5 トイレの怪しいランプとボタンの真実 

 聡司はトイレで用を足してリモコンを見てあることに気がついた。リモコンの左下にある小さな丸。小ボタンで流すとそれが赤く光った。丸の下に小さく書かれている文字を見て思考が停止する。これは一体どういうことだろう。

 トイレから出た聡司はその事実を皆に確認しようとした。


「ねえ、あのさ」


 気付きを家族に伝えようとしたが、皆それどころではない様子だった。泰山が行方不明だと騒いでいる。


「隆行、警察に電話しなさい」

 君江の提案に隆行が反対する。


「散歩に出ているかもしれないだろう」

「ご飯も食べないで行くかしら」


 由美子の疑問は最もで、律儀な泰山が由美子の朝ご飯を待たずに出かけるなどあり得なかった。合鍵で由美子は泰山宅を確認したらしいが、そもそも自宅に戻った様子がなかったという。もしかしたら消えたのは昨夜なのかもしれない。


「手分けして近所を探そう」


 隆行も由美子も職場へ連絡を取り、緊急であると言い訳して遅れることを伝え終えると速やかに玄関へと向う。去ろうとする後ろ姿を引き留めるように聡司は声を掛けた。


「お父さんお母さん待って、トイレが変なんだ」


 今はそれどころでなかったけれど、隆行はとりあえずの反応を見せる。

「聡司、それは後で聞くから」


 制止する声に聡司はさらに大きな声を被せる。

「トイレのリモコンの『転移』ってランプが光ってたんだ」

「転……移?」




 探しに行くのを一度止めて、皆はトイレに集まった。聡司は皆に説明をする。

「リモコンでトイレの水を流すでしょ。そしたらここのランプを見ててよ」


 そう言って聡司はエコ小ボタンを押す。流れていく水の美しさは相変わらずだけれど、注目すべきはそこじゃない。皆一心に見つめる先、リモコンの転移ランプが確かに赤く光る。理解出来ぬ事態に隆行は眉をひそめる。


「説明書はあったか」


 隆行の問いかけに由美子が二階の机へと走る。整理しきれていない大きなファイルを掲げて戻って来た。たくさんの家電の取り扱い説明書。その一番上に新しいトイレの説明書があった。


 家電に明るくない気真面目な隆行は説明書を開くとじっくり読み入った。眺めているのはリモコンの絵がまるまる載っている始めの方のページ。隅々を確認するが絵に転移ボタンはない。説明書の裏面に載っているメーカーの問い合わせ先を確認して隆行は電話を始めた。


「すみません、お宅の製品についてお伺いしたいんですが」

「はい。えーと、IX-1298GAタイプです」

「ああ、実はですね。先日そちらにリモデルしたんですが、説明書にないボタンが家のリモコンについてまして。ええ、そうです。そうです」

「えっ、トイレットペーパー? はい、はい。ちょっと確認してみますね」


 隆行は電話を通話状態のまま下ろすと「包装紙、包装紙」と小声で由美子に言う。会話内容から察した由美子が外のゴミ箱に捨ててあったくしゃくしゃのトイレットペーパーの包装紙を持ってきた。白地に薄緑の印刷が施された包装紙には小さな文字でたくさんの注意事項が書いてある。老眼である隆行にはそれを即座に読むのが難しかった。


「すみません、読んでからまた連絡します」

 電話を切った隆行に皆の視線が集まる。


「なんでトイレットペーパーが関係あるの」

 由美子の問いに分からないと返して、隆行は目を細めてじっくりと目を走らせ読み上げ始めた。


「この度はIFAX製品をご購入いただきありがとうございます。こちらのペーパーは当社よりのささやかな贈り物です。こちらのペーパーを使用して『転移ボタン』を押すとペーパーに書かれている物が異世界へと転移します。利用する際の御注意ですが、こちらのペーパーは完全に使用しきるまでホルダーから外れません。設置する際はそのことを十分ご了承いただいたうえで御使用をお願います」


 皆がはて、という表情を浮かべる。書いていることの殆どが理解出来なかった。


「転移ボタンにペーパー」


 隆行が確認するようにトイレットペーパーを引き出すが、何も書かれていない。当然、転移ボタンというボタンもない。何かの間違いだろう。電話を掛け直そうとした隆行に聡司が話しかける。


「ペーパー流してみようよ」


 そう言って聡司が1キザを慎重に千切る。それを水に落とすと静かに沈んでいく。何もないと安堵しかけた時、紙に薄っすら薄緑の大きな文字が浮かんできた。水で浮かび上がる特殊な文字のようだ。それを聡司が読み上げる。


「家電5……5?」


 流していいかと隆行に確認すると隆行は構わないと答える。疑問に思いながらそれをエコ小ボタンで流すとリビングから慌てふためく声がした。


「テレビが消えたわ」


 君江の声に皆リビングへと走る。テレビの電源が落ちたのだと思って駆けていくと、テレビ台の上のテレビ本体が消えていた。大人の男性でも1人では即座に運び出すことが不可能なくらい大きい。注意深く観察をして傍にあった掃除機も一緒に消えていることに麗奈が気づいた。まさかと由美子が台所に走るとレンジと炊飯器も消えていた。


「ちょっとお父さん電話しなきゃ」


 電話して解決出来る事態とは思えなかったが隆行も急かされ電話を掛けた。数コールの後電話が繋がった。


「ああ、すみません。先程の者です。ええ、はい。はい、読みました」

「ああ、でも転移ボタンというものが理解出来なくて……」


 リビングで必死に電話する隆行の声を遠くに聞きながら聡司はロールを外そうと試みる。だが、説明書きにあったように全く外れる気配がない。トイレのリモコンのボタン部分をじっくり見つめる。変わったところは無いようだけれど、いったいどんなカラクリがあるというのだろう。もう一度確認するようにボタン部分にそっと触れて、すると重なっていたフィルムに気づいた。新品の電化製品に張られている保護シールだ。それをそっと聡司は剥がす。流水ボタンの下から現れた2文字を見て聡司は愕然とする。

 大、小、エコ小と思って知らずに押し続けたボタンは全て『転移』ボタンだった。

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