第18話 ベンジャミン家に向かうハミルトン

翌日は、霧のような小雨が降る肌寒い日だった。

朝、起きると、パリノ家の侍女が、いつもオリビアがいれてくれたお茶を持ってきた。


「奥様のようには上手にはいれられませんが、お飲みくださいませ。それと、奥様が焼いたクッキーもまだ残っておりますよ。お持ちしましょうか?」

昔から、私に仕えていた侍女の言葉に私は即答した。

「あぁ、頼む」


クッキーを噛みしめ、オリビアの肖像画を眺め、彼女が刺繍してくれたハンカチを見つめる。

徐々に募るオリビアへの恋慕。自分の身勝手さに、我ながら呆れる・・・

今更、オリビアの心が戻るわけがないじゃないか・・・


私は、冷たい細かな雨の粒子に包まれながら馬車に向かって歩く。

オリビアの温かい笑い声のしない庭園は、太陽を失った楽園のようだ。

しんと静まりかえった空間に、私の心は更に重く沈んでいく。


馬車は勢いをつけ、ベンジャミン家へと急ぐ。

しかし、会ってもらえるとは、限らない。

それでも、行かなければならない。

失った妻が、”天使”だったことを今更気づいた私を、いっそ、罵倒してくれればいいと願いながら・・・




ベンジャミン家の門は二重構えになっている。

いつもは開放している最初の門が閉められており、ベンジャミン家の護衛兵が厳重に警備していた。

「私は、ハミルトン・パリノ公爵だ。開けてもらえないだろうか?」


「今はダメです。誰もお通しできませんよ。昨夜、侵入者が紛れ込みましてね」


「侵入者?私はオリビアの夫だ。怪しい者では、決してない」

私の言葉が言い終わらないうちに、スローイングナイフが顔すれすれの位置を通っていった。

「夫ですってぇー?あれだけのことを、私達のお嬢様にしておいてぇー。一回、地獄に墜ちるといいですわぁ」

ピンクのふわっした髪をポニーテールにした侍女が、にっこりと微笑みながらちかづいてきた。


「今のはね、わざと外してさしあげたのですよぉ。次は、どうしようかなぁー」


「ラナ、そこまでよ。ハミルトン様、あなたをオリビアお嬢様に会わせるわけにはいきませんよ。理由はおわかりでしょう?」


「あぁ、もちろんだ。けれど、できれば会って直接、謝りたいだけなんだ。魅了の魔法にかけられていて、正常な判断ができなかった・・・」

私は、エマに熱心に頼んだ・・・


「魅了の魔法だと?禁忌の黒魔法じゃないか!誰がかけたんだ?」

侍女のゾーイが、赤く染まった掌を拭きながらやって来た。

多分、それは・・・血?

ベンジャミン家でなにが起こっているんだ?


「クロエだ。クロエ・ランドン公爵令嬢だ」

私のその言葉に3人の侍女が、同時に舌打ちしたのだった。


「エマ、昨夜の侵入者はアンドリュー・プレイデン侯爵の息のかかった者だとさ!さっき、やっと吐いた」

ゾーイは、忌々しげに顔を歪めて眼鏡を外し、それにも飛び散った赤いものを拭いている。



「ハミルトン様、一度だけお嬢様に会わせて差し上げます。」

エマは思慮深げな表情を浮かべながら言ったのだった。


(※アンドリュー・プレイデン侯爵はクロエが魅了の魔法をかけた男性です。忘れてしまった方は7話のお話を見てください。ダイヤモンド鉱山を領地に持つ男性です)

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