39 悪意と深谷川と

 夜中探し続けて朝になり、けれども父は帰ってこなかった。村長に連絡して村を上げての捜索が始まる。自宅周辺から山にかけての一帯を棒を使い掻き分けて、川の深みを探り捜索は一日に及んだ。田吾作もそれに加わり懸命に探したけれど見つかることはなかった。


「神隠しやもしれぬ」


 田吾作の自宅の縁側に腰かけた女村長が神妙な面持ちで呟いた。田吾作は顔を真っ青にして冗談だろと呟く。

「オヤジは晩飯に美味そうに鮎食って、オレに説教してそれで」


 田吾作は涙ながらに語る。その様子を見て村長は視線を落として無念そうに呟く。


「残念だが諦めるしかあるまい」

 田吾作のむせび泣きが強くなる。


「オレ、藁にお前はオヤジだって念じてケツ拭いたんだぞ」

「何!」


 村長の攻め立てるような声に田吾作の涙がピタリと止まる。


「お前今何と言った」

「えっ、藁にオヤジだって念じてケツ拭いたって」


「まさか田吾作それを川に流したというのではあるまいな」

「流したさ。そんなばっちいもん持って帰れないだろう」


 涙はどこかへ消えてけろっとした表情でお道化る。


「何ということを」


 村長は落胆の色を浮かべて項垂れる。それを田吾作は覗き込む。


「どうしたんだよ、長。俺まずいことやったかい」

「川に人を念じて流すなど。分かっておるのか。深谷川は昔からあの世に通じているという噂があるのを」

「何だって」


 そんなことも学んでおらぬのかとボヤいて村長は続ける。


「盆の時期に死人の魂を川に送り、あの世へ流すであろう。あの川に流された魂はあの世へと送られる。お前は藁に父親の魂を刻み込みあの世へと送ってしまったのだ」


 田吾作は唖然として自身の行いを悔いた。

「与作もバカな息子を持ったもんだ」


 そう言って村長は立ち上がる。暇しようとする村長の背に田吾作は言葉を投げかける。


「村長、助ける方法は無いのかい!」

「無い」


 引き戸をぴしゃりと閉めると村長は出て行ってしまった。それきり何も言えず、残された田吾作と母は呆然として立ち尽くした。



 それから父のいない2人暮らしの日々が始まり、田吾作の愚行はすぐに村中の噂になった。歩くたびに聞こえてくる陰口は田吾作の心を揺さぶる。


「田吾作よ。近寄ると親不孝がうつるよ」

「やあね、親を藁に見立ててケツ拭いちまうなんて」

「おい、田吾作。藁要るかい」


 半笑いで声を掛けてくるものが後を絶たず、田吾作もとうとう自暴自棄になり部屋に籠るようになった。


「田吾作、ちょっとは外へ出たらどうだい。いい天気だよ」

「あ? ん、ああオレいいわ」

「いいわ、じゃないよ。畑、手伝ってくれないと母さんも大変なんだよ」


 母に咎められて渋々と畑へと出るとお花が田吾作の家の畑の雑草引きをしていた。


「田吾作何よその格好!」


 気づいた花がずんずんと歩み寄ってくる。


「髭、髪の毛、眉毛、鼻毛! もうちょっと清潔になさい」

「大根足にいわれたくねえよ」

「何ですって!」


 そんな花とのやり取りをするのも新鮮なこと。ずっと母以外の人と話すことさえなかったのだから。少し嬉しく少し恥ずかしく。静かになると花が神妙な面持ちで声を掛けてきた。


「ねえ、田吾作」

「なんだよ改まって」


 田吾作はすんと鼻を鳴らす。


「アタシで良ければお嫁に来てあげるわ」


 田吾作は目を丸くしてぽかりと口を開けた。とても信じがたい申し出だった。


「あのさ、お前。分かってんのか。オレは村中の嫌われ者で」

「アタシは好きよ」


 田吾作の言葉を遮り、頬をほんのり赤く染めて花はそう告げる。


「バカな所もどうしようも無い所も本当は優しい所も」

「お花……」

「人は一人じゃ生きていけないのよ。あんたもアタシも」


 そう言って花はにっこりと笑う。こんなにも愚かな自身を認めてくれる人間がいた、それだけで田吾作は心強かった。生きることを諦めていた心に光が灯る。それから間もなく二人は婚約を結んだ。



 婚約を結んだ2人は以前以上に仲睦まじく過ごした。世捨て人のような暮らしをしていた田吾作も心を入れ替えて懸命に母を手伝った。日々は経ち、いよいよ祝言という月の始めに農道を歩く途中、田吾作は聞いてはいけないことを偶然耳にしてしまった。


 目前から歩いてくる女2人、お瑠璃とお静だ。


「お花も趣味が悪いね」

「糞流しの田吾作だもの。皆寄りやしないのに」

「お花も残念だもの、ピッタリよ」

「違いないわ」


 年頃の女2人がクスクスと忍び笑いをして去っていく。それを聞いたとたん激情が渦巻いた。心の奥底に眠っていた悪い心が芽を出す。自身のことは何といわれても構わない、けれど愛する者の陰口は許せなかった。それほどに花が愛おしく、彼女は心の支えでもあった。怒りのあまり拳を握りしめ、歯軋りをして怒りを何とか堪えるが悔しさは消えなかった。


 家に帰る途中であった村人と目が合った。田吾作を忌避して身を引いたような気がした。出会う人皆が田吾作を避けていく。そんな中、村長と付き人を見つけた。思わず木陰に身を隠す。話し声が聞こえてきた。


「どうも田吾作の一家は品性を落とすのう。花もぺんぺん草のようなどうしようもない女で。気ばかり強くていかん」

「長老に諫言するなど身の程知らずといいますか」


「集会に末端の女まで参加させよと。何を考えておるのか」

「謀反を企んでいるやもしれません」

「いっそのこと皆流れてくれればよいが、与作のように」


 田吾作の血が激しく沸騰した。全身を戦慄かせて、怒りを治めようと努めるがまるで収まらない。2人が去り、田吾作は決心した。


 家へ帰ると母と花が草鞋を編んでいた。激情を迸らせる田吾作に目を丸くしている。余程の血相だと自身でも感じている。田吾作は大量の藁をむんずと掴むとそのまま外へと駆けだしていく。


「田吾作、ちょっと田吾作!」


 狼狽える花の声が聞こえる気がするが意識はもう決意の一心に集中している。自宅の傍の厠にしている場所へ着くと一本一本の藁に強く念じた。


「こいつは源治、こいつは瑠璃、こいつは村長。流れろ、全員流れろ、全部、家も畑も牛も全部、全部。憎き村ごと流れろ」


 田吾作は叫ぶと藁を川へと高く放り投げる。投げられた藁はゆっくり揺蕩たゆたい深谷川のせせらぎに消えていった。

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