17 レネの行商

「さて、最初から音を合わせるよ。ワン、ツー」


 楽団長の振るタクトに合わせて音がビロードのように緩やかに広がる。澄み渡る城の大聖堂で演奏をしているのは王宮楽団だ。彼らは毎日こうして国の式典やコンサートのための練習を続けている。今、音合わせしているのは楽団長自らが作曲し王への敬意を表現した『交響曲第20番聖者の夜明け』。静かな目覚めのあとに訪れる神聖な儀式をイメージしたメロディラインが特徴の、聞く者の心に奇跡の降臨を予感させる曲だ。

 強弱に気を払いながら丁寧に吹いていく。鳥のさえずりのようなフルートの旋律が曲をリードするのだ。


 麗奈は数日前にこの譜面を貰ったけれど、中々苦労していた。サビ手前の指運びが複雑でスムーズにいかない。


「レイナ、焦らなくていいよ。みんな待つから」

「ありがとうございます。でも」


 高校では演奏が上手い方だった麗奈もプロの楽団員に混ざると未熟でしかない。何とか吹きこなさなければと気持ちばかりが焦ってしまう。


 数時間の練習を終えるとクタクタで、疲労感を纏いながらフルートの手入れをした。今日も惨敗と独りごちる。落ち込み清掃を続ける麗奈の隣に、仲良くなったベテラン楽団員のジェスが座り話しかけてきた。


「レイナこのあとお茶でもどうだい。ボクが奢るよ」

「本当? 嬉しいな」

 この頃一緒に食事をしたりお茶をしたり。年配の穏やかなジェスは演奏に悩める麗奈の良き相談相手だった。



 王宮近くのピアノの生演奏付きの高級喫茶店で麗奈とジェスは笑いあった。


「レイナは頑張っているよ。みんな知ってる。技術ならきっと追いつくさ」

「そうかな」

 はははと麗奈は笑ってジュースの入ったグラスをストローでかき回す。


「ねえ、ジェスはどうして音楽を始めたの」

「家にはトランペットしかなかったんだよ」


 麗奈はふふと笑ってしまう。トランペットを持っている家庭が困窮しているとも考えにくいが、それはジェスの茶目っ気というところだろう。


「キミの吹いたあの曲が忘れられないよ」


 ジェスがいっているのは麗奈が入団試験で皆の前で吹いた『魔笛』、聞いた楽団長が一発で採用を決めた演奏だった。


「お金くれるならいつでも吹いてあげるわ」


 麗奈の冗談にジェスはにこにこと笑う。優しくてユーモアがある。とても頼れる先輩だ。二人で気が済むまで笑い合うと麗奈は思いつきで話題を転換した。


「ねえ、ジェス。昨日の話の続きだけれど、ヨミについて聞かせてくれる」

「構わないよ。ボクの知っている範囲のことならね」




 一頻話を終えるとカフェの前で「また明日」とそのまま別れて麗奈はジェスの向かう家とは正反対の色鮮やかな市場へと向かった。


 とにかくこの世界にフルートがあったのは助かった。ピアノにトランペット、パーカッションにコントラバスまである。それが何故なのか。麗奈には皆目見当もつかないが日本と変わりないということがただ嬉しい。


 歩き眺める景色に移り込む物品のほとんどは購入できない。働き始めたばかりなので給料はまだ貰っていないのだ。手持ちが殆ど無いので、およそ見ているだけなのだがそれでも露店巡りは楽しかった。つい先日は物を売るという経験もした。今着ている派手な民族衣装は手持ちの雑貨を売って何とか手に入れた物だった。


 毎日商売している店もあるけれど、日ごとに変わる軒先もある。時折、珍しい店を見つけると売っている物をよく観察した。


「え?」


 とある露店の前で麗奈は思わず立ち止り、売られている商品を具に見た。長方形の紫の敷布の上に丁寧に並べられた種々の商品。着物、かんざし、剣玉、加湿器、その他。加湿器を裏返すと裏には『メイドインジャパン』、商品の大半が日本の物だった。


「いらっしゃい」


 声をかけてきたのは若い男性店主だ。声から若い男性と分かったけれど、顔は中東の人のように殆ど布で隠してあるので素顔は分からなかった。

 麗奈は座り込むと商品を眺めながら声をかけた。


「ねえ、変わった商品ね。これってどこで仕入れてきたの」

「それは言えないね」


 素気無く切り捨てられるので麗奈はますます聞きたくなる。


「教えてくれたら1つ買ってもいいわ」

 布の間から覗いた店主の目が笑う。


「お譲さん上手いね。でも、それだけじゃ教えられない。どれを買うかだよ」

 値の張る物を買ってくれと言っているのだろう。


「今、持っているのが全部で1000ディルなの。それ以上は出せない」

 そういうと950ディルと値のついた壺を手にした。テレビのお宝鑑定番組で出てくるような古い絵柄の壺だ。


「まいど」


 男性は1000ディルをそのまま懐に入れた。


「お釣りは?」

「情報料だよ」

 なるほどと麗奈は頷く。


「このお宝はある場所から拾ってくるんだ」

「ある場所?」


 男性が一呼吸置いて続ける。


「ヨミの国だよ」

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