40 黄泉の国
四方を突然の白い光に包まれて、村の人々は意識を失った。気がついた時は陽光降り注ぐ空の下にいた。徐々に起き上がり自らの身に起きたことを確かめるべく人々は周囲を見渡す。何かの物足りなさの後、異変に気がついた村人の1人が声を上げた。
「深谷川が消えたぞ。深谷山もない」
村の中央を堂々と横切っていた深谷川と見慣れた深谷連峰の山並みが抜き取られたように消えていた。村だけが川を覗いて綺麗にぽっかりと切り取られたように更地に移動させられた、そのような光景だった。村は村のまま変わりないけれど、そこは既に見知った深谷の地というわけではなかった。
「偉大な山はどこへ消えた。優しき川はどこへ。どうしてこのようなことが起こった」
目を白黒させる村長に傍仕えが寄った。
「村長大変です」
「そんなこと分かっておる」
傍仕えはぶるぶると首を振って否定すると再度声を上げた。
「井戸の傍で与作が発見されました」
「何!」
半年ほど前に失踪した田吾作の父与作が髭を生やし、浮浪者のような風体で発見された。両脇を抱えられるようによろよろと衰弱した姿で運ばれてきた与作は人々の顔を見渡すとそのまま泣き崩れた。
「良かった、みんなに会えてよかった。本当に」
「お父ちゃん!」
田吾作の母と花が走り寄る。抱き合うと3人で泣いた。
情けない姿で杖代わりの枝を抱えて皴がれた老人のように声を振り絞るがその姿はあまりにみすぼらしく哀れ。村長は少し時を置いて与作からこの半年の事情のことを聞いた。
半年前、何もない世界に急に放り出された与作は途方に暮れたという。井戸も無く、獣も居ずに仕方なく小川の水を飲んだ。それだけでは腹は膨れずきのこや野草を食べて、何とか飢えをしのいだ。恐怖心から元いた場所を離れることが出来ずにずっとその付近で生活していたという。
「ここはあの世か」
その問いに与作は首を振る。
「分かりません。ひどく臭せえし、生き物は何もいない。死地だと想像したが、でもワシは生きとる。でも1人では生きとるという自信さえも湧かなかった。何度疑ったことか、ワシは死んだのかと」
村長は現状把握として傍仕えに村人の安否を確認するよう命を出した。そして、1時間後傍仕えは結果を伝えるために参じた。その報告では村で消えた者が1人。田吾作だった。
「田吾作め、一体何をやりおった」
村長は渋面を作るが、それに詫びる者はこの地にいない。結局その日は状況が分からないので各自家に籠り、翌日村の外の様子を見に行くということになった。
村の勇士が集まり、翌朝村外へと向かった。遠くには山の頂も見える。けれど、誰も見知った山ではなかった。峠を越えて隣村が拝める地に着き、一同は呆然とする。そこには荒んだ荒野が広がっていた。異臭に戸惑う。汚物をかき集めたような臭いが集積していた。
「おええええ」
気持ち悪さを抑えきれず、えずく者が続出する。それ以上は進めぬ地だと判断して一同は引き返した。
現状報告を聞いた村長は眉を顰めてぼそりと呟く。
「まさか、黄泉ではあるまいな」
途端に人々は嘆きの色を濃くする。
「ではやはり我々は村ごと黄泉の国へ送られたと」
どよめきが起こり、泣き出す者さえ出た。
「そう考えるより他にあるまい」
物知りの村長がそういうので誰もそれ以上は否定することも出来ず、彼女の言を聞いた。
「残念だが、ここは既にあの世。元の世界へと帰る方法はないと見る」
田吾作への怒りを露わにした者もいれば、抱き合い悲しみを分け合う者もいる。三者三様だが、皆元の世界へと帰りたいという望みは同じだった。
「希望は捨てない。だが、戻る方法が分からぬ以上この地で暮らすしかあるまい。心配するな、皆一緒だ」
村長の声に皆視線を向け嘆くのも止めて静かに聞いている。
「それから田吾作がもし見つかった時のことだが、その時はいたぶらずにワタシの元へ連れて参れ。あやつには刑を受けさせねばならん」
皆が怒りに身を任せて田吾作を罵る中、お花と田吾作の母はこっそり手を繋ぎ、母は衰弱しきって泣く父の背を優しく擦った。
◇
「なあ、皆どこへ行っちまったんだ」
田吾作は川岸に座り込むと目前を流れる深谷川の水面を見つめた。怒りのあまり願ってしまったことを激しく後悔する。
「お花、お袋……」
あの時、全てが消えればいいと思った。けれども、全ての中に自身の大事なものを含んだつもりはなかった。家、家族、自身がこの世で最も大切な物だった。
呆然として、もう1日経っただろうか。これ以上はもう願っても何も戻らない。よっしとひと声上げると田吾作は心に決意を抱いて立ち上がる。
後ろを振り明ければ荒野のみ、いつもは住居に遮られていた深谷山が良く見える。田吾作は一歩を踏みだす。決意の一歩は大きく、しっかりと。
――皆をこの世界に戻して見せる。必ず戻して見せる。
大地を蹴るように大きな一歩を踏み出した。
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