22 結束の瓦解
「ちょっと待てよ。それは納得いかないぜ」
一瞬にして空気が変わるのを感じた。ディアの声が明らかに不満と物語っている。
「どうしてさ。ボクが得てきた話だってのはさっき皆も納得しただろう」
負けじと大人しいジーナスが意見を珍しく主張した。
「話を持ってきたジーナスに権利はあるけれどサトシにはない。あとの1人は公平に決める」
ニールもオーウェンも同意して頷いている。ジーナスが声を俄かにため息を吐く。
「それじゃあ、断ってくるけどそれでもいい?」
半ば脅しと取れるような極端すぎる彼の発言に皆眉を寄せた。
「あんた何勝手なこと言ってんだ。もしかして聡司と密約でも交わしているんじゃないだろうな」
皆の視線が聡司に降り注ぎ、聡司は手をお手上げポーズで慌てて頭を振る。
「ああ、いや。オレは納屋でいいよ。納屋でいい」
ほらなとディアが呟いてジーナスに視線を送る。
「ボクがサトシと一緒がいいっていってるんだ」
暫く話し合ったけれどジーナスが全く譲らずだったので、話は平行線。結局ディアたちが折れて3人は納屋で泊ることになった。
聡司たちを泊めてくれるのは比較的小さな民家で、隣の厩舎で牧畜業を営んでいる中年夫婦だった。手伝うのは厩舎の掃除とウシの体を洗うこと。だが、先に宿泊先を振り分けたのが間違いだった。お世話になるというのに皆どこか機嫌が悪く、嫌々働いているのが見てとれる。せっかく好意で泊めてくれる夫妻に嫌な思いをさせているのではないかと心配になった。
実際、聡司は納屋でも良かった。皆が割れることは一番望んでいない。これから先も長いのにこんなところで仲たがいしてどうするのだろう。ジーナスはせっせと働いているがディアなどもうほとんどヤケのように干し草を投げている。
夫妻が約束の反故を申し出る心配をして聡司はディアに話しかけた。
「ディア、あのさ。オレ納屋でいいからお前家に泊めて貰えよ」
「はあ? いいって」
ディアはすこぶる機嫌が悪い。それでも聡司は諦めない。
「約束なんてホントにしていないんだ。ジーナスが勝手にいってるだけで」
「オレはあんな奴と泊るなんて御免だ。ホモ同士仲良くやってろよ」
聡司は取りつく島もなくて諦めるとジーナスの所へ向かった。ジーナスは搾乳を教えてもらって作業している最中だった。
「あのさ、ジーナス」
「ああ、サトシ。見てよこれ。全部ボクが絞ったんだ」
ジーナスが見せたのはブリキのバケツ一杯の牛乳だった。
「殺菌した牛乳があるから、後で出してあげるよ」
気のよさそうな主人がにこにこと笑う。聡司はジーナスに言おうとしていたことを飲みこんでありがとうございますと頭を下げた。
「それにしてもあっちの子たちは随分乱暴だね。牛が怯えちまうんだけど」
主人の苦言を受けてジーナスがすみませんと頭を下げる。
「ああ、いいよ。あんたも乱暴そうな子たち抱えて大変だね」
ジーナスをまるで引率の教師のように思っているらしくて聡司は呆れてしまう。ジーナスは一体どんな説明をしているのだろうとそれが疑問だった。
昼過ぎからずっと厩舎で作業して、夕刻になると納屋を案内された。主人はおざなりの言葉で気遣いする。
「皆家に泊めてあげたいけれど広くないんだ。すまないね」
返事をしない3人の代わりにジーナスが頭を下げる。
「いえ、ありがとうございます」
ジーナスが別れ際「じゃあ」とディアたちに告げるが返事はない。心配だったが今はどんな言葉も聞いてもらえないだろう。後ろ髪を引かれる思いで聡司はジーナスとともに家屋に招かれた。
木造りのロッジ。外気より遥かに温かく、焚かれた蝋燭の優しさに身も心も包まれる心地がする。久しぶりの家に心が安らいだ。張りつめていた糸がぷつりと切れて何だか涙が出そうになる。夫妻は風呂に湯を沸かしてくれていてそれも頂いた。風呂上がりの牛乳はとても美味しく体に生気が満ちるようだった。とてもじゃないが外のディアたちに明かすことは出来ない。
夕食までごちそうになり、様々な話をした。夫妻の成人した子供の話が主であとは牧畜に関すること。もちろんこちらの真の事情は話せない。夫妻のごちそうしてくれたクリームシチューはほんのり甘く温かくて、大きな貝が入っていた。牛乳は自家製を使用しているという。
「とても美味しいです」
ジーナスの声が弾んでいる。こんな声も出せるのかと聡司はふと思った。機嫌取りでそうしているのかもしれないし、心から感銘しているのかもしれない。仲間が納屋で寝ているというのにこの笑顔。聡司はジーナスのことがまるで分からなかった。
食後案内された部屋には2つのベッドが横並びに置かれていた。窓際に聡司が腰かけ、ジーナスは壁際に腰かけた。とても小さな部屋で確かに5人泊る余裕はない。それでも2人で幸運を享受する戸惑いが合った。
「ねえ、ジーナス。どうしてオレを選んだの。ディアたちにひどいと思わなかったの?」
「えっ、ああ」
ジーナスの声のトーンが急に落ちた。聞いたこともないような気だるげな声だった。
「ボクは正直ディアたちのことあんまり好きじゃないんだ。下品で威圧的で」
聡司は思ってもみなかった返答に頭の中が真っ白になった。ジーナスは尚も続ける。
「あんな低俗な連中と一緒にいると馬鹿がうつるよ」
「……そんな言い方って」
聡司の言葉には反応も見せず声の調子をいつものトーンに戻すと言を継いだ。
「でも、勘違いしないで。サトシのことは好きだから」
ジーナスはにっこり笑うと布団を首元に引き寄せた。聡司は喉の奥がヒリヒリとして目頭が熱くなった。人が人を裏切るということを目の当たりにして何だかショックだった。
「おやすみ」
ジーナスの穏やかな声がベッドに沈みこんでいく。暫くすると寝息が聞こえ始めた。明日も歩かなければいけないから休みたいのに気持ちが安らがない。居心地が悪くてディアたちに申し訳なくて、聡司は何も言えずに唇を噛みしめて目を無理やり閉じた。
翌日、納屋を訪れて聡司は呆然とした。ディアたちは食料とともに姿を消していた。
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