8 一家離散

 口をへの字に曲げて不機嫌極まり無い様子の男は紙を掲げあまりにも尊大な態度でこう話した。


「成人男性は今朝王宮に赴くように伝えたが、そなたらの家からは誰も来ておらぬ」


「外人さんが日本語喋ったわ」


 君江がポツリと呟く。言葉は分かる、だが言われていることが理解できなくて由美子は首を傾げた。男の大きな話声を聞いて隆行が玄関へと顔を出した。隆行の姿をみとめた白髪頭の男はやっぱりという様子で声を張り上げる。


「貴様、国民の義務を何だと思っている。王を愚弄するのか」

 『王』と言うキーワードからここが王国であると理解出来る。だが、それ以上のことは分からなかった。


「他に男はいないな」

 問い掛けが聞こえたようで泰山と聡司が顔を出した。


「お前何歳だ」


 男が偉そうに聡司に問いかけた。


「……14歳です」

「それならばお前も来なくてはいけないだろう」


 男は怒り心頭といった様子で頭を抱える。自分はどうだろうと言う風に前に進み出た泰山を見て、男は呆れたように声を発する。


「年寄りはいい」

 泰山が後ろに引くと男は声を荒げた。


「よっし、連れていけ」

 男の声を聞いて、馬車の背後に隠れていた兵士が群れるように隆行と聡司を取り囲んだ。


「えっ、おい。あんたたち何なんだ」

 隆行が戸惑いの声を上げる。兵士たちは乱暴に両腕を拘束し、無理やり二人を連れ去ろうとする。


「放してよ」

 普段冷静な聡司ですら抵抗している。


「ちょっとあなたたち何なの!」

 鬼の形相で掴みかかる君江を兵士は払う。


「お父さん、聡司」

 由美子もまた必死で声を上げる。


「お母さん!」

 たくさんの兵士に取り囲まれてどんどんと2人の背中が遠ざかる。伸ばした手が空を掻き、由美子は石畳へと突き飛ばされた。立ち上がり懸命に声を上げるが抵抗虚しく、二人は馬車の背後にあった荷馬車にその他数名の民間人とともに乗せられて連れていかれてしまった。


 馬が地を蹴るカポカポという音と荷車の転がる音が安穏な町の空気に溶けて、やがて聞こえなくなる。ほんの数分間の出来事。だが、混乱するのに十分だった。由美子はヘタヘタとへたり込んで涙を浮かべた。




 夕刻になっても2人は戻らず、家内は陰鬱としていた。普段ならこういう場合一番に心配するのは由美子でなく君江だ。だがこの時ばかりは由美子もかなりの堪えたようで、時刻になっても由美子は料理を始めなかった。とても真面目な母親で風邪をひいた時ですらムリをするのに、このようなショックを受ける何て麗奈は想像もしていなかった。


 おじいちゃんもおばあちゃんもモモもいる。ならば自分がご飯を作らなければと麗奈が考え始めた時、君江が部屋から出てきてお金を渡された。

「麗奈ちゃん、お母さん落ち込んでるから。これでおじいちゃんの好きな物何でも買ってきてあげなさい」


 君江が渡したのは1万円だった。麗奈は頭が痛くなる。普段なら勿論嬉しい。でも、ここは異世界だ。この1万円は使えるのだろうか。

「うん」


 麗奈は戸惑いを隠して1万円を受け取る。誰に伝えるでもなく、行ってきますと呟くと玄関を出た。


 本当はこのような状況は心が躍るほど楽しい物だろう。だが、大事な家族がいない。それだけで雨の日のように気持ちが沈む。露店から香ばしい魚介の焼ける匂いがするけれど食べたいものなんて無かった。でも、買って帰らなければ祖父母が困る。麗奈は祖母の好む肉料理の店を見つけると軒下に入った。吊るされた豚の丸焼きは不気味だけれど、机の上に並んでいる料理はとても彩りが良い。


「いらっしゃい」

 恰幅のいい女性の売り子が笑顔を浮かべた。とても感じが良かった。


「あの、このお金使えますか」

 麗奈は沈んだ顔で1万円を差し出す。


「えっ、何だいこれ。どこのお金だよ。使えやしないよ、そんな物」


 女性は笑顔を即座に消すとしっしと野犬を追い払うように冷たい態度を取った。悪いことをしたわけでもないのに理不尽な扱いだった。その後数軒回ったが、結局麗奈は日本円を使えるお店を見つけられず自宅に戻った。


 事情を放すと君江は仕方ないわねといって腕まくりをした。冷蔵庫には食材が残っている。だけど、それは自分がやるべきだろう。遠慮する麗奈におばあちゃんが作るよと告げて君江は台所へ向かった。


 初めて食べた君江の手料理は驚くほど美味しかった。異世界にいてまさかこんなことがきっかけになるなんて思わなかった。シチューにホウレンソウのおひたし、鳥の胸肉のソテーに卵焼き。嫁の由美子に料理を教えたのは君江なのだ。上手で当然かもしれない。


「由美子さん何かの間違いよ。明日一緒に役所に行きましょう。所用で連れていかれただけかもしれないし、すぐに戻って来るわよ」

 君江が心配して声をかける。


「由美子、きっと大丈夫だ」


 泰山も実の娘の由美子を言葉少なに心配している様子だ。先に食事を終えたモモは事態など知らずソファで眠そうにしている。由美子は視線を落したままスプーンを手に持ち、そろりとシチューを口に運んだ。しみじみとした美味しいという小さな言葉がゆっくり涙に代わる。


 ここは一体どこで、何が起こっているのか。突然の別れに悲しみながらも食べなくてはいけないという切ない現実。隆行のいない今、一家は由美子だけが頼りだった。

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