53 天国へのキルト

「出来たあ」


 最後の玉止めの糸をハサミで切って、召使いのラナが手をピンと天に向けて伸ばす。30センチ角の家のパターンを8名で計81枚、全てつなぎ合わせて大きなタペストリーを作った。それぞれに個性があり、和柄、花柄、モノトーン、スタイリッシュ、たくさんの個性が合わさって1つの大きな作品が出来た。制作を始めてすでに2カ月という期間が経過していた。床に大きく広げて皆でその出来栄えを確認する。


「これを供物にするのね」

「胸が張り裂けそう」

 それもそのはず、皆で力を合わせて作った初めてのキルトなのだ。


「皆さん、本当にありがとう。私のワガママにお付き合いくださって」

 王妃エルミナは涙を拭いながら感謝を示す。


「エル、国を思えばこそよ。あなたの気持ちは痛いほど分かるわ」

 君江はエルミナにそっと声を掛けた。


「せっかくだから、写真を撮りましょう。あたし、良い物を持っているの」


 君江の言葉に、部屋の隅に控えていた由美子がデジカメを持って進み出た。




 皆で話し合った挙句、大聖堂に飾って撮ろうということになった。本来の目的であったからほんの一時でもそれを叶えたいという思いがあった。召使いに頼んで大聖堂の大きなステンドグラスを背景に、天にまっすぐ伸びた十字架の後ろに掲げる。設置にもそれなりに時間を要したけれど、見事な演出だった。


 皆若い娘のようにきゃっきゃとはしゃいでいる。この世界にはどういう経緯でか、流れ着いたカメラもあるらしいけれど、基本がインスタントカメラでそれも画像が荒いという。


 デジカメを由美子に頼んでよかったと君江は安堵した。


「さあ、撮りますよ」


 由美子がカメラを向ける。指をシャッターに当てて「はい、笑顔で」と声を掛ける。皆で仲良く手を結んで万歳のポーズをとった。心から今日の日を喜んだ。



       ◇



 キルトはその後、戦場へと送られて、人魔殲滅作戦の最前線へと届いた。現地には関係大臣と隆行、イファックス社の2名、それに国王の嫡子イーグル王子までもが集結している。作戦はこうだった。国境線上に重曹を厚く撒いて人魔を誘い込む。重曹に触れると人魔の体は細胞壁が溶解して、そこから組織液が速やかに排出されることが分かっている。あとは人魔を駆逐するまで辛抱強く待てば、国境を越えたあたりで全てただの汚水と化す。重曹が有効であるということは事前に国境警備隊によって確認されていた。


「それではこれより作戦を開始する」


 イーグル王子の指揮で作戦は遂行された。重曹を猫車に乗せた兵士たちは各々の配置へと散り、スコップで散布を始める。上手く行くことは事前に分かっているけれど、それでも緊張感というものがあった。


 祈るような気持ちで隆行は戦場を凝視している。権力者と共に後方でと打診されたがどうしてもこの目に見届けたかった。国境を越えるな、越えてくれるなと祈りながら森の深部を見つめる。


「脇田さん、大丈夫です。わが社を信じてください」


 指が白くなるほど力を込めて組んでいた手をみとめて水野が声を掛けた。イファックス社の2名も隆行が行くならばとついてきたのだ。


「あ、ああ。……はい」

 さすがにあんたたちのせいでこうなったとはいわないで措いた。


 見張りを立てながら兵士が追加の重曹を取りに走る。何往復かして厚く綺麗に撒き終えると間もなく1体目の人魔がやってきた。隆行の心が粟立あわだつ。あの恐怖が俄かによみがえったのだ。


 周囲の声も聞こえなくなり、人々の叫びが鮮やかに蘇る。戦場で見た人々の阿鼻叫喚、そして夢の中で見た深谷村の記憶。無念のままに飲まれた魂が助けを求めて叫んでいる。耳を背けたくなるほどの苦しさ。背中を汗が伝い始める。


 呼吸するのも忘れて脳裏に身のよだつ恐怖を呼び出しているとそれを割るように声が上がった。


「消失! 人魔消失!」


 ハッと気付いて我に返る。目前の人魔が消失して汚水と化したところだった。続いて2体目がやってきて、それが失せる瞬間は隆行も見た。まるでゼリーが一瞬にして水に変わるかの如く、崩れ落ちた。速やかに漂い始めた臭いは作戦の成功を意味していた。兵士たちの間に歓喜の声が上がり、隆行もホッとする。


 途中重曹を継ぎ足しながら、三日三晩観測を続けた。ここで少しでも気を緩めれば、大惨事が起こると皆懸命だった。


 やがて人魔が途切れると、指令本部は次の作戦に移行した。人魔のいなくなったヨミの地に踏み入り、皆で協力して小さな社を建てた。その社の中に畳んだキルトを祀り、皆集うと呪術大臣を筆頭に祈り始めた。


 儀式を始めて1時間ほどすると地を汚していた大量の汚水が蒸発し始めた。蒸発と共に呪うような声が木霊し始める。祈りに抵抗するかの如く何かが叫んでいる。隆行にはそれがまるで田吾作の愛した花の声のように聞こえた。


――帰りたい、帰りたい


――帰してくれ


――田吾作、田吾作


 意識に滑り込む呪詛の声は3時間ほど続いただろうか。懸命の祈りが通じたのか、果てしない恨みが途切れはじめ、だんだんと消えるように細くなり、その後遠くに離れるように小さくなってやがて完全に消失した。付近を包んでいた臭いも声といっしょに消えていき、土地を包んでいた淀んだ空気が晴れ渡る。


 長きに渡る呪詛からの解放、それはヨミの国が事実上ヨミではなくなった。そのことを示していた。

 

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