23 決別

「朝食ぐらいはと思ったんだけれどね」


 静かな朝食の席で夫人がぽつりと零す。美味しそうな乳製品の並ぶ食卓は朝から手間を掛けて準備してくれたらしかった。


「すみません。お世話になっておきながらお礼も言わずに立ち去るなんて。ボクの責任です」

「いいよ、君の責任じゃないさ。そういう子たちだったんだよ」

 やや不機嫌な主人だが、聡司たちにまで怒りを向けてくる様子はなかった。


「昨日の仕事の時のやる気の無さを見てもう嫌だったんだよ。君たちは真面目に働いてくれたけれど」


 パンにバターを塗るとジーナスが心底申し訳なさそうな顔で詫びる。

「本当に恩を仇で返すなんて申し訳ない。もっと言い聞かせて置くべきだった」


 聡司はひと言も喋らず黙々と朝食を口に運んだ。



 朝食を終えると夫妻に礼を言って聡司とジーナスは出立した。夫妻は餞別に少しの食料を分けてくれた。ジーナスはにこにこと笑いながら手を振り何度も会釈する。聡司はとりあえず頭だけは下げて謝意を示す。けれども胸の内に渦巻くのは激情。聡司は問い正さなければいけないことがあった。


「ああ、いい人たちだった。でもほんと馬鹿な子たちだったよね」

 夫妻の姿が見えなくなり、前を向いて歩き始めたころジーナスが零した。


「それ、あんた本気で言っているのか」


 怒りを含んで低くなる聡司の声にもジーナスは注意を払わない。


「もちろん。本気だよ。見ただろうあの態度。自分たちが家に泊れない分かった途端あの態度だからね。あの姿が本当の彼らさ。いざという時に人間性が分かるというものだよ」

「そうだとしても」


 聡司は拳を握りしめる。彼らは失ってしまった大事な仲間だったはずだ。

「納屋で寝ることがどんなに辛いかわかるだろう! ディアたちの気持ちが微塵も分からないのか!」


 張り上げる聡司の声にジーナスが笑う。


「でも、君は家で寝た」


 聡司は目を見開く。


「湯船につかって、上手いシチューを食って、ふかふかのベッドで眠った」


 ジーナスのいわんとしていることを感じ取り聡司は口元を振るわせる。


「ボクだけが抜け駆けしたようにいうけれど、君もなんだ」

 言葉を発せなくなった聡司にジーナスが笑いかける。


「2人旅だから、気軽にいこう。城下町まではまだ距離があるけど、気負うことはないよ。取り仕切る偉そうな人たちもいないからね」


 言葉尻に、自身の中で何かが弾けるのを感じた。聡司は拳を勢いよく引くとジーナスの頬へと振り上げた。ジーナスの顔がぐにゃりとひしゃげるように歪んで体が大きく傾ぐ。ジーナスは2歩後ろに揺らめいて尻もちをつくと、ハッとしたような表情で怯えの言葉を零した。


「いきなりなにするんだ」


 聡司は歩み寄るとジーナスの胸ぐらを掴み上げて蔑みの眼差しを叩きつけた。固く握りしめた拳に力を込める。もう一度という思い。だがそれを振るうことは出来なかった。殴る権利は自身にはないのだ。彼と自分は同類、ほんのひと時の幸せを享受してしまった自身が許せなかった。

 ジーナスは口元を拭い血が出ていないのを確認するとふっと笑って立ち上がった。


「気が済んだかい? キミは随分思いやりのある人間なんだね。でも、それは押し込めておいた方がいい。ボクだからいいけれど、普通だったら怒っているところだよ」


 聡司もそれ以上は諦めた。腹は立つけれど、ここで別れを切り出すのは冷静さを欠いている。この国の事情に明るくない自身が1人で旅を続けるなど無謀だ。

「さあ、ボクも悪かったね。でも、これが知恵ということも理解しておいてくれ」


 ジーナスのいうことは最もだろう。聡司は諦めたようにため息をつくと前を向いて歩き始めた。道のりはまだ長い。



 ジーナスは時々話したけれど、聡司は無言。日和が良くて心地いいけれど晴れやかな気分じゃなかった。ジーナスは良く喋るヤツだった。彼は城下町の古本屋の店員らしく、よく本を読むという。特に好んでいるのが異国から流れ着く古本だそうだ。彼によると古本の一番最後のページに書かれている出版元の住所は『東京』、彼は東京ってどこだろうねと笑っていた。


 次の村に着いたころには夕方だった。往路で宿泊したことがあるリーブルの村だった。味をしめたジーナスは農作業を手伝える家を探そうかといっている。見聞する彼の横で聡司は村がやけに騒がしいのに気がついた。随分と活気がある。

 民家から出てきた軍服を見てさっと血の気が引いた。


「逃げろサトシ!」


 ジーナスが慌てて声を上げる。増援部隊が村に逗留していたのだ。聡司は身を翻すと全力で走った。ジーナスも逃げたが脚が縺れて地面に突っ伏す。


「サトシ、サトシ!」


 助けてくれといわんばかりの叫びが木霊する。背後を確認するとジーナスは数人の兵士に取り押さえられていた。聡司は足を止めて一時迷う。――仲間じゃないのか、と。

 目が合うとジーナスの嘆きはより大きくなる。


 助けたい。


 助けたい。


――でも、本当に自分は助けたいのか。


 結論にたどりつくと聡司は拳をぎゅっと握りしめ、身を翻してそのまま走り去った。

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