6 家族会議と流れた最後の1キザ

「ちょっとあり得ないな」


 隆行は電話を終えると苛立たしげに吐き捨てた。悔しさの残る通話だったようだ。心配して由美子が問いかける。


「お父さん、どういうことなの」

「消えてしまった物は信じがたいけれど、どうやらあちら側に行ってしまっているらしいんだ」

「あちら側って?」

「異世界でしょ」


 皆が信じられぬという疑いの目を聡司に向ける。だが、なにかのあり得ない力が働いて家財が瞬時に消失しているのも紛うこと無き事実だ。


「異世界ってなんなの。天国のこと」


 聡司が君江の言葉に返事をする。


「ああ、違うよ。ゲームの中の世界みたいな」

「へええ、そうなの」

「うん」


 聡司は感心するように頷く君江をよそに困ったように呟く。それ以上に困っていたのは麗奈だろう。


「異世界って……どうするのよ。もしかしてモモやおじいちゃんもあっちにいるってこと」


 麗奈は心底モモが心配でたまらない様子だった。


「ああ、大丈夫。大丈夫だ」


 隆行は自身の頭の中で電話の内容を整理するかのように目を閉じて、手で制しながら家族を落ち着かせる。


「メーカーの説明では1ロール使用したら全部元通りになるらしいんだ」

「元通り」


 由美子が確認するように呟く。


「今日はお父さんはもう仕事を休む。二人も学校を休んで家にいなさい。1ロールを流し終えて元通りになったらまた明日から学校に行きなさい」


「はい」


 麗奈と聡司が沈んだように返事をする。麗奈は制服のスカーフを外すと着替えをしに自室へと上がり、聡司は制服のままソファに寝転ぶとスマホでゲームを始めた。


 由美子は結局仕事を休んだ。こんな一大事に仕事という話じゃない。便器の前にしゃがみこんでトイレットペーパーを巻きとると少量ずつ水に沈めて書かれている内容をいちいち確認した。雑貨、家電、食材……全部無くなって困る物だけれど、どうしてもという物ではない。家族が消えているのだ。それを何としても取り戻さなければならない。


 何気なしに浮かび上がった文字を見て由美子は戦慄した。


――家族1。


 えっ、という言葉を発して手が止まる。これがモモを、泰山を、異世界へと押し流したのだ。便器の中へ思わず手を突っ込もうと手を伸ばしたが、全部を流さなければ全ては元に戻らないというメーカーの言葉がそれを押しとどめる。だが、家族の消失をこれ以上見届けるのか。由美子は判断を請うため慌てて隆行の元へ走った。リビングへと走った由美子の背後で自動で水が流れた。



 君江が消えていた。さすがにこれはもう家族会議となった。話が流すのを止めようという方向に傾いている。


「警察に行きましょう」

「信じてもらえるか」


 聡司が深刻そうな顔をする両親の横で立ち上がる。


「聡司、トイレに行くのは止めなさい」


 聡司がすかさず制止する隆行の言葉にため息をつく。


「小だから」

「じゃあ、いい」


 聡司は許可を得て立ち上がるとトイレへと向かった。聡司は用を足しながらうんざりしていた。トイレのせいでこんな殺伐とした空気になるなんて腹立たしい。これなら前のトイレで良かった。便座なんか自身はほとんど座らないのだ。ロールは由美子が懸命に流したおかげで半分に減ったがまだある。こんな物さえなければとロールに手を伸ばし、悔し紛れに1キザ沈めると文字が浮かんだ。


 スマートフォン5、と書いてあった。聡司は蒼白になりリビングへと走る。その背後で水が流れた。



「ねえ、お父さんトイレ」


 我慢の限界と麗奈が立ち上がる。警察にも行かず、トイレを流しもせず。麗奈は究極の苛立ちを覚えていた。過ぎていく時間は何も解決してくれない。


「我慢しなさい」

「無理よ。全部流すんじゃなかったの。じゃないとモモが戻ってこないんでしょう」

「おばあちゃんが消えたんだ」

「モモもおじいちゃんも消えてるじゃない」


 隆行は渋面を作るといい聞かせるようにこういった。


「いいか、全部流して全部が戻ってくる保証はない。どこに流れ着いているか分からないんだ。今出来ることはもっと良い解決策を探ることだ」

「スマホも消えちゃったし探せないよ」


 聡司がうんざりしたように呟く。


「私はトイレに行く」


 宣言して麗奈が立ち上がる。


「庭でしなさい」

「冗談でしょ!」


 麗奈は馬鹿じゃないといい捨ててトイレに向かってしまった。


 麗奈は便器に腰かけながらため息を吐いた。殺伐とした空気も嫌だが、モモに会えないのはもっと嫌だった。用を足して流したがトイレを出ずにしゃがみ込む。喉の奥が焼けつくように痛む。泣くのを必死で我慢すると決意してペーパーをぐるぐると巻きとり始めた。


 大量のペーパーを一気に流すとトイレの外から阿鼻叫喚が聞こえた。何か大きな異変が起こっているのだ。それでも流し続けるのを止めなかった。モモのことを思うと当然の選択だった。涙を浮かべながら10回ほど流し、外が静かになる。外はもう見たくも無かった。そして芯に張り付くようにして最後の1キザが残った。


 よれたそれをゆっくりと水に沈めボタンを殴るように押す。流水に巻き込まれる紙に浮き出てきた文字を麗奈は恐る恐る読み上げた。


「……家……全部。全……」


 紙が渦と共に流れていく。麗奈の絶叫が響き渡った。


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