19 途絶えたメッセージ

――大丈夫だから。


 スマホのラインのメッセージを幾度となく確認して由美子はため息を吐いた。従軍している息子聡司からの最後のメッセージ。それが届いたのがもう4日前。漠然とした内容に、『どこにいるの』、『お父さんは一緒?』と問い返したけれど返事はない。恐らく電源が切れたのだろう。けれど怪我をした可能性だってある。由美子は心配で堪らなかった。


「たぶん大丈夫だよ」


 麗奈などは気軽にいうけれど、それでは心が休まらない。だが、自分が不安になっていると君江と泰山の心配を余計に煽りたてる。だから、その不安さえ口にすることが出来ずにいた。


 そろそろ職場の休憩時間が終わる。由美子は鮮魚店の販売員の顔を作ると立ち上がる。せっかく見つけた仕事なのだ。雇い主の店主も良くしてくれている。だから張り切って働かねばならない。



       ◇



 レネの西国境、ウラシルへと到着した聡司の所属する部隊は軍の後方支援に回った。野営しているのは国境がある森の外の小川のほとり。前線部隊は森の中に配置されていて、近くのサルーの村で仕入れた物資をそこまで届けるという任務がある。暫くは後方支援だが、直に前線部隊と交代になるという噂もまことしやかに流れていた。


 ウラシルというのは比較的安全な地域で北部のサーヴァインに比べて随分と人魔が少ないということも風のうわさで耳にしていた。体力的にも精神的にもきつい仕事はあまりなく、皆笑顔を交えながら働いていた。


 夜の帳が訪れると小川のほとりで部隊ごとに集まって焚き火を囲う。携行食料とスープを口にしながら周囲の気配に耳をすませる。野鳥の泣く声と木の葉の擦れ合う音、それに焚き火のパチパチという音が混じり静かな夜を演出する。肌寒いけれどまだ耐えられない程ではない。夜は毛布もあるし、テントの中で眠っているので最低限の寝場所が保障されている。文句が無いわけではないが恐らく十分恵まれている。


 頭で考えているのは家族のこと、心配しているに違いないけれどスマホの電源がない今、自身の無事を知らせる術はもうない。信じてくれと願うことしか出来なかった。


 短草を踏みしめる音が背後でして聡司が振り向くとディアの顔があった。顔を貸せと物語っている。部隊長に少し外すと告げるとディアに付き従った。


 小川のほとりには仲間が5人いた。聡司と同年代の少年たち。この頃軍の中では次第にコミュニティが出来つつあった。気が合う者同士、話が合う者同士、友人というほど信頼している訳ではないけれど少なくとも仲間だ。特殊な環境下で出来た人間関係は不思議と軟ではない。そして、聡司は特にその仲間たちと共有している秘密があった。


――いつ逃げ出すのか。


 脱走は家族にまで刑罰が及ぶと上の者に脅されていたが、ここまでの行軍の途中で逃げ出す者は後を絶たなかった。仲間の一人によると伯父が脱走して町に戻って来たそうだが今でもこっそり市場で働いているという。すなわち脱走する兵士を管理する術が軍には無いということ。恐らく脅しは脅しでしかないのだ。


「今はまだいい。でも、これ以上居座ると本当に国境に送られちまうぜ」

 仲間のヨアンが腹立たしげに呟いた。

「サルーに補給しに行った途中で逃げ出すしかないよな」


 ディアの言葉に皆考えを深める。実際そういう者たちは多かった。サルーへの道すがら、向かわせた補給部隊が皆消えて、捜索に向かうと貴重な物資が土道の真ん中に堂々と放置されていたということもあった。


「でも逃げてどうするんだ。町までは7日かかるんだぜ。金もないのに飯はどうするんだ」

「生きてりゃ何とかなるさ。水は立ち寄った村の物を頂戴すればいい。木の実でも何でも食うんだよ」


 ディアの言を仲間が笑う。

「木の実で腹が膨れるかよ」

 ムッとしたディアはさらに言葉を続ける。

「腹が減るのと前線に送られるのとどっちがいいんだ」


「サトシ、お前はどう思う」


 仲間に問いかけられて聡司は少し考える。おしゃべりが得意でない聡司は発言自体が少ないのだ。


「逃げる人は逃げて、残る人は残る。それでいいんじゃない? 皆で揃って逃げる必要性はないよ」


 聡司のもっともな意見に皆黙り込む。


「オレは逃げる。明日サルーヘ行くことになっているからチャンスを伺う」

 ディアの意見を聞いて皆それぞれに思うところがあるようだ。


「皆で逃げた方が心強いのは間違いない。でも、強制は出来ないよな」

 仲間の言葉には共に逃げたいという言外のメッセージが籠っている。


「サトシ、お前はどうする?」


 サトシは唇を噛んで仲間と視線を合わせると、合意したように静かに2度頷いた。

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