4 消えた家財の謎
中学2年生の聡司が学校帰りに寄った図書館から帰宅すると姉の麗奈が泣いていた。いつにないこと、家族も困り果てている様子だった。
「どしたの」
問いかけると母が深刻な顔で顔に掌を当てている。
「モモちゃんがいなくなっちゃったのよ」
「はあ?」
これには聡司も随分慌てた。モモは麗奈の犬であるが、既に大切な家族なのだ。
「お姉ちゃんがね、一緒に部屋で寝てたらいなくなっちゃったんですって」
「窓から飛び出したとかないの」
麗奈が泣きながらぶんぶんと首を振る。
「窓は閉まってたの」
聡司は腑に落ちなくて階段を上る。階段右の麗奈の部屋を確認するが静かな物、異変は無かった。ベッドの下を確認して、机の下を確認して、本棚とベッドの間の死角も確認する。
階下に降りると由美子が困ったように電話を握り締めていた。
「警察に電話すればいいのかしら。それとも保健所かしら」
「保健所何て電話すれば、モモ殺されちゃうじゃない」
麗奈の泣き声がひと際一層大きくなる。
「ねえ、玄関は閉まってたんでしょ。出てくとかあり得なくない」
聡司の冷静な言葉に君江が答える。
「モモちゃん可愛いから誘拐されたのよ」
「こんなに家に人がいたのに?」
麗奈が傍にいて他人の存在に気づかないものだろうか。モモは他人を見れば吠える犬だ。静かにこっそり連れ去るなんて不可能だ。
「あ、マイクロチップ」
聡司はモモがペットショップで売られていた時にあらかじめ埋め込まれていたマイクロチップの存在を思い出す。愛犬が余所で保護された時にデータベースで照会できるという優れものなのだ。聡司はスマホを操作した。諸事を確認する。
「やっぱり警察や保健所に連絡してくださいだって」
「じゃあ、連絡しましょう」
由美子はさっそく電話を掛けた。
夕食はお通夜状態だった。一家の主隆行も帰宅して、隣に住む由美子の実父泰山を交えての6人での食事。非常に遠慮がちな泰山は漬物を噛みしめながら麗奈を励ました。
「モモちゃん心配だね。麗奈ちゃん、泣くんじゃないよ。きっと見つかる」
泰山の優しさに皆頷く。
「お父さんがね、ご飯食べたら張り紙作ってくれるっていうから。明日スーパーの掲示板に張らせて貰うよう頼み込んでみるわ」
「……うん」
麗奈はすこぶる元気がなくて心配でたまらない様子だ。
「麗奈、食べなさい。明日になったらきっと見つかる」
無骨な言葉しかかけられない隆行だが、心配をしている気持ちに嘘はないのだろう。聡司もまた好物の唐揚げを頬張りながら、モモのことを考えた。モモは10年前の麗奈の誕生日に我が家にやって来たチワワだった。非常に勝ち気だけれど実は甘えん坊、警戒心が強くてよその人にはほぼ懐かず拾い食いもしない。少し神経質な面もあるけれど、一家の宝物なのだ。月に一回のトリミングの時以外はほぼ家にいる。いるというのが当たり前だった。
真っ先に食事を終えた君江が立ち上がる。膝が痛いと呟きながら食器を台所に運んでいく。まだ19時半、少し早い時間であるが寝支度をするのだろう。トイレの扉を開ける音がした。
食事を終えて聡司はソファに横になる。スマホでゲームを楽しんだ。だが、心は晴れない。モモは聡司にも懐いていて、休みの日などはいつも一緒に昼寝をするのだ。可愛くないはずがない。テレビではお笑い番組がやっているが笑えなかった。陽気な笑いさえも耳障りだ。
泰山が隣の家に帰り、麗奈は殆ど食事を食べずに部屋に籠った。君江はもう眠りについている頃だろう。時刻は21時。一人晩酌を続けていた隆行が対面に座る由美子に仕事の入札の話を始めた。
由美子はあまり真剣に聞いている様子ではなくてそれでも隆行は楽しそうに話を続けている。由美子得意の聞き流しだ。
21時半になると隆行も自室に向かって由美子が夕食の後片づけを始める。その時由美子がふと気付いたように呟いた。
「あら。ねえ、聡司。お父さんのグラス知らない」
隆行が焼酎用に先程まで使っていた江戸切子のグラス。1万2000円もする麗奈の修学旅行のお土産物、大して好みのうるさくない隆行が宝物のように大事にしていたグラスだ。
「洗ったんじゃないの」
「ううん。洗ってないわよ。さっきまでここにあったのに」
そう言って隆行の席をトントンと叩く。
「変ねえ」
その時、トイレに起きてきた麗奈がリビングに入って来た。
「ねえ、お母さん明日学校休んで一緒にスーパーに行っちゃダメ?」
泣き腫らした眼で由美子に問いかける。
「そうよね。心配よね。いいわ、お母さんが明日お父さんに頼んでみる」
由美子が優しく頷く。
「ありがとうお母さん」
消えたお玉、消えたモモ、そして消えた江戸切子の謎。この時、水面下で既に取り返しのつかない多くの事象が家内で発生していたことを脇田家の面々はまだ知らなかった。
◇
翌朝、朝食を皆で食べていると隣の家に泰山の朝食をお盆で運んだはずの由美子が蒼白で駆けてきた。息を切らしてとても慌てた様子だった。
「大変よ」
君江が醤油を白菜の漬物にかけながら問い返す。
「おじいちゃんの具合が悪いの?」
由美子がぶんぶんと首を振って殺人現場にでも遭遇したかのような震える声を絞り出した。
「おじいちゃんがいなくなったの」
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