41 田吾作の決意とその後

 生涯を賭して村を取り戻すことを誓った田吾作は隣村へと向かった。もう一度深谷の地へ戻る決意を胸に。3日歩いてたどり着いた隣村で田吾作は親切に泊めてくれた老夫婦の宅に1週間世話になることになる。その初めての夜、田吾作は老夫婦に村の消失の顛末を話した。


「そう神隠し、そのようなことがあるとワシも聞いたことがある。しかし、深谷村

がのう。あんたも大変じゃったな」


 田吾作は自身がその顛末に関わったという肝心なことは話さなかった。老爺の言葉に頷くと「何か方法は無いのかい」とこぼした。


「北の地でも人が消えるということが度々起きているらしいですよ」

 そう教えてくれたのは老婆だった。


「それ、どこで起きているんだい」

 田吾作は茶碗を口から離すと米粒を飛ばしながら聞いた。


「ええと、玉越村で起こると聞いたけれど。でも分からないですよ。もしかしたら人買いに売られているだけかもしれないし」

「ワシは遥か東の住谷村で起こったと聞きましいたぞ」


 田吾作は食べ終えた茶碗を置くと筆と紙を貸しておくれと声を上げた。


 老夫婦の寝る隣の部屋を宛がわれ、田吾作はろうそくの明かりの中、紙とにらめっこをした。暫くの思考の後、墨をたっぷり吸わせた筆を手に取ってさっと簡素な地図を描く。北の地、東の地、そして深谷村で起きたことを丸で記す。この世界で確かに神隠しが起きているという事実をしっかりと書き留める。しかし、情報が少なく分かったようで何も分からない。結局、田吾作はそれから1週間その地で考え抜いた。そして考え始めて1週間後、厠で用を足している最中ふと思い立つ。


「よし、旅に出よう」


 田吾作は糸口を求め、日本各地で起きている神隠しを調査するための長い旅に出る決意を決めた。人々の口伝を聞きながら、それを頼りに次の地へと巡っていく旅だ。老夫婦に礼をいうと用意してもらった簡素な荷物で隣村を目指す。これが生涯をかけての旅になることを本人は予測していなかった。


 始めは全く金銭を持たない貧乏旅だった。けれどそれで困窮したことは無い。田吾作は取り得も無い男だけれど絵は上手かった。時折立ち寄った村で似顔絵を描いて旅費を稼ぐ。口の達者なところも手伝って数日逗留すればファンもついた。


 絵で貯めた金で田吾作は大きな紙を買った。持ち運ぶには何重にも折りたたまねばならない程の和紙だ。その和紙に広域の地図を描くと立ち寄る地で神隠しの情報を加えていく。夜の訪れる度に宿で地図を広げ、睨むように見つめる。


 夜半になるとろうそくを吹き消して静かに眠り必ず家族を思い出す。愛しい花、愛する父と母。村人に想いはないけれど迷惑ばかりかけてしまった。眼裏に過るのはこの頃に見た美しい深谷の虹。あの時ほど故郷が誇らしく思えた日は無かった。あの地を元に戻したい、その一心で動いている。明日は今日より頑張ろう、怠け者のどうしようもない男だけれどそれでも彼なりの決意があった。


 田吾作が旅を始めて10年経つ頃には田吾作は43歳、回った村は日本中で60を超えてそれでも解決の糸口さえ見つからなかった。

 

 ある日立ち寄った村で田吾作は一人の女に出会った。


「あんた綺麗だ」

 思わず口に出していた。偶然水を汲みに寄った井戸であった女。女は静かにいう。


「あんたタラシじゃないのかい」


 田吾作は思わず笑む。そう、確かにかつては自身はそんな人種だった。でも今は心に消えない1人の女がいるのだ。


「よしてくれよ。そんなんじゃない、正直な感想さ。美人を美人といって何が悪い」


 女は凛とした態度でふんと鼻を鳴らす。


「あんたみたいな鼻の下が長い男は好きじゃないんだよ」

「えっ、オレそんなに鼻の下長いかい」


 田吾作は上唇を擦る。


「物の例えだよ。そんな慣用句も知らないのかい」

「慣用句って何さ」

「バカね」


 女が立ち去ろうとするので背中に声を掛ける。


「なあ、この村食事処が無いみたいだな。悪いけど金払うから昼餉を食べさせておくれよ」


 女は、はあっと吐息するといいよといって自宅に招いてくれた。


 女は33歳の未亡人だった。間を埋めるため無くなった旦那のことを聞くうちに自身が花を思い続けている境遇と同じであると田吾作は悟った。女は最初程のつんけんしたイメージではなくとてもしおらしい花のような人だと感じた。同情が想いへと変わる。女も田吾作に好意を寄せている様子だった。


「あんたさえ良ければこの地で暮らさないかい」


 突然の申し出だけれど、まんざらでもなかった。田吾作にはお花がいるが、そのお花とは会うことすら出来ない。決意が次第に揺らいでいく。


 罪悪感は消えずにある。でも、もう疲れていた。孤独になってもう久しい。忘れていた人のぬくもりが飛来するともう手放すことは出来なかった。喉から出そうな拒絶の言葉とそれを押しとどめる決意が葛藤する。田吾作は震える拳を握りしめ決意を心でそっと呟く。


――許してくれお花。お袋、親父。


 それが深谷との決別の時だったと後になって田吾作は思う。結局、田吾作はそこで家庭を持ち、女との間に子も儲けた。その子を育てるため、愛する家族を守るため不真面目な男が懸命になった。


 心にはいつでも深谷の美しき眺めがある。虹の掛かった渓谷の美しかったこと。許されるならばもう一度帰りたい場所だ。でもそれはもう叶わない。日々を過ごし旅への想いが完全に消えたころ、せめてもの償いにと妻にだけこっそり秘密を打ち明け懺悔した。愚かだった過去、心の片隅で消えない花への想いも。誰かにもういいよといって欲しかったのかもしれない。許されたかった。妻は静かに告白を聞いた後、「そう」とだけ呟いた。


 田吾作はそうして深谷への想いを抱え罪を悔いながら、静かにその地で一生を送った。

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