18 日本の壺
「ただいま」
帰宅した麗奈を抱っこされたモモと君江が迎えてくれた。床に下ろすとモモは兎のように駆けまわり、主人との再会の喜びを全身で表現した。膝を床に下ろした麗奈に勢いよく駆け上がると、尻尾をぶんぶんと振りながら麗奈の顎をぺろぺろと舐めた。
モモを抱くために麗奈が床に置いた壺。それを見て君江が目を丸くした。
「これ、焼き物じゃない」
「市場で買ったの」
「へえええ」
この世界で生活して分かったことも幾つかある。でも、その話は由美子としかしない。不確定な情報で心配性の泰山と知りたがりの君江の頭を掻き乱す必要はないと思い、黙っている。大事なことだけ伝え合おうと由美子と約束しているのだ。
壺に関することも疑問点が多く2人にはまだいうべきではないだろう。
「聡ちゃんから連絡あった?」
「ううん。たぶんもう充電が切れているのよ」
「おばあちゃん心配で」
「きっと大丈夫だよ」
家族で使用しているラインに入っていた聡司の最後のメッセージは『――大丈夫だから』と端的な物だけ。それが数日前。心配は心の奥底にいつでもある。でも、それを表に出せば君江と泰山が不安になる。だから、母由美子と平気なふりをしようと決めた。
スウェットに着替えて下りると君江は部屋に戻っていた。麗奈はモモを抱っこすると君江の部屋に入る。手作りの物に囲まれた君江の部屋、ベッドの上に手作りのキルトが敷かれていて壁にはキルトのウォールポケット。おばあちゃんの部屋という雰囲気の部屋だ。
君江はテレビを見ながらキルトを縫っていた。
「結構進んだね」
「そうなのよ。もう大変よ」
まるで手芸など出来ない麗奈は君江の物づくりをひたすら尊敬していた。君江は振り返りもせず針を進める。
「糸が見えないのよ。針に通すのに難儀してね」
見えない目で良く縫っていると思う。まるで売り物のようなハチの巣模様のキルト。可愛い彩りの手が掛かった逸品だ。
「これが出来たらね。麗奈ちゃん市場で売ってきて頂戴」
「えっ? これ売るの」
「ちょっとでも家計の足しになるでしょう。お母さんを助けないと」
麗奈は思わず涙が出そうになった。自分は楽団で稼いだお金で自分の物が買いたいとそればかり考えていたのに。
「要らない洋服を解いてね、それを使うの。そうしたら材料費もかからないでしょう」
麗奈は感銘して自身も何か手助けがしたくなった。
「おばあちゃん、私も要らない洋服持ってくる」
そう告げると麗奈は再び自室へと上がった。
食事の時間は静かだった。いつもは麗奈が声高らかに一日のことをお喋りするのだが、今日はそんな空気ではない。
空気を重くしているのは泰山のため息だった。
「老人は用がないということかの」
投げやりな言葉に由美子が声を掛ける。
「気に入っていいところが見つかったら働きに行けばいいのよ。焦って探す必要性なんてないんだから」
泰山は少しションボリした様子でパンを千切る。由美子が無理をいって日給にして貰い、近所のパン屋で買ってきたバケットだ。それをもそもそと食べている。
「レネにはシルバーみたいな所ってないのかしら」
君江の言葉に泰山はますます落ち込んだ様子を見せる。
「私も今度お休みに一緒に探しに行くわ。探せば見つかるわよ」
「すまんのう」
気が強いけれど内気。泰山はあまり外で溌剌と働くには向いていない性格だ。本職であった大工仕事があればと思うが、年を召した泰山にはそれも厳しい。町木を切る仕事など良いと思うが、職に空きはなかったそうだ。
遠慮がちな食事を終えると泰山はリビングの奥の客間へと籠ってしまった。
食後すっきりと片付いたテーブルで麗奈は思いを巡らしていた。
「おじいちゃん元気ないね」
当然と言えば当然かもしれない。泰山は由美子の実の父、今は娘の嫁入り先に止むをえずお世話になっているという状況なのだ。泰山は元々は今住んでいる所ではなく隣の市に住んでいた。それが脇田家の隣の家族が引っ越すということで、伴侶に先立たれて独り身の泰山を心配した由美子が勧めて数年前に購入した一軒家だった。
由美子は朝昼晩と食事を隣の家に運び、病院にも連れていく。親が近くにいるというのは安心なのだ。この世界にやってきて以降、脇田家に間借りしている泰山の肩身は確かに狭いだろう。
一緒に暮らせても解決方法は見つからない。心の問題なのだ。
「ねえ、お母さんこの壺さ。ヨミで拾ってきたんだって」
麗奈は気分を変えるようにテーブルに置きっぱなしだった壺を手に取った。1000円と考えれば安いけれど、それでも特段欲しい物ではない気がした。
うつらうつらと椅子に座って船を漕いでいた由美子は寝ぼけたように「うん?」と返事をした。働きづめで由美子は疲れているのだ。今日はもう話せないだろう。
日本の物がヨミに流れ着く。それを掻き集めて商売している人々がいる。ジェスはヨミの国を大変恐ろしい国だと言っていた。もう少し、麗奈は世界について知らなければいけないのかもしれない。
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