【第九夜】刀堂三兄弟
☆9
翌朝、青尉が自然に目を覚ますと、窓からほの白い光が射し込んできていた。
黄佐の挑発に怒って、部屋に入って、そのまま寝てしまったらしい。いつになく早起きをしてしまった。寝ぼけ眼で目覚まし時計を見ると、早朝の五時を指している。
青尉は再び布団を被って、目を閉じた。昨日のことを思い出すと、怖いことと驚くことばかりで、頭が爆発しそうだった。
(……辰生が参戦してたなんて……しかも、朱兄と黄ぃ兄が揃ってあそこまで信頼を置くなんて、珍しい。……ありがたい。今度鈴美庵の味噌饅頭、食べたいだけ食わせてやろう。――父さんが怒ったっけな、久々に。……まぁ、怒られて当然なんだけど。朱兄、説明して説得すんの大変だったろうな……いつもそういうのは黄ぃ兄の担当だから。――そういや、治癒能力者ってすごいな、本当に。黄ぃ兄の傷、まったく元通りに、綺麗に治って……本当に良かった。……本当に……良かった……)
そんなことをつらつらと考えていると、また涙が出てきそうになって、慌てて目を開け頭を強く振った。
過ぎたことはもうやり直せない。後悔があるなら正せばいい。気に入らないなら変えればいい――自分を。
そう、俺は変わらなくちゃいけないんだ、と青尉は心に刻み付けた。守られるだけの存在でなく、狙われるだけの存在でなく、謝るだけの存在でなく――愛情を真正面から受け止め、返せる、そんな強い人間に――朱兄とか、黄ぃ兄とかみたいに。
青尉は大きく息を吐いた。それから起き上がる。もうすっかり目が覚めてしまった。立ち上がって、ふと気付く。ズボンがかなりしわくちゃになっていた。よくよく思い返してみれば、一昨日から換えていない。しかも左の膝から下が何かどす黒いものに固められている。
(……あっ、これ、黄ぃ兄の血か!)
これはもう駄目だな、と思いつつ着替えて、青尉は階段を下りた。
和室の襖は閉まっている。その向こうから、いびきや歯ぎしりや寝言など、大勢の人の気配がしたが、あえて開けようとも思わなかった。昨日の連中がそのまま泊まっているのだろう。
(――そういえば、あいつらそのままここに置いておいて、どうするんだろう?)
当然と言えば当然の疑問に、今更ながら気が付いた。
(黄ぃ兄が何か考えてんのかな……)
首を傾げつつ、冷えた廊下の上を裸足で歩く。何も考えずに歩くと、足音がペタペタと静かな天井に響いて、一層底冷えするようだった。
喉が渇いたから、と台所の扉を開く。
そこに、黄佐が座っていた。食卓の上には、淹れたばかりと思しきお茶が、湯飲みから湯気をもうもうと上げている。扉の音に黄佐は振り返り、青尉を見てちょっと目を丸くして、すぐに微笑んだ。
「おはよう青尉。どうした、早いね」
「……目が、覚めたから」
「そっか。あ、お茶飲む?」
「飲む」
黄佐が立ち上がり、青尉の湯飲みを持ってきた。急須からお茶を注ぐ。新しい湯気が立ち上り、冬の朝を少しだけ緩ませた。
「辰生くんと柚姫ちゃんは、昨日家まで送っていったよ」
「あぁ、そうなんだ」
「うん。さすがに、今日まで学校休ませちゃ悪いし」
「確かに。……本当、よく来てくれたよな」
「ちゃんとお礼言うんだよ?」
「分かってるよ、そんなこと」
ふと、会話が途切れて、それからしばらくの間、二人とも黙ってお茶を飲んでいた。空白を埋めるように、何かの鳥の鳴き声が響く。
「……油断してたんだよね、正直」
脈絡なく、黄佐はそう言った。
「撃つはずがない、ってどっかで思い込んでた。そんなこと、分かんないのにね」
「……」
「心配かけてごめん。でも、ありがと」
ほんの少しだけ恥ずかしそうなのを、誤魔化すように苦笑しながら、黄佐は言った。
青尉は何も返せずに、かろうじて首肯だけはして、俯いた。黄佐のこういうところを、青尉は強いと思い、羨ましく思うのである。『自分は確実に心配された』という自信と、その心配を真っ向から受け止められる度量が。そして、それをきちんと返せるところが。
黄佐は俯いた弟の頭を、一度だけ、軽く叩くように撫でた。黄佐は朱将からすべてを聞かされ、怒られていた――もし黄佐が死んでいたら、青尉がどうなっていたと思うか、と。それなのに何故からかって怒らせたのか、と。
また、しばらくの間を空けて、今度は青尉が口を開いた。
「――……こっちこそ、ごめん……色々と……」
「いいんだよ、別に。――青尉が無事で、何よりだ」
それだけで最高の結末だ、と言わんばかりに笑う黄佐を見て、青尉は再び心に刻み込んだ。
(変わろう。変わるんだ。強くなりたい。強くなる。今よりもっと……何が起きても、今度こそ、誰も傷つけないで済むように)
青尉は残っていたお茶を一気に飲み干した。
「……ところで、黄ぃ兄?」
「何?」
「あいつら、うちに残しておいて、何すんの?」
そう聞くと、黄佐はとびきり悪い笑顔を浮かべた。
「――そうだね、青尉には先に話しておこうか……俺が立てた、最高の計画を」
武力が朱将で、能力が青尉なら、黄佐の恐ろしさはこういうところである。黄佐の弾んだ声が語る、綿密な計画を聞いて、青尉は心底そう思った。
『stardust・factory』の山瀬。
『マッド=コンクェスト』の沢木。
『ユウレカ』の碓氷。
この三人を前にして、黄佐が要求したのは実に簡潔なものだった。
「今後一切、刀堂青尉と彼に関係する人物・場所・その他あらゆる物事に対して戦闘・勧誘などの干渉をしないこと。こっちの要求はそれだけだ」
三台設置したビデオカメラと、ボイスレコーダーに、要求が書かれた紙。ペン。和室の中央で、刀堂兄弟と前述の三人が向かい合い、その他の
黄佐が淡々と述べる。
「要求を呑んでくれた暁には、それぞれにメリットとなることを提供する。まず、『stardust・factory』には、一つ、青尉が他のどの組織にも入らないことを約束する。二つ、今回の『マッド=コンクェスト』と『ユウレカ』の武力衝突を未然に防げた件、すべてそちらの指示のもと行ったものとすることを許可する。おまけに三つ、立場向上のための裏工作を少しだけ手伝ってあげよう。以上三点を挙げる」
黄佐は唾を飲むことすらせず、続けて沢木に目線を移した。
「『マッド=コンクェスト』には、第一支部を解放してあげたお礼として、要求を呑んでもらいたい」
そう言うと、速美が何か言いたそうに身じろぎしたが、空気に飲まれて口をつぐんだ。
「それが一つ。他に、二つ、配下組織『マッド=グレムリン』の解放。三つ、青尉が独立を保つこと。以上三点を。続いて『ユウレカ』には、一つ、やはり青尉が独立を保つことを挙げる。二つ、拘束した『ユウレカ』職員をすべて解放。及び、この件に関して法的措置を取らず、不問とすること」
こちらも襲撃しているため多少はお互い様だが、それを差し引いても、拉致監禁・拷問・発砲は、警察沙汰にはしたくないはずだ。
「そして、三つ――この件でこちらが手にした“情報”一切を、他組織に対して進んで開示しないこと。以上三点を確約する。異論がなければ、書類にサインを。本部と連絡を取りたければ、この場でご自由にどうぞ」
そう言って、黄佐は余裕に満ちた笑みを浮かべた。
結果から言って、要求はすべてそのまま通り、書類には三者のサインが刻まれた。元より、彼らが断れるはずがなかったのだ。すべては黄佐の計算通りに。
サインがなされた書類を、黄佐は写真に収め、画像データを複数箇所へ保存し、厳重なプロテクトをかけ、それからようやく声に出して笑った。
「わっはっはっはっはっは! これでこっちの完全勝利だ! 青尉!」
と、青尉に向けて手をかざす。
ハイタッチを求められて、しかし青尉は応じるのに躊躇った。
(黄ぃ兄はここまで考えて動いてくれてたんだよな、あんな大怪我を負ってまで……いくつもの潜伏先を潰して……朱兄だって、マッド=グレムリンを倒して、怪我して、徹夜して……拓彌さんも良平さんも動いてくれて……俺は、俺はいったい、何をしてたんだ? 俺が一番早く、諦めて……)
すべてに片が付いてから改めてそのことを実感すると、とてもじゃないが手を出す気にはなれないのであった。
ところが、
「あーおーい! 手ぇ! 出す! ほら!」
しびれを切らした黄佐がついに無理やり青尉の手を持ち上げて、「いぇーい! やったね!」と勝手にハイタッチをした。
「いいんだよ、何はどうあれ、結果は結果! とりあえず丸く収まったことを喜ぼうや! 損害無し! 収益は十二分! やったね!」
底抜けに明るくそう言って、黄佐は、まだ少し不満そうな色を残している弟と肩を組んだ。
「青尉くーん。喜んでくれないと、皆で頑張った意味が無いんだけどー?」
「っ、ごめっ――」
咄嗟に言いかけた青尉の頭を黄佐は軽く殴って、
「はいアウトー。そこは“ごめん”じゃないでしょう?」
再び『ごめん』と言いそうになったのをどうにかこらえて、青尉は正解を導き出した。
「――……ありがとう」
「よろしい」
黄佐は満足げに笑った。
「さて、これにて一件落着ってね。それじゃあ皆様、ご協力ありがとうございました! 今後は適宜解散ということで――」
その時、彼らの背後で和室の襖が轟音とともに開け放たれた。全員がびくりと肩を震わせて振り返ると、
「おう、ナシぁ付いたかっ!」
「父さん……」
刀堂家の父・
「終わったのかっ?」
「あっ、はいっ、終わりました!」
と黄佐。
「そうか、終わったなら――」
軍武はゆったりと腕を組んだ。
そして、吠える。
「――朱将っ! とっとと仕事出ろ! 収穫終わんねぇぞ!」
「うっす!」
応じるはただ一声。朱将は素早く和室から駆け出た。
咆哮は終わらない。
「黄佐! 青尉! てめぇらはとっとと学校に行け! いつまでさぼる気だっ!」
「はいっ、すんません!」
「ごめんなさいっ!」
銘々に謝罪し二人も和室から走り出した。その姿に、大組織を相手取って奮戦し、見事勝利を収めた強者の威厳は欠片も無く――。
「青尉、送ってってやるから乗ってけ!」
「いいのっ? サンキュー朱兄!」
「あっ、朱兄! 俺も! 俺も乗せてって!」
「はぁっ? なんでだよ、てめぇは自分で行けるだろ!」
「そう言わずに、頼むよー! 帰りは自力で帰ってくるから!」
「ったく、仕方ねぇな……おら、急げ二人とも!」
「「了解!」」
二階に駆け上がっていったと思ったら、慌ただしく駆け下りてきて、「あ、拓彌っ、お前らには今度きっちり礼するから! ありがとな!」「ユウレカさんと、マッド=グレムリンさん、車とバイクの鍵ここに置いとくから!」「あの、本当、ありがとうございました! ご迷惑おかけしました!」と口々に言い募りながら、三人は靴を履き、玄関を開いた。
「じゃ、いってきます!」
「いってきまーす!」
「いってきますっ!」
「おう、いってらっしゃい!」
冬の高い青空が、いつものように光り輝いていた。
☆おしまい
能力者たちの千夜一夜 井ノ下功 @inosita-kou
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