本人の自己修復力を促進させて治すもの、局地的に時間を巻き戻して傷自体を“無かったこと”にするもの、自分の体力を分け与えるもの、傷を別のエネルギーに変換して自分に移すもの……などなどってね、様々なんだ」

「へぇ……牧野さんは、どれに当たるんだ?」

「え? えっとー……どうなんだろう? 単純に治す……感じかな、たぶん」


 誰かの話し声が聞こえる。聞くともなしに聞きながら、黄佐は自分の体の点検を始めた。


(左肩……すごい、何も痛くない。あれ、俺、撃たれたんだったよね? 星屑から呼んできた治癒能力者に頼んだのかな……)


 ありがたい半面、申し訳なくなって、黄佐は唇を噛んだ。あれは完全に自分の判断ミスだった。

 そういえば、今はどういう状況なんだろう。青尉は? 朱兄は? 戦争はどうなった? 疑問渦巻く頭を抱えながら、黄佐は静かに上体を起こした。


「いいですねぇ治癒能力者! 組織に一人は絶対に欲しい、ヒツヨウフカノウですよヒツヨウフカノウ!」

「それを言うなら必要不可欠、な」

「君らはどうしてそんな呑気に喋っていられるんだい……? 理解できないよ」

「悔しいけれど同感だな。私にもよく分からない」

「だって、他にすることねぇし」


 青尉の声だ。それが分かった瞬間、黄佐は思わず泣きそうになった。


(良かった、助かったんだ……朱兄が間に合ったのか。良かった……)


 それから、続いた言葉に反射的に飛び起きた。


「それに、黙ってたらかえって気が変になりそうだしな……心配で」

「青尉っ!」


 黄佐は襖を思いっきり開け放ち、すぐそこに座っていた青尉を背後から抱きしめた。そしてそのまま――ヘッドロックをかける。


「お前はいつから、兄貴を心配できるような立場になったのかなぁ散々こっちに心配かけさせたくせにっ!」

「えっ、黄ぃ兄っ? もう大丈夫なのかっ……て、ちょ……待っ……ギブ! ギブギブ! ギブです!」


 割としっかり絞められて、青尉は黄佐の腕をタップし降参の意を伝えた。

 しかし黄佐は意にも介さず、


「いやぁ、良かった良かった。本当に良かったよ。撃たれた時はさすがに、“あ、これもうダメかな”って思ったんだけどねぇ、あっ、もしかしてあなたが牧野さん? ですよねーだと思った。あなたが治してくれたんでしょ? いやぁありがとうございました、本当、御迷惑をおかけしまして。当初の予定だったら青尉の腕を治してもらうつもりだったんですけど、ちょっと俺が逸った所為で、色々と狂っちゃって申し訳ない! まぁでも結果オーライ? って言って良い? あーあと辰生くん、ありがとうねぇ、突然の変更にもきっちり対処してくれて。助かったよ! “虎穴に入らずんば”って朱兄に伝えてくれたんだねー、おかげ様でどうにがっ」


 唐突に黄佐がのけぞって尻餅をつき、マシンガンが止まった。降参していたはずの青尉が伸びあがるように頭突きをしたからだった。その拍子にヘッドロックも外れる。


「いっ、てぇー! 舌噛んだ! ひっどいな青尉!」

「酷いのはどっちだよ……」


 青尉は座り直して、胡坐の上に肘をつき、顔を隠すように額を手に当てた。


「もしもあれで……俺の所為で、黄ぃ兄に何かあったら、笑い事じゃすまなかったし……っ」


 だんだん涙交じりになっていく声が、鼻をすする音が、わざとおちゃらけてみせた黄佐を責め立てる。


(やっべ、まずったなぁこれ……さぁて、どうしようか……)


「ごめん、青尉。俺が悪かった」


 ここまでは真摯に。ここからは――煽るように。


「高校生にもなってそんなに泣くなよーお子ちゃまだなー」

「はぁっ? 泣いてねぇしっ」

「ブラコン野郎って言われるぞ」

「うるせぇよっ!」


 顔を上げて噛みつけば、黄佐はすかさず青尉の目を指差して、


「あ、ほら、やっぱ泣いてたじゃーん、目ぇ真っ赤ーあははっ」


 その言動にイラっときた青尉は反射的に黄佐の脇腹を殴った。


「痛いっ! ひっど、俺一応怪我人なんだけどっ?」

「さっき骨折してる人間にヘッドロックかけておいて、よくんなこと言えたなっ!」

「分かってないなぁ、それはそれ、これはこれってやつよ」

「はぁっ? 何が? 怪我の程度としてはこっちの方がひでぇんだけど?」

「ふふっ、怪我自慢乙ー」


 ことさら煽り立てる口調でそう言うと、青尉はわなわなと震えたと思ったら不意に立ち上がって「……もういいっ! ふざけんな馬ー鹿っ!」と叫ぶなり和室を出ていってしまった。

 階段を駆け上がっていく音が聞こえて、それが静まると、「へっへっ、怒らせちった」と笑って、黄佐はその場に大の字に寝転がった。


「わざとやったな?」


 と、山瀬。


「えぇ、まぁ」


 黄佐は平然と肯定した。


「泣かれるよか怒られた方がマシですし――」


 と、壁際に座った沢木と碓氷の方を一瞥。


「――まともに言い争って“誰が一番悪いか”議論になっちゃったら、キリがないでしょう? そもそも論ほど無意味なものもないし」

「……なるほど」


 山瀬はあまり納得していないような素振りで頷き、続けて言った。


「それで、君が今回の件を収めるんだろう? 何が目的で、ここまでやったんだ?」


 その問いに、沢木と碓氷も表情を変えた。黄佐の“目的”のためにここまで連れてこられ、そのために大人しくしているのだから。


「ん? あー、そっか、大事な大事な最後の仕上げを、忘れちゃいけなかったね」


 黄佐は反動をつけて起き上がった。


「それじゃあ、組織の皆さん? 最後の勝負を――」


 と言いかけて、ふと自分の計算違いに思い至った。


「――って、やっべ、駄目だ」

「何がだ?」

「青尉のことなのに青尉抜きでやったら駄目じゃん……やっべぇ! あー、俺の馬鹿っ!」


 頭を抱えた黄佐。が、次の瞬間には拝むように両手を合わせて、


「というわけなんで、ごめんなさいっ。お手数おかけしますけれども、山瀬さん、明日の朝もう一回うちに来てくれませんか? うちに泊まっていってくれてもいいんですけどっていうかそうしてくれた方が正直ありがたいんですけど。まぁお好きなように。そんで、話は明日にしましょう! みんな今日は疲れてますし、ね! あ、辰生くんと柚姫ちゃんは明日も学校あるし、帰るでしょ? 送ってくよ」

「えっ、あっ、はいっ」

「ありがとう、黄佐さん」

「いえいえ、お安い御用で」


 黄佐が二人を連れて立ち上がると、それに合わせてもう一人が立ち上がった。


「黄佐ちゃーん、俺も帰るよー」


 と佐藤。


「あっ、佐藤」


 まだいたんだ、と一瞬だけ思ったが、さすがに言葉にはしなかった。


「こんな時間まで手伝ってくれてありがとな。今度何か奢るよ」

「お、やったね! じゃあ今度うちでゲームしようよ、黄佐ちゃんのお金でピザ取って」

「はいはい、了解。サトー様の仰せのままにってね」


 そんな黄佐の様子を見ていた佐藤は、ふと思いついたように言った。


「あとさぁ、黄佐ちゃん?」

「ん? 何?」

「照れ隠しはほどほどにした方がいいんじゃないかなー? って俺は思うけどね?」


 佐藤の鋭い指摘に、黄佐は一瞬固まって、やがて苦笑した。


「……善処するよ」



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